冬の日



 

ぎゅっ、ぎゅっ、と雪を踏みしめ、朝日に白く輝く一本の樹に歩み寄る。

「いったいなんの騒ぎだ、エーファ?」
「ああ、ザックス、いいところに・・・」
「ザックス?ザックスが来たのか?」

頭上1mほどのところに伸びる太い枝を見上げて笑った。

「おう、えらくにぎやかだな、ヴァルター。しかし何でまたこんな雪の中、そんなところに、坊主と一緒に登ってるんだ?」
「一緒に登ったわけじゃない、ふぁきあが・・・ふぁきあ、いいかげん泣きやみなさい。ザックスおじさんが来てるぞ。泣き顔を見られたら恥ずかしいだろう」

辺りに響き渡っていた甲高い音がぴたりと止まり、しゃっくりのような音が取って代わった。

「ひっく、ザックス、ひっく、おじさん?」
「ああ、ここにいるぞ。どうしたいたずら坊主?今度は何をしでかした?」
「あのね、ひっく、ちーちゃんが、ひっく、いたのに、ひっく、いなくなっちゃったんだ、ひっく」
「ちーちゃん?」

隣から囁く声がした。

「小鳥よ。ふぁきあが拾ってきた」
「なるほどな。で、そいつを放そうとしたら、またふぁきあがイヤがって泣き出したってわけだ」
「・・・死んだの。すっかりこごえてて、もう手のほどこしようがなくって・・・ヴァルターがこっそり埋めてくれて、ふぁきあには、元気になっておうちに帰ったって言ったんだけど、納得できなかったらしくて・・・気がついたら樹の上で泣いてたの。絶対どこかにいるはずだって」
「ああ・・・」

頭を掻いてから腰に手を当て、梢を振り仰ぐ。

「おい、ふぁきあ、ちーちゃんはもうここにはいないぞ。泣いてもわめいても二度と戻っては来ない。もうこの世にはいないからな」
「ザックス、何を・・・」

引き止めるように腕に触れた手をぽんぽんと叩きながら続ける。

「よく聞けよ、ふぁきあ。世の中には思い通りにならないこともある。正しいはずのことがそうはならないこともあるし、どう考えたって間違ってるとしか思えないようなことが起きることもある。それでもお前は、そこから目をそらしちゃいけない。しっかり見て、勇気を持って立ち向かえ。泣いてもいいが、逃げてはダメだ。目をそらして何も無かったようなフリをしたり、グズグズと認めるのを引き伸ばそうとしたりするのは、弱いヤツのすることだ。お前の両親は強い人間だ。お前はその血をひいている。きっと強くなれる」
「・・・つよく?」
「ああ、絶対だ、間違いねぇ。わかったらちーちゃんにお別れを言え。お前の心配をせずに、ちゃんと飛んでいけるようにな」
「いっちゃうの?」
「そうだ。だがお前はどこにでもその姿を見ることができるはずだ。お前が覚えている限りはな」

数瞬の間、小鳥のさえずりだけが聞こえた。

「・・・わかった」

一拍置いて低く落ち着いた声がした。

「・・・ザックス、ふぁきあを受け取ってくれ。幹が凍ってて、抱いて降りるのは危険なんだ」
「ああ、いいとも」

気安く答えて、相手が今度は己の腕の中に向かって話しかけるのを見守る。

「ふぁきあ、跳べるな?」
「やめて!無理よ、危ない!」
「だいじょうぶ、ふぁきあは男の子なんだ。跳べるだろう、ふぁきあ?」
「うん!」
「でも・・・」
「心配すんな、俺は牛みたいな大男だって投げ飛ばせる。ふぁきあぐらい、落っことしゃしねぇよ」

