Glanz des Gold, Strahl des Silber 7



 

「ダメだ!」

いきなり彼が彼女の両手首を掴んで、身を引き剥がした。

「ど・・・どうして?」

尋ねる声が震えたけれど、ぎゅっと手首を握ったザックスの強い手は揺るがなかった。

「つまり俺は・・・俺はおまえと、こういう関係には、なりたくねぇ」

一気に血が引いた。嘆きや怒りといった激しいものではなく、ただ冷たく、鈍い痛み・・・一瞬にして心が凍りつき、真っ暗な水の中に沈んでいくような・・・

そうだった。この人は決して、一時の情熱で、大切な信頼を傷つけたりしない。分かっていたのに・・・ザックスが不器用なくらい誠実な人だということは。他の人なら状況のせいにして正当化してしまうようなことでも、彼は絶対に自分の責任を忘れない。そういうザックスを愛した。どうしてそんな彼を誘惑しようなんて―誘惑できるなんて思ったんだろう?

「ご、ごめんなさい、私・・・」

突如襲ってきた引き裂かれるような痛みにふらりと後ずさりかけたが、なぜか彼は、彼女の腕を掴んだ手にぐっと力を込めて、それを許さなかった。

「これは間違ってる。こんなふうに・・・」
「そうよね・・・こんなこと、赦されないことよね・・・恋人を裏切るなんて・・・」

金褐色の目が、きらっと獰猛に光った。ふしだらにはだけたスリップのストラップを元に戻したかったけれど―己の恥ずべき姿を隠してしまいたかったけれど、ザックスは頑として、容赦してくれるつもりはなさそうだった。

「あなたがそんな人じゃない、ってことは、私、よく分かって・・・」
「俺?俺のことは今はどうでもいいだろう」

噛み付くように言い返され、レーネは怯んだ。

「え・・・あの・・・」
「問題は、お前は今夜、ひどく動揺してる、ってことなんだ。そうでなきゃ、こんなこと、有り得ねぇからな。お前は簡単に恋人を裏切るような女じゃねぇ」
「あ・・・ありがとう」

礼儀上、一応そう答えたが、ひどく間抜けな応答に聞こえた。

「それでも今夜はあんなことがあったから、人恋しい気分になっちまうのはしょうがねぇんだろう。けど俺は、そういうのはイヤなんだ・・・」

心臓に突き立てられた刃が、ねじ込まれるよう。

「・・・誰かの代わりにお前を抱くっていうのは。今夜だけお前を抱いて、その後は忘れろなんて言われてもムリだ。俺はそんな関係には我慢できねぇ。一夜限りの慰めなんぞ、絶対に御免だ。ずっと離れない、離れなくていい、って約束が欲しい。結婚するか、せめて婚約して・・・」

さすがに途中から何かがおかしいと気がついた。

「だ、だけど、あなたは・・・それは私のことじゃないのよね?」
「は?」

太い眉がぎゅっと厳しくひそめられる。

「つまり、あなたにはもう・・・決まった恋人がいるから・・・」
「何だって?!」

荒削りな顔が恐ろしい形相になり、レーネは思わず口ごもった。

「え、えっと、フリッツとアウグスティンが・・・教えてくれたの。・・・ザックスはしょっちゅう、恋人に逢いに出かけてるって・・・」

ザックスが口汚く罵りの言葉を連ね―ほとんどは彼女の知らない言葉だったけど、たぶん、間違いなく、そうだと思う―彼女の両手首を掴んだまま、圧し掛かるように詰め寄った。

「それでお前は、それを信じたのか?」
「だだ、だって、疑う理由は無いし・・・」

それに、ザックスみたいに素敵な人なら、恋人がいて当然・・・でしょ?

