Diana ディアーナ
あひるが卒業発表のガラ公演のソリストに抜擢された。それ自体はいいことだ。まったく、奇跡と言ってもいいくらいの快挙だ。あひると同じような落ちこぼれの(言葉は悪いが、そういうことだ)生徒達にとっても、励みになるだろう。あひるもはりきってる。だが・・・
「今日は練習みてくれてありがと!リハーサルだけでも見てもらえてよかった。ふぁきあ、他にもいっぱいやらなきゃいけないことあるのに・・・」
「そんなことは別にどうでもいい」並んで帰りながら話しかけてきたあひるの言葉を、俺はぶっきらぼうに遮った。
「調子は悪くなさそうだな」
「うん、すごくいいよ。だいぶ動きがつかめてきたっていうか、体が動きを覚えてきたって感じ」たしかにそんな感じだった。もともと特に難易度の高い振付ではない(俺から見れば、だ)が、それにしてもあひるの踊りは実に自然で、あひるらしさにあふれていた。衣装はいわゆるチュチュではなく、脚のしっかり見える短めのチュニックの裾をひらひらさせて跳ね回るあひるは、神聖なと言うよりは、快活で愛らしい女神だった。
「でも、ソロのところはたぶん大丈夫だと思うんだけど、パ・ド・ドゥの方はもうちょっとなんだよね」
そう、あひるが踊るのはパ・ド・ドゥだった。もちろんメイン公演のプリマではないが、それでも見せ場には違いないし、みんなにとっては憧れだろう。俺だってあひるが嬉しそうに踊ってるのを見るのは嬉しい。ただ・・・
「ま、直前に詰め込むのはいつものことだから。先生も、集中してやれば伸びるものだって・・・」
「あいつ、やけにしっかりお前を掴んでないか?」あひるはきょとんとした。俺は何となく居心地の悪さを覚えて咳払いした。
「妙にぴったりと手を当ててるし・・・支えてる時間も長めだし・・・」
「そお?目ざわりなくらいだった?」
「・・・まあな」あひるが考えてるのとは意味が違うが。
「ふぁきあが『落としたらただじゃおかないからな』って目でにらんでたからだよ」
当たり前だ。ただじゃおかないどころじゃない。もし万一、床まで落としやがったら、一生後悔させてやる。
鼻息を荒くする俺を、あひるはおかしそうに見ていた。「あんな怖い顔するほどヘタじゃなかったと思うけど。ふぁきあだってさ、ほら、初めて一緒に踊った時のこと、覚えてない?」
うっと言葉に詰まった。
「あれは落としたわけじゃない」
「良くないのはおんなじだよ」確かに。あひるがちゃんと降りれないことを分かっててやったんだから、ダンサーとしては、落とすより悪い。
痛いところを衝かれてぐうの音も出ない俺に、あひるがひらひらと手を振った。「だいじょーぶ、一緒に踊ってて、危ないとか思ったことないよ。てゆーか、あたしにはもったいないぐらい上手だし。あたしまで上手になったような気がして、とっても踊りやすいんだ」
あひるの言うとおり、あひるの相手をする同級生の男は、俺から見てもそれなりにうまくて(あひる相手にちゃんとパ・ド・ドゥができるんだから、推して知るべしだ)、あひるよりは格段にレベルが上だった。先生に決められたパートナーとはいえ、よく文句も言わずにきちんと相手をしてくれてると思う。ただ、そのパ・ド・ドゥの中には、あひるを高くリフトしてその勢いで一瞬宙に浮かせ、受け止めるような振付もある。技術もいるが力もいる。俺がそれを、どんなにはらはらしながら見てたかなんて、こいつに分かりっこない。
俺が押し黙って聞いていたので、あひるは調子づいたらしい。「それにああいうのは何よりも呼吸を合わせるのが大事だからね。最近ばっちり呼吸も合ってきたから、絶対、本番ではうまくできるよ。ふぁきあに見てもらえないのは残念だけど、きっとみんながうっとりするようなステキなパ・ド・ドゥを・・・」
「・・・俺の方が」おとなげないとは思ったが、口が勝手に動いていた。
「俺の方が、ずっとうまくできる・・・」
心配なのは、本当は、その男があひるを支えられないことじゃない。
あいつはちゃんとあひるの魅力を(たぶんあいつも感じ取っているんだ)引き出しているし、舞台を見た皆がそれを感じるだろう。
そしてその男はどちらかというと、がっちりして筋骨逞しく、ぶこつで男っぽい雰囲気で・・・つまり俺とは正反対のタイプのダンサーだった。「わかってるよ、ふぁきあ」
むすっとふさぎ込んでた俺は、はっとしてあひるを見た。あひるは笑っていなかった。
「ふぁきあだってわかってるでしょ。あたしが一番信頼できて、一番うまく踊れるパートナーは誰か」
俺は思わず足を止めた。あひるも立ち止まり、大きな瞳をじいっと見開いて俺を見上げた。俺は黙ってうなずくのが精一杯だった。
あひるが急にぱっと微笑んだ。「早くふぁきあが帰ってきてくれたらいいな。そしたらずっと一緒にいて、いっぱい、いっぱい、一緒に踊ろう、ね?」
「・・・ああ」パ(ステップ)を踏みながら跳ねていくあひるの後姿を見つめる。
どこにいても、俺はお前のそばを離れない。
大股に歩み寄りながら胸につぶやいた言葉を、俺は口にはしなかった。