クリスは焦っていた。途中、迷いそうな箇所は全て探したが、リンデはいなかった。考えてみれば、子供の頃から何度も通ったはずの道で迷うというのも変だったが、リンデならありうるという気もした。クリスは昼間見かけたリンデが薄着だったことを思い出して苛立った。この季節、昼間は暑いが、日が暮れれば風は冷たくなってくる。あのままの格好で出てきたなら、夜風に弄られて寒い思いをしているに違いない。舌打ちしてその場を離れようとしたクリスは、ふいに、風に混じって運ばれてくる仄かな甘い香りに気づいた。

自分でも気づかぬうちにクリスは馬から降り、手綱を放していた。甘い香りに引き寄せられるように森の奥に向かって進んだクリスは、身長ほどもある雑草の茂みを潜り抜けて息を呑んだ。視界に飛び込んできたのは、小さな窪地に広がる、白い花をつけた灌木の群生だった。強い香りはその大きめの白い八重の花が放っているのだった。まだ月は樹々の上に顔を出しておらず、暗い森の中には明かりなどないはずなのに、まるで花自体が光っているかのように、そこだけが明るく輝いて見えた。そしてリンデはそこにいた―白い花園の中ほど、リンデを夜風から守るように枝を伸ばした灌木の下に、穏やかな微笑を浮かべて横たわって。

考える間も無くクリスは地面を蹴り、低い土手を飛び降りた。香気が狭い窪地に溜まっていたのか、あまりの香りの強さにクリスはくらっと眩暈がした。辛うじて足を踏みしめて意識を保つと、乱暴に灌木を掻き分け、リンデに走り寄った。小さな棘がひっかかってかすり傷をつけたが、クリスはまるで気づいていなかった。くずおれるようにリンデの傍にひざまずき、そっと背中に手を廻して抱き起こした。長い睫の白い瞼がかすかに揺れ、そしてゆっくりと開いた。

「ん・・・クリス・・・?」

リンデは大きな瞳をぱっちりと見開いてクリスを認め、幸せそうに微笑んだ。

「リンデ・・・」

それだけ言ってクリスは声を失った。言いたい事はたくさんあったはずなのに、言葉が出なかった。リンデを腕に抱えたまま呆然としているクリスに、リンデは少し不思議そうに首を傾げ、それから再び楽しそうな笑みを浮かべた。

「あのね、今、夢を見てたんだ。火祭りで、クリスと踊ってるんだよ。そしたら急にクリスが私の目をじいっと覗き込むの・・・目が醒めたらクリスがそっくりおんなじように覗き込んでるんだもん、なんだか夢の続きみたい・・・」

リンデはくすくすと笑ったが、ふいに笑顔が消えて、夢から醒めたような表情になった。

「でも、踊ってたのは夢なんだよね。クリスが私と踊ってくれるはずないもん」

クリスは僅かに眉をひそめて無言でリンデを見つめた。リンデはそれをどう受け取ったのか、慌てて謝った。

「あっそういえば私、勝手に家を抜け出しちゃったんだった。あの・・・ごめんなさい。わざわざ探しに来てくれたんだよね?怒ってる?」

何も答えないクリスに、リンデはますますしょげた顔になった。

「ごめんね・・・私、どうしても火祭りに行ってみたかったんだ。でも、火祭りに行ってもお兄様やクリスが他の女の子達と踊ってるのをただ見てるだけなんだな、って思ったら、なんだか急に行きたいって気持ちが消えちゃって・・・森の中で立ち止まっちゃったの。そしたらなんだかすごくいい香りがするから、ついふらふらっとここまで来て・・・で、この花の香りを嗅いでるうちにだんだん気持ち良くなって、いつのまにか眠っ・・・」

リンデが全部話し終えないうちに突然クリスが動き、リンデを胸に抱き寄せた。驚くリンデの頭を抱きかかえ、クリスは低い声で、懇願するように囁いた。

「・・・僕から、離れるな・・・」
「ん?うん」

リンデは素直に頷いたが、クリスの腕の力はますます強くなり、リンデの小さい体をぎりぎりと締め付けた。

「クリス・・・苦し・・・よ・・・んっ!」

急に唇を唇で塞がれてリンデは硬直した。ほんの数秒間だったはずだが、完全に息が止まり、唇が離れるやいなや、咳き込むように激しく呼吸しなければならなかった。
 
 
 

熱く激しい、一言では表しようのない感情がクリスを支配していた。心配していた、見つからなくて焦った、無事で嬉しい、失くしたくない・・・欲しい。そんな様々な気持ちが激流となってクリスの心で渦巻いていた。抱き締めてその存在を確かめ、強く深く触れずにはいられなかった。リンデの唇は、菩提樹の花の蜜のように繊細な甘さでクリスを捉えた。誰かが心の中で「もっと」と囁く。クリスは自分がぎりぎりのところに立っているのを感じていた。
 
 
 

「・・・リンデ・・・」

聞いた事のない、低く掠れた声音で呼ばれて、リンデの背筋がぞくりと震えた。

「僕の・・・」

クリスはそれ以上言わず、再びリンデの頬に手を当てて顔を近づけた。リンデはクリスの瞳を見て何かを感じたらしく、わずかに体を強張らせながらも、黙ってクリスを受け入れた。口づけは次第に深くなり、むせ返るような花の香りで頭が甘く痺れた。幻想かと紛う白い闇に身を委ね、二人は何度か唇を重ねた。


 

 続き Fortsetzung

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