まばらに草の生えた崖っぷちで馬を止めたクリスの目に映ったのは、既に敵に囲まれて交戦している国王一行の姿だった。クリスは瞬時に、国王達が人数の割に善戦してはいるものの、明らかに不利な状況にあることを見て取った。その時、国王に向かって背後から敵の騎士が剣を振りかざした。クリスはとっさに矢をつがえ、狙いを定める間も無くその騎士に向けて射た。クリスが放った矢は騎士の鼻先をかすめて通り過ぎただけだったが、騎士は明らかに意表を衝かれた様子で少し馬を引いた。地面に突き刺さった矢を見て、その出所を探して振り返った騎士と目が合った、ような気がした。クリスはそのまま、斜面ぎりぎりに止めた馬の上から立て続けに矢を射掛け、敵の兵士を何人か仕留めたが、適当に一掴みだけ携えてきた矢はあっという間に尽きてしまった。パルシファルに頼んでおいた援軍はまだ来ない。クリス自身は急いで飛び出してきたため、ろくな装備をしてきていなかった。甲冑も無く、残る武器は守り刀として持たされている腰の剣だけ。しかも正式に軍に加わる許可もまだ得ていない。だが、このままここで手をこまねいて、味方の苦戦を眺めているわけにもいかなかった。クリスは覚悟を決め、弓と空の箙をその場に投げ捨てると、手綱を掴み直し、岩だらけの急な斜面に飛び出した。

一気に崖を駆け下りたクリスがほっと一息つく間も無く、一人の騎士が馬を飛ばせて近づいてきた。名乗りもなくいきなり振り下ろされた剣を、クリスは間一髪で自分の剣を抜いて受け止めた。見覚えのある甲冑と馬から、それが先程国王に切りかかっていた騎士だと分かった。クリスは思い切り力を込めて剣を跳ね返し、その騎士を睨みつけた。騎士はニヤリと笑ってクリスを見返した。兜の下から、燃える炎のような赤い髪と、晴れ渡った空のような青い瞳が覗いていた。その澄み切った瞳の強い輝きに、一瞬クリスは見入ってしまった。

「鎧も付けずに参戦するとは、たいした度胸じゃないか」

騎士の声にクリスは我に返った。声の響きは若く、よく見ればクリスと同じ年頃か、もしかしたら少し年上かという程度の少年らしかった。

「俺の作戦を見抜いたのはお前だけだったみたいだな。お前は俺が相手してやる」

否とも言えず、クリスは再び切りかかってきた騎士に応戦した。クリスは、自分の身を守るために一応の剣技の手ほどきは受けていたし、いずれ騎士になるための訓練も積んでいた。しかしこの相手は、年も体格もそう違わないのに、はるかに実戦慣れしているようだった。剣を体の一部であるかのように自在に操り、間断なく攻撃を繰り返してくる。それでもクリスは懸命に相手に喰らいつき、素早い身のこなしで相手の剣を受け止め、あるいはかわしては、隙を突いて切りつけた。剣先は何度か相手の体をかすめ、一度は甲冑の手甲を確実に捉えた。

「やるな、お前。ただの頭でっかちじゃないらしい」

しかし実力の差は歴然としていた。次第にクリスは押され、息が上がって動きが鈍ってきた。クリスの黒い髪が数本切られて宙に舞い、頬につけられたかすり傷から細く血が滴った。相手はほんの僅かに呼吸が速くなっているだけで、まだ普通に喋る余裕があった。

「殺すのは惜しいが、お前を生かしておくと、後々、俺達が危ないからな。お前とやり合えて楽しかったよ。だが・・・」

相手の剣が空気を裂いて閃き、自分に振り下ろされるのが分かったが、もはや避け切れそうもなかった。

「これで終わりだ!」

クリスが覚悟した瞬間、何処かから飛んできた矢が、剣を握った相手の手に突き刺さった。

「王子!」

誰かがとっさに叫んだ声が耳に入った。相手の騎士は手を押さえて顔を顰めると、声のした方を睨んだ。そこへ多数の蹄の音が降るように響いてきた。クリスが振り返るとパルシファルの父親に率いられた一団が怒涛のように崖の上から駆け降りてきていた。そして先頭に立つパルシファルの父親の隣には、病で寝ているはずの自分の『父』が、弓を脇に抱えて駆けて来るのが見えた。

「ちっ!」

手傷を負った騎士は鋭く舌打ちし、力任せに矢を引き抜くと、辺りを見回しながらよく通る声で命令を下した。

「撤退する!!」

騎士は、今度は自分達が状況不利と判断したらしかった。その、まだ少年と言っていい騎士の指示に敵の兵士達が速やかに従う有様は、先程の一言を聞いていなければ、とても信じられないものだった。そしてシディニアの軍勢は、まるでつむじ風のようにあっという間に見えなくなってしまった。パルシファルの父親が国王に駆け寄っていき、国王が、切り裂かれてぼろぼろになったマントを翻して不敵に笑うのを、クリスは呆然と見ていた。

「クリス・・・」

自分にかけられた言葉にはっとして振り返ると、『父』が微笑んでいた。

「無事で良かった・・・」

『父』はそのまま崩れ落ちた。


 

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