十八夜の月は明るく、あひるはその光に同化して、淡く白く輝きながら夜空を漂っていた。目の下には静かな森と、どこまでも連なる丘。雲が流れ、木の葉がそよいでいるところを見ると風があるようだけれど、あひるには感じられない。それどころか空気の温度すら感じない。あひるはふと考える。

(どこ?・・・)

ずっと何かを探していた。優しくて、心地良くて、そのくせ、熱くて、激しい・・・ ふと何かに呼ばれた気がして見下ろすと、川沿いの古い館の、開け放たれた窓が目に入る。あひるの足元から幻想的な青い光が、そこへ導くように伸びている。

(あ・・・)

次の瞬間、あひるは暗い部屋の中に、月の光を浴びて立っていた。裸足の足に石の床が冷たい。闇に目を凝らすと、そこは広々とした見知らぬ部屋。古めかしい大きな寝台に目が留まる。あひるがじっと見つめていると、その上に横たわっていた人が身じろいでこちらを向き、驚いた様子で身を起こした。

「あ・・・ひる・・・?」
(・・・ふぁきあ!)

やっと見つけた嬉しさであひるは胸がいっぱいになる。

「どうしたんだ?何故ここに?」

ずっと聴きたかった、懐かしい声。

「逢いたくて・・・逢いに来ちゃった」

あひるは驚いた。あひるの口から出たそれは、本当のことだったけれど、答えたのはあひるでは無かった。ふぁきあの腕があひるの方へ伸ばされ、あひるは魔法に掛けられたように引き寄せられてしまう。広く温かい胸に抱かれ、高鳴る鼓動を感じる。ふぁきあの?それともあたしの?・・・額に優しく触れられたのを感じて顔を上げると、ふぁきあがじっと見下ろしていた。切ない気持ちで、揺れる緑の瞳を見つめ返す。ごく自然に、唇が触れ合い、あひるは息を詰めて、その長いようで短い瞬間を受け止める。離れていく唇に、安堵なのか、落胆なのか、溜息が洩れる。

「ふぁきあが・・・望んでくれるなら、あたしはふぁきあのものになりたい・・・」

(えっ?!あたしったら何言ってるの!!)

あひるは慌てるが、それが嘘だという気はしなかった。・・・ただ考えてもみなかったというだけで。ふぁきあが、信じられないという表情であひるを見る。あひるは、どうにかしてふぁきあに信じてもらいたいという気持ちになる。それが本当に自分の気持ちなのか、それとも、今、自分を動かしている誰かの気持ちなのか、もう分からなくなっていた。あひるを凝視しているふぁきあの顔に両手を添えて、自分から唇を寄せる。ずっと、もっと触れ合っていたい。このまま溶け合って、一つのものになってしまいたい。・・・二度と離れなくて済むように。

体を退いて息を継いだ後、再び触れようとすると、今までされるがままになっていたふぁきあが突然動いてあひるを強く引き寄せた。そうして、獲物に喰らいつく獣のようにあひるに襲いかかる。驚いて開きかけた口に、柔らかいのに強い力を持ったものが入り込み、あひるの舌を追い回す、それがふぁきあの舌だと気づくまでに少し時間がかかった。その、やけに恥ずかしいような感覚に慣れる間も無く、ふぁきあは今度はあひるの耳元を攻め立てる。熱い息を感じて思わず首を竦めそうになったあひるは、溜息のように囁かれた言葉に心臓が止まりかけた。

「・・・愛してる、あひる・・・」

硬直してしまったあひるの首筋をふぁきあの唇がなぞる。まるで快感を表現するように、勝手に喉が鳴る。ふぁきあの手があひるの襟元を広げ、その後をキスが追っていく。

「・・・ん」

素肌の触れる部分が徐々に広がり、あひるは、少しずつふぁきあに秘密を知られていくようでドキドキした。その時、ふぁきあが急に身を引いてあひるは不安になる。けれどふぁきあはあひるから手を離すことはなく、膝立ちになってあひるの膝の下に手を差し入れて抱き上げ、ベッドの上に座らせて向かい合った。こんな暗闇なのに、どうしてかふぁきあだけははっきり見えるけれど、なぜなのかは気にならない。見つめてくる深緑の瞳の熱さにぼうっとしている間に、ふぁきあの手があひるの胸元で何かを探る。その手が衣擦れの音と共に軽く引かれたと思うと、肩から布が落ちる感触がして、上半身がいきなり空気に晒される―そしてふぁきあの視線に。