不安顔に向かってニヤリと笑う間に、頭上では話がまとまっていた。

「よし。合図で跳ぶんだぞ、ふぁきあ」
「うん。いくよ、ザックスおじさん!」
「そら来い、坊主」
「一、二、三!」

軽やかな歓声が腕の中に降ってきた。

「できた!」
「よっしゃ、上出来だ、ふぁきあ!それ、母さんのところへ行きな」
「おかあさん、とべたよ!」
「そうね、すごいね、ふぁきあ。でも二度とこんなことしちゃダメ。わかった?」
「うん・・・ごめんなさい」
「手がこんなに冷たくなってる・・・早くあったまらなきゃ。ザックスもヴァルターも・・・ヴァルター!」

悲鳴がどさどさという落下音に重なった。

「いてて・・・やれやれ、ふぁきあの方がずっと下りるのが上手だったな・・・このお尻の下の雪山が無ければ、もっとひどいことになってたかもしれない」
「あんたを受け止めた方が良かったか?」
「そうだな」
「おとうさん、だいじょうぶ?」
「平気だ。エーファ、早く家に戻ってふぁきあを温めてやってくれ」
「わかった。ヴァルターも早くね」

足早に小さな家に向かう母子を見送ってから振り向くと、父親の方はまだ樹の根方の雪塊の上に座り込んでいて、きまり悪げに微笑みかけてきた。

「ザックス、悪いが手を貸してくれないか?ちょっと足をひねったらしい」
「おい、大丈夫か?」
「ああ、たぶんたいしたことはないと思う。ただ、家に入るまでにまた転んで、ひどくしたくない」
「そら」

肩を貸して立ち上がらせる。

「ありがとう・・・ふぁきあを下ろすのを手伝ってくれたことも。ちゃんと道具を揃えてから登ればよかったんだが、ふぁきあが落ちそうになってたもんだから・・・」
「想像つくぜ。子供がやるこたぁ、大人にゃ予想もつかねぇ。しかし、ふぁきあはよくこんな樹に登れたな。幹が凍ってるうえに雪が付いてて、滑って掴めやしないだろうに」
「正確には登ったのは樹じゃない。それだ」

歩きながら顎で示された先を振り返って見る。

「それ?その潰れた雪の山か?」
「雪のお城『だった』んだ」
「『お城』ねぇ・・・」
「二、三日前に作ったんだが、さっきふぁきあが登ったのがはずみで崩れたようだ。ふぁきあはもう樹の方へ登ってたから・・・ああ、ふぁきあが枝に乗るまでは、枝には雪が積もって、もっと下の方まで垂れてたんだ。それで雪の城が崩れた時、ふぁきあはそっちに移ってて大丈夫だったが、下りられなくなった」
「ははぁ、なるほど。さあ着いた」

雪が除けられて最上段だけが頭を出している踏み段の上で、踵を打ちつけて雪を落とし、扉の取っ手に手をかける。その上に、すっと、冷えきった手が置かれた。

「もう一つ。ふぁきあに言ってくれたこともありがとう。本当は僕達が言わなきゃいけないことだったのに・・・」
「いや。それに他人から言われた方が素直に聞けるってこともあるしな。ああいうこたぁ、親に言われても、甘えが出て、すんなりとは受け入れられねぇんじゃねぇか?」
「そうか・・・そうかもしれない」

ぴくりと眉を上げて軽口を叩いた。

「ふぁきあがあっさり納得して、俺の方が驚いたぜ。まだ今日でやっと5歳だろ?おれがさっき言った事を自分で理解したのは、もう30になろうかって頃だったぞ」
「いや、ふぁきあは、その、本当には分かってないと思う。特に『死ぬ』ということについては。ただ、自分に理解できる部分だけ理解して、なんとなく分かったような気になってるだけだろう」
「そりゃ誰だってそうさ。さあ、約束のクリスマスのごちそうをふるまってくれ。そうだ、その足もちゃんと手当てしろよ」

言いながらぐいと取っ手を引く。

「ああ、分かってる・・・ただいま!ああ、ここは温かいな!ほっとするよ」

まったくだ。

あふれる笑顔を見回し、そっと微笑んだ。


 

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