川の中州―だったと思しき場所―に砦の一部があったらしく、濁流の中に僅かに木組みの櫓らしきものが突き出ていて、そこに三人の男が取り残されていた。二人は若く、一人は年配で、そしてかなり身分の高い騎士であるように見受けられた。
 
 

地面に引き倒されたクリスを見て部下達が走り寄ろうとし、当然、監視の兵達と揉み合いになった。

「やめろ!」

クリスと同時に監視役の男が叫び、兵士達はクリスの部下から手を離した。クリスは、彼の周りに集まってきた部下達に囲まれて身を起こした。今や、川の近くに立った彼ら全員の目に、中州の状況が見えていた。
 
 

中州の櫓まではかなりの距離があった。崖側の兵士達は櫓に向かって何度もロープを投げていたが、その度に空しく水の上に落ちて流されていた。クリスは一瞬、弓矢を使うことを考えたが、このひどい雨ではたぶん役には立つまいと予想できた。流れはそう速くは見えないが、強大な力で何もかも押し流していく有様は、まるで巨大な蛇が辺りのものを薙ぎ倒しながら進んでいくようだった。
 
 

兵士達のざわめきを制するように、監視役の男が奥の塔の方へ顎をしゃくって短く命じた。

「彼らを」

兵士達が命令に応じて動き出すよりも前にクリスが口を開いた。

「僕を行かせてくれ」

監視役の男はわずかに目を細めてクリスの顔を見た。

「僕が泳いで救助に行く」
「バカな」
「正気ですかい?!奴らは敵ですぜ?!」

クリスの申し出を一言の元に切り捨てた監視役の男の声に重なるように、非難めいた声を上げたのは、部下達の中のリーダー格のザックスという男だった。彼は最も反抗的で、牢の中でもまだクリスに口をきいてはいなかった。そのこともあり、クリスは驚いて彼を見た。

「シディニアの言葉が分かるのか?」

クリスが監視役に話しかけていた言葉はシディニアのものだった。ザックスは吐き捨てるように言った。

「国境近くじゃ別に珍しくもねぇ。そんなことより、なんで奴らを助けようなんて?ここで死んでくれれば儲けもんじゃねぇですか」

クリスは厳しい口調で答えた。

「今、取りあえず闘わなければならない相手は彼らじゃない。それに彼らにも待っている人はいるんだ。戦場で剣を交えるなら、殺すことも殺されることも承知の上だ。だが、こんなふうに命が失われるのを見て、良かったと思うことはできない」

クリスとザックスの問答を聞いて、他の部下達にもクリスの意図が分かったらしく、不安そうにクリスを見た。別の部下がおずおずと口を開いた。

「それよりこの隙に・・・」
「それは無理だ」

みなまで言わせずにクリスは遮った。

「兵士は他にもたくさんいる。彼らを振り切っても、すぐ別の兵士が来る。それにおそらく、外に通じる道はこの川だけだ。今はこの砦から出ることさえできない。無謀なことはするなよ」

何とも言いようのない妙な顔をしてクリスを見返している部下達に、クリスは自分の言った言葉の矛盾に気づいて笑った。

「大丈夫、僕は君達を無事にノルドに帰すまでは死んだりしないよ」

シディニアの兵士達にはクリス達の会話が分からないのだろう、困惑した表情でクリスと監視役の男の顔を交互に見ていた。救助にあたっている兵達もこちらが気になるらしく、懸命に努力を続けながらも、ちらちらとこちらを窺っていた。監視役の男がようやく口を開いた。

「本気なのか」

彼は先程からノルドの言葉でクリス達に命令していたことからクリスが予想していたとおり、クリス達の会話を理解しているようだった。

「ああ」

クリスは頷いた。

「他に手は無い。大切な人達なのだろう?あらゆる手段を尽くすべきじゃないのか」

男はほんのわずかの間の後、クリスに尋ねた。

「騎士の名誉にかけて、逃亡しないと誓えるか?」
「誓おう」

クリスは即座に答えたが、男は更に言った。

「縄を解くのはお前だけだ。他の捕虜達の拘束は解かない」
「それでいい」

クリスが答え、男は決断した。
 
 
 

縄を解かれたクリスは兵士達からロープを受け取り、一方の端を城壁に埋め込まれた荷の上げ下ろし用の鉄の金具に結びつけるように指示した。そしてもう一方の端をシャツの上から斜めに二重に巻きつけ、きつく結びながら、中州との距離を測りつつ、左手、上流側に向かって少し進んだ。長靴を脱いで城壁の上に立ったクリスの唇が小さく動いて何かを呟いたが、誰にも聞き取れなかった。次の瞬間、クリスは濁流に身を躍らせた。

クリスは泳ぐと言うより水に押し流されるようにして、わずかに残った中州の櫓に近づいていった。何度か流れに呑み込まれそうになりながらもなんとか辿り着いたクリスを、二人の兵士が引き上げた。泥水を滴らせながら櫓によじ登ったクリスに、年配の騎士は、二人の兵士を視線で示して言った。

「彼らを先に」

その一言でクリスは、何故彼らがここに取り残されることになったのか分かったような気がした。

「司令官閣下を置いては行けません!」

兵士達は難色を示したが、クリスは体に巻きつけていたロープを解いて櫓の梯子にきつく結わえ付けながら、半ば命令口調で彼らを促した。

「この人は僕が必ず連れて行く。早く行くんだ」

クリスの意外な威厳に押されたのか、兵士達は渋々ながらも従った。ロープに取り付き、一人、また一人と崖の砦へと向かう。しかし、二人目がもうすぐ城壁に着こうという時、流れてきた大きな倒木がロープに引っ掛かった。

(まずい)

ロープがぎりぎりとしなり、十秒と経たないうちにちぎれて撥ね飛んだ。勢いで櫓の梯子が引きちぎられ、櫓が少し傾いた。クリスはとっさに老司令官に手を伸ばして肩を掴んだが、司令官は自力でなんとかしがみついていた。クリスが城壁の方へ目を遣ると、先程の兵士は千切れたロープの途中にしっかりと掴まり、城壁の真下辺りで流れに洗われていた。砦側の兵士達が大急ぎで彼を引き上げる。ほっとしたのも束の間、今度は自分達の問題に直面した。自分達を引き戻してくれるべき命綱はもうない。以前、川に落ちた友人を助けたことはあったが、さすがにこの濁流の中、人一人抱えて無事に泳ぎきる自信はなかった。万事休す。クリスは唇を噛んだ。


 

 続き Fortsetzung

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