「あ・・・」

あひるは生まれて始めて、裸を見られることに羞恥を感じた。咄嗟に両腕で体を抱え込んだあひるに、すぐにふぁきあが覆い被さってきて、あひるは後ろに倒れ込む。ふぁきあはあひるに跨るような形で圧し掛かっていたけれど、あひるに体重を掛けて押し潰したりはしなかった。少し体を浮かせてあひるの肩を押さえ込んだ状態から、あひるの左肩に載せられた手が動いて細い腕をそっと撫でていく。思い焦がれた繊細な宝物に接するような、情熱と抑制がせめぎ合うその触れ方が、キスに劣らないほど官能的で、あひるは震えた。

「お前の全てが、欲しい・・・」

ふぁきあの言葉に頬がかあっと熱くなる。あひるは身を硬くしたが、ふぁきあの手はお構い無しに滑り降り、曲げた肘から先に残っていた布を剥ぎ取って、あひるの手を掴む。指の間にふぁきあの指が割り込み、そのままぐいと胸元から引き剥がされて持ち上げられ、指先に柔らかい感触と熱い吐息を感じる。

「お前は俺のもの・・・」

ふぁきあの動きと言葉に酔わされ、頭がぼうっとして肯定も否定もできず、溜息だけが洩れる。

「あぁ・・・」
「きれいだ・・・あひる・・・」

けれどうっとりと甘い陶酔に浸っていられたのはそこまでだった。胸の上に残っていた右手が簡単に押し退けられて、ふぁきあの手が直接胸に載り、あひるははっと息を呑む。そして一瞬ためらったような間があった後、急にふぁきあの指がそこに喰い込み、鋭い痛みが走る。

「ああっ!」

あひるは咄嗟に身を捩って逃げ出そうとしたが、あひるの左手を押さえていたふぁきあの右手が素早くあひるの背中に回り、きつく締まってそれを阻止する。体重を掛けて押さえ込まれ、身動きできなくなったあひるの上にふぁきあが顔を埋め、左胸の下辺りに強い圧迫感を感じる。それはほとんど命を吸い取られるような感覚で、あひるは気を失いかけた。

「もう、逃がさない・・・」

ふぁきあの左手がほとんど無いに等しいあひるの乳房を揉み上げるように動き、あひるの意識を引き止める。わずかなふくらみに何度も口づけされ、時々ちろっと舌で舐められて、気分が変にざわつき、じっとしていられない・・・と思っているうちに、先端の敏感な部分を口に含まれて、びくっと体が跳ねた。

「あっ!ん・・・」

そのまま舌で嘗め回され、痛みに似た強い刺激に悲鳴のような喘ぎ声が洩れる。

「ひ・・・あ・・・んん・・・」

ふぁきあも咥えたままでは息ができなくて苦しいのか、呼吸が荒くなっている。

「ふぁきあ・・・」

呼びかける声が掠れていて、あひるはなぜか恥ずかしくなり、ふぁきあの腕を強く掴んだ。ふぁきあはまるで何かに急き立てられているかのように性急に、けれど余さず触れ尽くさなければ気が済まないと言わんばかりに執拗に、あひるの体の隅々にまで手を這わせ、頬を摺り寄せ、そして口づけた。取り憑かれたようにあひるを求め続けるふぁきあに、あひるはどうしていいか分からず、身悶えしながらただ与えられる刺激を受け止めるしかなかった。それでもあひるの両手は、自然にふぁきあを求めて動いていた。