「違うの?」

ザックスは右手を離して髪を掻き毟った。怪我は大丈夫なの?と心配した途端、はたとその手が止まった。

「ちょっと待て、お前、俺に恋人がいると思ってて、それでも俺に体を許すつもりだったのか?」
「だ、だって私、あなたに夢中だったから・・・」

彼女を睨みつけていたいかつい顔がかあっと赤面した。

「む・・・夢中?」
「ええ」

太い咽喉がごくりと鳴った。

「そ、それはつまり・・・つまり・・・」
「愛してるの」

見開かれた金褐色の瞳は、喜んでいるというより、呆然としているように見えた。

「あ・・・愛してる?」
「ええ」
「俺を?」
「はい」
「お前が?」
「ええ、そう」

ああ、やっとこの言葉が言える・・・

「私は、あなたを、愛してる」

絶対に言い間違えないよう、ちゃんと聞き取ってもらえるよう、一言ずつ区切って、はっきり発音した。けれど、一瞬黄金色に輝いたように思われた瞳はすぐにその光をひそめ、用心深い表情が浮かんだ。

「じゃあ、そいつのことは、もういいんだな?」

レーネはぽかんとして、太い指が指差している自分の左腿の辺りを見やった。

「そいつ?」

再びザックスに目を戻すと、男らしい顔が苦々しげに歪んでいた。

「その・・・指輪の男だ」

彼が何を指差していたのかやっと理解でき、ぱっと左手を持ち上げた。

「ああ、これ・・・」

そういえば、彼には言ってなかったんだっけ。この指輪のこと・・・

「誰だか知らねぇが、そいつのためにそれを付けてるんだろ。俺は・・・」
「あなたよ」

とっさに左手を彼の顔の前にかざし、遮った。

「は?」
「『指輪の男』」
「何だって?」

彼が戸惑うのも無理はない。彼女自身、今になって気づいたのだから。

「あなたのために付けてた、ってこと」

ザックスは全く理解不能という表情を浮かべた。レーネは微笑んで左手を心臓の前まで下ろし、彼がいない間ずっと彼女を守ってくれていた銀の指輪に、そっと感謝の口づけをした。

「つまりこれは・・・他の男の人を避けるために付けてたの。いろいろと・・・うるさくされるのがイヤだったから」
「うるさく?」
「いつか運命の人に出逢えるまで、誰とも付き合う気は無かったし、決まった人がいるフリをしてれば、しつこく言い寄られずに済んだから」

様々な感情が彼の顔をよぎり、最後に、憑き物が落ちたような―けれども、まだはっきりとは理解できていないという面持ちで口を開いた。

「つまり、誰とも・・・婚約してない?」
「してない」

少しの間まじまじと彼女の顔を見ていた後、彼ははっとした。

「じゃあ、俺と、婚約するか?」
「えっ・・・」

歓喜と戸惑いが同時に襲ってきた。彼に特定の恋人がいるわけではないことはもう分かっている。けれど、それでもまだ、ためらいがあった。

「あの・・・私でいいの?私は・・・」

言いかけた言葉は、気短に遮られた。

「俺はお前以外の女は欲しくない。お前が何者であろうと、お前がお前でありさえすれば、他のことはどうでもいい。どうなんだ、俺と婚約するのか?」
「ええ、もちろん!」

急き込むような、勢いの良すぎる返事に、彼は疑わしげな眼差しを向けた。

「婚約したら、結婚するぞ?」

その文章のおかしさを指摘する余裕など無かった。レーネはただ、思い切りぶんぶんと縦に頭を振った。

「離婚はしないぞ?ずっと一緒に暮らすことになるんだぞ・・・俺と」

さらに激しくうなずく。やっとザックスの顔に希望が浮かんだ。

「本当に・・・本当に、俺と結婚してくれるか?」

掴まれていた手を振り払い、大きく、温かな胸に―恋い慕い続けた約束の場所に―飛び込んだ。

「あなたと結婚したい!ずっと一緒に暮らしたい!二度と離れたくない!!」

逞しい首を両腕にしっかりと抱き締め、彼の匂いを感じながら、ざらつく頬に頬を摺り寄せる。鋼のように強靭な腕が背中に巻きつき、きつく締め上げられた。

「離すものか!俺のレーネ!!」

息が止まりそうな抱擁と、喜び。めくるめく奔流に、世界が瞬時にして呑み込まれた。お互いの手が、体が、互いを確かめ合い、激しい熱を与え合う。空間も、時間も、あらゆる隔たりが消え去り、やがて一つに溶け合った。


 

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