二人はまず、休む間も無く国王の山荘に赴き、一連の報告をした。ジークフリード王は一言、「大儀であった」と言っただけで、それ以上の労いも何も無かった。それはいかにも冷淡なようにパルシファルには感じられたが、クリスは嬉しそうで、彼がそれに満足していることが窺えた。その後パルシファルは、クリスを自分の領地へ連れて行った。何はともあれ、クリスを休養させなければならなかった―本人は必要ないと主張したが。領地まで数日かかるとはいえ、国境や都にいたのでは、クリスが休もうとしないことは目に見えていた。そしてもう一つ、心配して待ち侘びているであろう妹に、一刻も早くクリスの無事な姿を見せてやりたかった。

「兵を貸してくれた父上に、一言礼を」

パルシファルがそう言うと、クリスはそれ以上逆らわなかった。
 
 
 

リンデはいつものように菩提樹の下に座り、川面を見つめていた。子供の頃からここはリンデが一番落ち着ける場所だったが、この下で運命の人と出逢ってからは、それ以上の特別な場所になっていた。今は遠く離れているその人を想いながら、リンデはずっと祈っていた。本当は歩いてでも探しに行きたかったが、兄の言うとおり、彼を見つける前にリンデ自身が遭難するのは目に見えていた。祈るしかできないリンデは、ただひたすら祈り続けた。朝も、昼も、夜も。

兄が出掛けてから何日も過ぎたが、良い報せも悪い報せも何も届かなかった。リンデは次第に食べることも眠ることもままならなくなり、輝くような生気に満ちていた丸い頬も痩けてしまった。
 
 

そして何日か前―既に日付の感覚も無くなっていた―リンデはここで不思議な夢を見た。たぶん、夢だったのだろうと思う。眠った覚えは無かったが、現実とは思えなかった。静かな川面を見るともなしに眺めていると、目の前に突然、茶色い濁流が広がり、頭の中にリンデを呼ぶ声が響いた。それは、風の音のように幽かな囁きだったが、確かに彼の声だった。不吉な予感で震えが走った。

「クリス、ダメっ!」

リンデは跳ね起きた―そう思った。川面はいつもどおり穏やかで、風は音を立てるほどではなく、しかし空の高いところでは灰色の雲が異様な速さで流れていた。もちろん彼はいない。ふいに耳慣れない軽やかな音色が響き、リンデは土手の上を振り返った。館に続く道から、奇妙な格好の若い女性がこちらに向かって降りてきていた。その人はリンデの傍まで来ると両足を揃えて立ち、口を開いた。

「こんにちは、リンデ」
「こんにちは」

その女性には会ったこともなかったが、館にはたまに行商人が来ることがあり―女というのは珍しかったけれど―この人も箱を抱えていることからして、たぶんそうなのだろうとリンデは考えた。自分の名前もおそらく館で聞いたのだろうというくらいにしか思わなかった。

「”希望”はここに」
「えっ?」

女性はリンデを指差していた。リンデが自分を見下ろすと、左胸の辺りからぽうっと卵大の白い光がこぼれていた。リンデは不思議な気持ちでその光を見つめ、両手を掲げてそれを包み込むようにそっとかざした。その光自体には温度など無いのに、心にぽっと火が灯ったような温かさを感じた。恐ろしいとは全く思わなかった。

「クリス・・・」

心に浮かんだ言葉を口にした途端、光は爆発するように一気に広がり、眩しい輝きでリンデの全身を包み込んだ。遠くなっていく意識の中で、リンデは誰かが呟く声を聞いた。

「・・・物語はここでは終わらない・・・」

召使達に起こされて再び気がついた時には、光も女性も消えていた。
 
 

川面を見つめながらその夢を思い返していたリンデは、ふと呼ばれた気がして館から丘の上へと続く道を振り仰ぎ、目を見開いた。はじかれたように立ち上がり、そのまま固まったように身動きできなくなった。その人は―遠くてまだ顔もはっきりとは見えなかったが、リンデには感じ取れた―深い瞳でまっすぐにリンデを見つめていた。毎日毎夜、思い描き続けたとおりに。あっという間にその姿が滲み、また一瞬見えたかと思った途端に再び滲んだ。

二頭の馬は速度を速めて近づいてきて、菩提樹のある土手の上で足踏みして止まった。馬から降り、右手で手綱を引きながら、菩提樹の方へと下りてきたクリスに、何も言わずに飛びつき、その胸に縋りついて、ただ泣いた。

クリスは飛びつかれた勢いで半歩ほど後退った。そのまま、しがみついている小さな体を抱き締めるでも引き剥がすでもなく、じっと見下ろしていた。が、ややあって手綱を持っていない方の左手で、自分の胸に顔を埋めているリンデの肩を起こし、顔を上げさせた。体を離されて、リンデは不安げにクリスを見上げた。その両手はクリスの服を掴んだまま離そうとしなかった。

「どうした?少し痩せた・・・」

眉をひそめて尋ねかけたクリスを、リンデは涙を溜めた大きな瞳できっと睨み返した。

「心配したんだから!危ないことしないでって、あんなに言ったのに!!」

クリスは一瞬、虚を衝かれた表情になり、それからすまなそうに笑った。

「ごめん、リンデ・・・」

クリスは愛おしげな眼差しでリンデを見つめながら、自分の心臓の上に置かれている小さな温もりを左手で包み込んだ。そっと持ち上げて降ろしながら掌に載せ、頭を下げて、その滑らかな白い宝石に唇を寄せた。

「帰ってきたよ・・・僕の故郷」

リンデの瞳から雫がこぼれ落ちた。
 
 
 

クリスから離れようとしないリンデを、彼はしばらく滞在するから今はゆっくり休ませろと宥めすかしてやっと引き剥がし、パルシファルはクリスをいつも泊らせている部屋―パルシファルの部屋のある一角の客間―に連れて行った。

部屋に落ち着いてからパルシファルは、結局助けられなかった事をクリスに詫びた。しかしクリスは首を振った。

「いや、僕が帰って来れたのは君達のおかげだ」

パルシファルは意味が分からず、当惑した表情になった。単なる慰めか、あるいはからかわれているのかとも思ったが、クリスの真剣な面持ちは、彼が本気でそう思っていると告げていた。クリスは手にしていた杯を置き、パルシファルを真っ直ぐに見た。

「僕自身、何故帰って来れたのだろうと、ずっと不思議に思っていた。でも君達に逢って分かったよ。僕は、僕の無事を祈り、待っていてくれた人がいたから、帰って来れたんだ」

クリスは腕を伸ばし、机の上の杯に添えられている親友の手を握った。

「ありがとう」

そして深い感謝と信頼を込めて静かに微笑んだ。


 

 続き Fortsetzung

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