「アンリ王子がお会いになる」
数日後、誰かが到着したらしく外が騒がしくなったと思うと、しばらくしてクリスは捕らえられている房から引き出された。クリス達は砦の残った塔部分に設けられた牢に入れられていた。濁流の中で負った傷には手当てが為され、待遇も以前よりはるかにマシになっていたが、しかし当然ながら、相変わらず行動の自由は無かった。
 
 
 

「お前か!」

クリスが部屋に入った途端、奥から張りのある声が飛んできた。質素な一対の木の机と椅子があり、その若者は腕を組んで机の前に寄りかかっていた。そして机の上には、クリスの剣が置かれていた。

「あなたは・・・」

ちゃんと顔全体を見たのは初めてだったが、そのよく通る声と炎の色の髪には覚えがあった。そしてなによりその、強烈な青い瞳に。それはクリスが初めて剣を交えたシディニアの騎士だった。

「やれやれ、変な奴がいるものだと思ったら、お前だったとはな」

アンリ王子は、そばかすの残る強気そうな顔に呆れた表情を載せた。

「お前を逃がしてやらなきゃならんとは、父上も情だか義理だかに引きずられて、早まったことを決めてくれたものだ」

クリスが意味が分からなくて黙っていると、王子は組んでいた腕をほどいて言った。

「お前が助けた司令官は、父上のいとこだ。父上は感謝の印に、お前達を解放すると決めた」

後ろを向いてクリスの剣へ手を伸ばしながら、アンリ王子は溜息交じりの口調で続けた。

「お前達には使い道があったんだが。しかもお前だったら尚更、逃がすなどとんでもないことだ。だが、父上の命令だから仕方ない。それに、実は俺もここの司令官殿には頭が上がらんのだ」

王子は肩をすくめてクリスを振り返った。

「部下を連れてノルドへ帰れ。国境までは俺の副官が送る」

そうして剣を握った逞しい腕を突き出した。

「これは返してやる。ただし、国境を越えるまでは抜くなよ」

クリスは狐につままれたような心地で、何と答えていいか分からなかったが、取り敢えず足を引きずってアンリ王子に近づき、剣を受け取り、感謝の言葉を口にした。

「ありがとう・・・存じます」
「別に、俺に礼を言う必要はない。俺の気が変わらないうちにさっさと行け」

クリスは礼儀正しく一礼すると、言われたとおりに直ぐに立ち去ろうとした。

「お前、恋人はいるか?」

突然背中にかけられた言葉に、クリスは困惑して振り返った。黙ったまま立ち竦んでいるクリスを見て、アンリ王子は笑い出した。

「恋人と言えるかどうか、って顔だな」

図星を衝かれてクリスはますます顔を顰めて口を噤んだが、アンリ王子は一向に気にしていない様子だった。

「俺の恋人は変な女でな。争いは止められる、って言うんだ。もう何百年続いてるか分からない戦争をだぞ?それでも希望を捨ててはいけないんだと。必ず何か方法が有る、って、クソ真面目な顔して、絶対に譲らないんだ。アンジュは・・・アンジュって名なんだが、あいつはいつもアヒルみたいににぎやかで、そそっかしいくせに、時々そんな夢みたいなことを言う。『天使』なんて名前のせいかな。俺は笑って、相手にしなかった。だが・・・」

アンリ王子はふいに真剣な顔になり、やや視線を落として呟いた。

「・・・ノルドにお前がいるなら、それも夢じゃないかもしれないな・・・」

そのまま黙り込んだアンリ王子を、クリスはじっと見つめていた。しばらくして王子はふと気づいたように顔を上げると、ニヤっと笑った。

「お前の恋人によろしくな」

そう言ってクリスを追い遣るように手を振り、退出させた。
 
 
 

「君には気の毒だが、彼のことはもうあきらめた方がいい」

リンデに甘い父のおかげで、パルシファルは数十人の手勢を借り受け、さらにクリスの消えた戦場近くの砦にいる何人かの騎士達に話を聞いてもらうことができた。が、当然ながら騎士達は乗り気ではなかった。その上、ここしばらく激しい雨やその後の増水で身動きがとれず、焦りでいつになく苛立っていた。

「彼は生きています、必ず」
「生きておったとしても、助け出すことなど不可能だ」

投げやりに話を断ち切ろうとした年配の騎士を睨んで、パルシファルは立ち上がった。

「僕一人でも・・・」

その時ばたばたと足音がして、パルシファルは言葉を切り、次の瞬間、従卒が飛び込んできた。

「今、見張りからの報告で・・・クリスチャン様達が!」

パルシファルはすぐに部屋を飛び出し、砦の門に向かった。門の周りには大勢の兵士達が詰め掛けていた。それらを掻き分けて前に出たパルシファルは、シディニアの方角から近づいてくる10人足らずのぼろぼろの男達の先頭に、片足を引きずり気味に歩いてくる親友の姿を見た。

「クリス!!」

転がるように走り出した。

「パルシファル」

多少痩せて、顔色も悪かったが、答えた声はしっかりしていた。パルシファルは嬉しさで胸が詰まり、駆け寄って乱暴に抱き締めた。

「っ、つ!」

クリスが顔を顰め、パルシファルは慌てて離れた。

「怪我してるのか?!」
「・・・たいしたことない。かすり傷だ」

本当はあちこち打撲したり切ったりしていたが、クリスは笑ってみせた。パルシファルはその顔をじっと覗き込んで、一言だけ言った。

「おかえり」
「ああ」

それだけで良かった。


 

 続き Fortsetzung

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