くしゃくしゃになったシーツの上で甘くけだるい余韻に浸りながらも、彼は、彼女がずっと何か考え込んでいることに気づいていた。細い指に彼の密生した胸毛を巻きつけては解き、時々引っ張ったりして弄びながら、ふっと、本人も気づいていないであろうくらいのかすかな溜息を洩らしている。ついに彼はじれったくなってずばりと尋ねた。

「どうした?なんか気になることでもあるのか?」

彼女ははっとして指に絡めていた金色の毛を放し、上目遣いに彼を見て、首を振った。

「・・・ううん、なんでも・・・」

そうは言ったものの、なんでもないとは見えなかった。彼女は再び彼の胸に目を落とし、しばらくそのままじっとしていた。が、しなやかな指先はいつのまにかまた所在なげに毛むくじゃらの胸を這っている。彼は少し待った後、真面目な口調で呼びかけた。

「レーネ」

彼女はぱっと手を引き、決まり悪そうに彼の顔を見た。それでも頑固に口をつぐんでいたが、ふと何かに気づいたような表情になり、すっと小首をかしげた。

「ザックス?」
「ん?」
「もしイヤだったら答えなくてもかまわないんだけど・・・」

彼はわずかに眉をひそめた。

「前から気になってたんだけど・・・ザックスは、その、妊娠してる人と・・・つまり私以外のってことだけど、寝たことある?」

長い沈黙。結局彼は、低くかすかな声で、正直に答えた。

「・・・・・・ある」

だが彼女の反応は彼が予想していたものとはまるで違っていた。彼女はほっと息をつき、得心したように言った。

「そう。だから良く知ってるのね」

いろいろな女の抱き方を。

彼は心の中で毒づいた。それが自慢できることとは思えなかった―今では。つい、とげとげしい口調で返す。

「ああ。あいつらはあれこれ注文が多かったからな」

亭主どもにバレないようにすることも含めて。まあ、例外はあったわけだが。

「ふうん」

彼女はそのまま黙った。彼は我慢できずに訊いていた。

「お前、嫌じゃないのか?」
「ううん」

何が?とも尋ね返さず、彼女はあっさり答えた。

「だってザックスはとっても気を遣って上手にやってくれるし、私は何も心配しなくていいから」

なんでそう、ためらいもなくきっぱりと言い切れるんだ?

彼女の態度に、彼は身勝手にも苛立ちを覚えた。

簡単に過去の女関係を赦して、ちらっとも嫉妬しねぇのは、もしかして、たいして俺に執着が無いからじゃねぇのか?俺がこいつの・・・こいつを手に入れ損ねた馬鹿男のことを聞いた時は、頭が焦げつきそうなくらい嫉妬したのに。

彼はぶすりと黙り込んだ。

「それにね・・・」

彼の不機嫌を察したのかどうか、彼女は口調を変え、少しはにかむように言いよどんだ。

「あなたは私を選んでくれた。それが嬉しいの。自分が、とっても・・・特別だって思えるから。ザックスは私だけのもの、今はね」

現金にも、鬱屈した気分はあっさり霧散した。

「私を手に入れたのも、ほんとの意味では、ザックスだけだと思ってるし、ザックスも私のこと、唯一人の女だと思ってくれてる。それでいいと思わない?私は今、幸せだし、これ以外のことは望まない」

上手くなだめられたのは分かっていたが、それでも嬉しくて、口元が緩んだ。怒りがそがれると同時に、冷静な判断が戻ってきた。

「そうか」
「うん」
「で、ほんとは何が気になってるんだ?」

彼にもたれかかろうとしていた彼女がぴくりと動きを止めた。溜息混じりに彼を見上げて呟く。

「・・・ザックスには隠せないのね・・・」

彼女は身じろぎ、わずかに体を離して彼の分厚い胸の脇に肘をついた。

「・・・今日、あなたが出かけた後、町で・・・噂を聞いたの。都からの命令で、来年の春、この町から兵隊を出す、って・・・」
「ああ、そのことか」

美しい憂い顔の横に垂れたほつれ髪を耳にかけてやりながら、彼は何気ないふうにうなずいた。

ちくしょう、どこのどいつだ、余計なことを吹き込みやがって。それでこいつは動揺してたのか。でなきゃ酒場の亭主みたいなヤツをうっかり近寄らせたりなんかしなかっただろう。どうせ俺達にゃ関係のねぇ話だ、できればこいつには知らせずに済ませたかったのに。

「俺は行かねぇよ。ああいうのはこっちじゃたいてい、独りもんの次男坊とか三男坊から選ばれるんだ。俺にはお前がいるし、もうすぐ子供も生まれるからな」

それに妻がシディニアの生まれだってことは知れ渡ってるし、と心の中で付け加える。不安げな面持ちの彼女にきっぱり言い切った。

「俺が行かされることはまずねぇだろう。もし行けって言われたってなんとか断るさ」

彼女はほっと息をつき、それから慌てて言った。

「喜んじゃいけないって分かってるけど・・・でも・・・そう言ってくれて、嬉しい」

ためらいがちな微笑に気が緩み、思わず尋ねていた。

「やっぱり、俺がお前の国と戦うのはイヤか?」

ああ、くそ!なんで俺はこう、間抜けなんだ!

