「わあっ!」胸元で急に素っ頓狂な叫び声を上げられ、ふぁきあは何事かと少し身を引き、あひるを見下ろす。昨日、国境の家を出てから何度もやられたのに、まだ慣れない。
「今度はなんだ?!」
「きれいな湖・・・」あひるの視線を辿ってみると、左手の木立の合間から、斜面を少し下ったところにきらきらと輝く小さな湖面が見える。湖と言っても渓流の一部が緩やかに広がった池のようなもので、良く見ると澄んだ水越しに底の石まで見通すことができる。
「・・・ああ」
「ねぇ、ちょっと水浴びして行ってもいい?」シディニアを出発してから毎日暑かったのに水浴びもさせなかったのは可哀想だったかと思い、ひと気も無いことだし、少しくらいならと許可。
岸辺近くまで馬を寄せてあひるを抱き降ろしたふぁきあは、またいきなり脱ぎ始めようとするあひるの手を慌てて押さえる。「待て!前にも言っただろう。城の中じゃないんだから、人前で服を脱ぐな」
「人って・・・ふぁきあも?」
「そうだ」ふぁきあは憮然とした表情。あひるは首を傾げる。
「どうして?」
「どうしてって・・・」
「だって、昔ピクニックに行った時はそんなこと言われなかったよ」(いつの話だ・・・)
と思いつつも、そっちの話になるのは避けたかったので、適当な説明でかわそうとする。
「それは周りにいたのがお前の侍女達だったからだろ。城の中の生活と外の生活は違うんだ」
「だからお城の人だったらいいんでしょ?お父様の騎士達も一緒だったよ。同じじゃない」ふぁきあは頭を抱えたい気分。そこに止めの一撃。
「ふぁきあはあたしの騎士でしょ?」
あひるの言葉に思いがけずときめき、ふぁきあはうろたえる。
(お前の、じゃない)
と言い返そうとするが、言葉が出ない。
「あっそうか、ノルドではそうなんだね」
(そうじゃない!)
ふぁきあは叫び出しそうなのをぐっと我慢し、深呼吸してから厳然と宣告する。
「とにかくダメと言ったらダメだ」
あひるは納得してなさそうだが頷く。腑に落ちない様子で水際に向かいかけたあひるが、ふいに、いい事を思いついたと言わんばかりの笑顔を浮かべてふぁきあを振り返る。
「ふぁきあも一緒に水浴びしようよ」
途端に真っ赤になるふぁきあ。
「バカかお前は」
「なんで?!」
「・・・もういい・・・」(こいつには男に対する警戒心ってものが無いのか?・・・それとも俺を男とは見做してないってことか?・・・)
ふぁきあは溜息をつき、あひるに背を向けて、少し離れた木陰に座り込む。
あひるはちょっと不満げな顔でふぁきあを見やるが、振り返って澄んだ湖を見て相好を崩し、ぱっと服を脱いで適当に丸めて置き、水に入る。ひんやりしているが、暑さで熱の籠もった体には心地良い。腰ほどの深さの場所でしばらく水と戯れていたが、ふいに目の前の水中を虹色に輝く魚が横切る。その珍しさと美しさに、つい魚を追いかけたあひるは、足元が不注意になり、急に落ち窪んでいた深みに嵌る。「ぐわっ!」
「あひるっ?!」奇妙な叫び声とそれに続く派手な水音に反射的に立ち上がり、湖の方を見たふぁきあの目に、頭を浮き沈みさせてもがいているあひるが映る。ふぁきあはためらわず湖に駆け込み、激しくさまようあひるの手を素早く捉えて引き寄せ、腕に抱き上げる。そこはふぁきあの肩の下くらいの深さで、抱き上げられたあひるはふぁきあの首にしがみついてぜいぜいと息をしている。
「何やってる、バカ!」
「・・・ごめ・・・ん、ありがと」あひるの返事にふぁきあはほっとして呟く。
「水は飲んでないみたいだな・・・」
ふと素っ裸のあひるを抱えていることに気がつき、慌てて目を逸らして岸に急ぐ。驚いて走ったせいで―とふぁきあは考えている―呼吸と鼓動が荒くなっているのを整えようと、無駄な努力をする。
あひるはふぁきあの服から滴る水を見て申し訳なさそうに呟く。「ふぁきあ、濡れちゃったね・・・」
「すぐ乾くさ」
「そうだよね。こんなに暑いんだし、脱いで干しとけば・・・」能天気に答えたあひるの言葉に、思わず立ち止まるふぁきあ。
「・・・お前は不注意過ぎる。少しは反省しろ」
目を逸らしたまま硬い声で言われ、あひるはしゅんとする。
「うぅ・・・ごめんなさい」
あひるは地面に降ろされたと思うとすぐに大きな布でばさりと包まれる。
あひるが振り返ると、ふぁきあは既に背中を向けてあひるから離れている。「ふぁきあは?服・・・」
「俺に構うな」結局、素っ裸のあひるの提案はあえなく却下され、ふぁきあは、一時余りも濡れた服を着たままで過ごした。あひるは、ノルドには変な習慣があるなぁと呑気に考えた。