右側の脇を下っていくふぁきあの髪に手を差し入れ、梳くように撫でると、ふぁきあが溜息を洩らす。触れられているのは脇なのに、背筋にぞくっと震えが走る。あひるがふと気づいた時には、ふぁきあの愛撫はあひるのウエストから腰の横を周り込んで太腿へと移っていた。細い脚を包み込むように両手で挟んで爪先へと滑り降りながら、その上をふぁきあの舌が這っている。既に夜着は跳ね除けられ、あひるを包むものは無くなっていた。あひるは、自分がふぁきあの目の前に両脚を広げたあられもない格好を晒しているのに気づき、慌てて身を引こうとしたが、ふぁきあに足首をしっかり掴まれていた。

「逃がさないって、言っただろ・・・」

あひるの膝を軽く曲げながら脚の内側を昇ってきたふぁきあが、辿りついた行き止まりの場所を割ろうとした。

「あっ・・・やっ・・・」

自分でも触れたことのない場所に触れられるのも恐かったけれど、それよりも、触れられた瞬間に襲われた未知の感覚が怖ろしかった。

「あ、あ・・・んんんっ・・・」

その刺激は慣れて弱まることはなく、むしろ強さを増して押し寄せ、自分が自分でなくなりそうであひるは怯えた。ふぁきあの肩を押し戻すように両手を突っ張りながら、震える声で訴えた。

「いや・・・ふぁきあ、やめて・・・怖い・・・」
「だい・・・じょうぶだ・・・気をつける・・・から・・・」

ふぁきあが何の事を言っているのかあひるには分からなかったが、苦しげに喘ぎながらも返事をしてくれるふぁきあに、少し安心した。ふぁきあはやめてくれそうにもなかったし、これほどにふぁきあが望んでいるものを拒むのは忍びなかった。未知の感覚は未だに恐怖の対象だったけれども、ふぁきあと一緒なら大丈夫、と覚悟した。あひるの腕から力が抜けたのを感じ取ったのか、ふぁきあは深く指を沈めた。

「はっ・・・ああ・・・ぁ」

体を突き抜ける刺激に、あひるは仰け反り、細く甘い喘ぎ声を洩らした。真っ白になった頭で切れ切れに考える。ふぁきあはあたしをどうしようというんだろう?あたしはどうなってしまうの?ふぁきあに掻き乱され、体が勝手に跳ねる。まるでふぁきあの腕の中で踊っているみたい。不規則に息をつき、これ以上早くはならないというほどに高まった鼓動をなだめようとする。縋るようにふぁきあの胸に伸ばした手は震えていた。

「ふぁきあ・・・お願い・・・」

あひるの中を掻き回しながらあひるの胸を貪っていたふぁきあが堪りかねたように顔を上げ、指を抜いて、体を持ち上げた。意識を乱す刺激が途切れてほっとしたのも束の間、ふぁきあと目が合ったあひるの背筋にぞくりと震えが走った。ふぁきあの熱い瞳があひるに何かを伝えようとしている。これから起こる何かを・・・思わずふぁきあの胸に触れている手に力を込めて体を離そうとするが、震えて力が入らない。押し退けられないふぁきあからなんとか逃れようともがくけれども、うまくいかない。反対に強く押さえ込まれてふぁきあの重量が増し、そして衝撃があひるの体を刺し貫く。

「んうっ・・・!」

その瞬間感じたのはねじ込まれる強烈な違和感で、直後に激痛が襲った。あひるは、体が内側から引き裂かれる痛みに唇を噛み締め、全身の力で堪えようとした。遠く、ふぁきあの声が耳に入った。

「痛むか?」

本当は痛くて苦しくて気が遠くなりそうなのに、心配そうなふぁきあの声を聞くと、あひるはふぁきあを安心させてあげたい気持ちになった。

「だ・・・いじょうぶ・・・」

体中に力が入っているので声が上手く出なかったけれどもどうにか答えた。

「力を抜くんだ」

ふぁきあの声は掠れていて、ふぁきあ自身も辛そうに見える。あひるはふぁきあを信じて、ふぁきあの言う通りにすることにした。そろそろと体から力を抜くと、不思議なことに痛みが少し和らいだ気がした。ほっとして小さく溜息をついたところで、更に奥まで入り込まれて、あひるはびくりと震える。