さっと笑みを消してうつむいてしまった彼女に、彼はまたしても自分に罵声を浴びせつつ、急いで謝った。

「・・・悪い、バカなことを訊いた。忘れてくれ」

取り繕うようになよやかな体に腕を回して抱き寄せようとしたが、彼女は身を強張らせて拒んだ。

「レーネ・・・」
「イヤ。すごく」

情けなく哀願しかけた彼を遮り、彼女がきっぱりと言った。彼は手を止めてうなずくしかなかった。

「ああ・・・そうだな。当然だ。悪かった・・・」

己の馬鹿さ加減を呪いながら引っ込めかけた武骨な腕を、ほっそりした手が強く捕らえた。

「私、あなたに逢うまでずっとこっちの、ノルドの人は、非道で残酷な、怪物みたいな人達だと思ってた。礼儀も思いやりも知らない野蛮人だと」

・・・何て反応すりゃいいんだ?そんなわけねぇだろうって?それとも、俺もシディニアの人間のことをそう思ってたからお互いさまだって?

「でも違った。私にひどくしたのは私の国の人で、あなたはとても優しかった。おじいさんも、兵隊さん達も、みんな親切だった。たぶん、王様も。知らなければ、逢わなければ、ずっと誤解したままだったでしょう。そうして、悪い人達をやっつけるのは正しいことだと信じ、ノルドの王様も兵隊さん達も、そしてあなたをも、滅ぼして当然だと思ってたかもしれない」

華奢な体の震えが、掴まれた腕を通して伝わってきた。

「でも、今は、絶対に、そう、思えない。シディニアのみんなにも・・・ノルドの人達にも、そう思って欲しくない。みんなに知って欲しい・・・たくさんの人が、国境の向こうとこちらで、毎日何を願い、どんなふうに暮らしているのか」

彼はたまらず、手を上げて冷えた小さな肩を抱こうとしたが、彼女は首を振って彼の腕を掴んだ手にぎゅっと力を込め、真っ直ぐに彼の目を見上げた。

「私達、何のために戦ってるの?幸せになるためじゃないの?それなら他にも方法はあるんじゃない?兵隊を・・・あなたのような男の人達を、戦場に送って、殺し合う前に。私達は、話し合うことだってできる。私と、あなたのように。それがどんなに大変でも、イヤになるくらい果てしないとしても、あきらめてしまうよりずっといい」

それは・・・そういうこともあるかもしれない。だが、武器を取って戦うことにも理由が無いわけじゃない。時にはどうしようもないこともある。大切なものを・・・愛するものを守るためには。

・・・そうだろうか?それは、本当にそのものを守ってるのか?

「もしあなたが戦場に行ったら、私は、毎日死にそうに心配しながら、あなたの帰りを待つよ。それは私がどこにいようと変わらない。ノルドでも、シディニアでも、どこでも」

返す言葉が無かった。愛らしい唇からこぼれる声は凛として、口調は厳しく、言葉は強く彼を打った。

「分かってくれる、ザックス?ノルドで待つ人も、シディニアで待つ人も同じ、ってこと」
「・・・ああ・・・」

声が引っ掛かって裏返り、彼は一度言葉を切った。

情けねぇ、まるで涙で咽喉が詰まったみてぇに思われるじゃねぇか。俺は泣いたりしねぇのに。

「・・・ああ、分かるよ。俺にも、今なら分かる・・・俺は・・・シディニアの女を、こんなふうに、心底想うようになるなんて、思ってもみなかった。愛しいと思う気持ちに壁は無いんだって・・・俺達は何も違わない、真剣に誰かのことを心配したり、愛したりできるんだって、知らなかった・・・」

温かく微笑む彼女を見た瞬間、唐突に一つの聖句が頭をよぎった。

「『神はそのひとりごを賜ったほどにこの世を愛して下さった』・・・」
「”ヨハネ”ね?」

すぐさま彼女が指摘し、彼は少し驚きながら答えた。

「ああ、そうだっけな。聖書のどこにあるんだかまでは覚えてねぇが・・・」

きまり悪げに太い親指の先で額を掻き、ぼそりと付け足した。

「俺はお前に出逢って初めてこの言葉の意味が分かった。神はお前を与えてくれたほどに俺を愛してくれたんだ、ってな」

彼女が困惑した表情でたしなめるように言いかける。

「ザックス、神の御子と人とをそんなふうに・・・」
「そうじゃねぇ。いや、そうとも言えるが、そういうことを言いたかったわけじゃなくて、つまり・・・」

唇を舌で湿らせながら、一生懸命頭の中を整理した。

「俺は今までこの言葉を・・・これに限らねぇ、聖書が言ってることが本当だって、実感したことがなかった。正直言って俺はお前に逢うまで、神が俺を愛してるなんてとても思えなかった。親にも見捨てられ、友達とも女達ともうすっぺらな付き合いで・・・俺自身、愛してるって言えるほどの強い感情を持つとも、持たれるとも思えなかった。俺はずっと・・・自分は誰からも愛されないって、信じてたんだ」
「そんなこと・・・」

彼は強く首を振って彼女を遮り、大きな手でなめらかな肩を包んで力を入れた。

「けどお前を与えられて、俺は初めてこの言葉を実感した。神は俺を愛してくれてるって。俺はひとりぼっちじゃない、運命は俺を見捨ててなかったって」
「ザックス・・・」

声を震わせて言葉を途切らせた彼女の瞳を真っ直ぐ見つめたまま、掴んだ肩をそっと引き寄せた。白大理石の額にかかる髪を唇で掻き分けてキスを落とし、そのまま生え際に沿って耳元まで唇を滑らせる。

「お前は天からの贈り物だ。お前がいるだけで俺の人生は輝き、意味を持つ。お前を与えてくれた神に、俺は感謝する」

輝く露を乗せた長い睫をしばたたかせ、彼女が微笑んだ。

「・・・ありがとう。ザックス」
「礼を言うのは俺の方だ。いてくれてありがとうな、レーネ」
 
 
 

外では雪が音もなく降り積もっていた。


 

 続き Fortsetzung

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