「あ・・・!」

前ほどの痛みではなかったけれど、それでも怖くて叫び声を上げようとしたあひるの唇にふぁきあの唇が重なる。あひるを力づけるように、軽く、優しく。あひるはふぁきあの祈りにも似た想いを感じ、ふぁきあを受け入れた。

ふぁきあは扉をこじ開け、あひるに新しい世界を見せた。ふぁきあの体が規則的にあひるを突き上げ、次第に恍惚感に包まれて何がなんだか分からなくなる。揺れ続けるあひるの体をふぁきあの手が這い回り、あひるはふぁきあに求められていると感じる。ただ切なくて、乱れた息の合間に、あひるはその人の名を呼ぶ。

「あっ・・・あんっ・・・ふぁ、きあ・・・ふぁきああぁっ・・・」
「・・・はっ・・・はぁっ・・・あひる・・・っ」

呼び返してくる声が、いっそう切なさをかきたてる。胸を打つ動悸が痛い。溺れた時みたいに息が苦しい。それでも名前を呼び続けずにいられない。こんなにぴったり重なり合っているのに、消えてしまいそうで怖い。確かめたい。今、この人がここにいてくれることを。

「・・・ふぁ、んっ、ああっ・・・ふぁきあっ・・・」

激しい流れに攫われ、どこまでも果てしなく運ばれていく気がする。

(・・・海・・・)

唐突にそう思ったが、その意識もすぐに流れの中に呑み込まれてしまった。あひるはふぁきあの熱さだけを感じていた。時々ふぁきあを受け入れている場所が無意識に締まって、その度にふぁきあが呻き声を洩らすので、あひるは慌てて力を抜こうとするけれども、思うようにならない。自分の体なのに自分のものじゃないみたい―と、突然ふぁきあが深く息をついたかと思うと、あひるはいっそう激しく突き上げられる。

「・・・っく・・・あひるっ・・・あひるっ・・・」
「ふぁ・・・き・・・」

なんとか答えようとしたその時、擦れ合っていた部分の緊張が限界に達して、不思議な感覚と共に何度か強く収縮した。

「あっ、あぁっ!・・・」

ふぁきあの動きが乱れて止まり、深く刺さった状態で息も止まるほどにきつく抱き締められ、あひるは意識を失う。ふぁきあの震えを体の奥深くに感じながら・・・
 
 
 

「・・・夢・・・」

ぼんやりした頭でそう認識し、最初に感じたのは落胆だった。しかし、すぐにはっとして目を見開いた。体が火照り、汗ばんでいる。着たまま寝てしまった夜着は、乱れてはいるものの、あひるの体から離れてはいない。体を起こそうとして下腹部に刺すような痛みを感じ、体を丸めてうずくまる。気がつけば体中がずきずきと痛い。そっと帯を解き、夜着を広げてみる。いつもと変わらないように見える体。ただ左胸の下辺りが熱っぽい気がして、よく見ると、小さな痣ができている。あひるは混乱し、夜着の前を掻き合わせて自分に言い聞かせた。

「夢だよね、ただの夢・・・」

けれど両脚の間はべたべたとぬめっていて、あひるが<感じて>いたということをあからさまに証明していた。頭に血が上り、首まで真っ赤になって、枕を被ってベッドに突っ伏す。それでも夢の記憶はくっきりとしたままあひるの頭の中を廻る。肌を全て晒し、隅々まで探られ、乱れて絡まりあい、そして一つに溶け合った・・・ふぁきあと。あひるはその行為が何を意味するかを知っていた。そしてそれが罪だということも分かっていた。分かっていたけれども、抗えなかった。そして胸を満たす切ない幸福感を否定できなかった―どうしてなのかは、その時のあひるにはまだ分からなかったけれど。ただ相手が誰であれ、そんな夢を見たことが恥ずかしくて、あひるは強く首を振り、夢の記憶を追い払おうとした。男女の営みを実際に知りもしない自分が、これほど具体的な夢を見るのはおかしいということなど、あひるには気にする余裕も無かった。


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