初夜



 
「わー、なんかすごいね、ここ」
石積みの壁が光を反射するのだろうか、クリスの持つ松明の明かりだけでも周囲の様子はなんとなく分かった。その地下道は、澄んだ静かな水の流れ―水路かもしれない―に沿って、折れ曲がったり、ところどころ分岐したりしながら張り巡らされているらしかった。流れは、深さは分からないがその幅を変えつつどこまでも続いていて、全長がどの位あるのか見当もつかない。天井は部分的に低くなっているところ以外はかなり高く、目を凝らして見上げてもよく見えなかった。マントのフードを取ってきょろきょろと辺りを見回しながら歩いていたリンデは、ふいに繋いでいた手をぐいと引かれ、バランスを崩して背中からクリスに寄りかかる形になった。ふと見ると、先程歩いていた場所の前には道が無く、代わりに水面があった。

「ちゃんと前見て歩け」
「あ、うん」

素直に頷き、クリスの体にぴったりと寄り添った。クリスは歩きながらちらっと振り返って尋ねた。

「こわいか?」
「ううん、ちっとも」

リンデは元気良く答えてクリスを見上げた。

「でも、クリスと重なり合ってれば安心かなぁと思って」

急に自分の手を掴んでいるがっしりした手に力が入り、温度が上がったのを感じて、リンデは少し首を傾げながら続けた。

「道細いし、それにずっとよそ見しないって自信ないから」
「ああ・・・そうだな・・・」

答えた声はやや掠れていた。クリスは足を止めず、振り返りもしなかったが、松明に照らされたその耳はうっすらと赤味を帯びていた。
 
 
 

どれくらい歩いただろうか、通路の壁はいつのまにか石積みから剥き出しの岩盤に変わっていた。

「都の地下がこんなになってるなんて、全然知らなかったよ」
「そうだろうな。この通路は国家機密のようなものだ。知っている者はそんなにいない」

次第に壁の幅が狭くなってきた通路を、ためらうこともなく進みながらクリスは答えた。

「へえ。クリスはよく知ってたね?」

尋ねたリンデに他意はなかったが、クリスは少し表情を翳らせた。

「騎士になったばかりの頃、ジークフリード王自ら連れてきて下さった」

そう言ってクリスは言葉を切り、視線を落とした。
 
 

前国王がクリスに、この国をずっと守り続けるようにと望んでいたのは間違いない。しかし自分はその期待を裏切ってしまった。もっと大事なものを守るために・・・

後悔は全くしていない。前国王が生きていたとしても、同じことをしただろう。だが、リンデの家族に対する申し訳なさが消えないのと同じように、前国王への謝罪の気持ちも消えることはなかった。
 
 

黙り込んだクリスの顔を窺うように見上げているリンデに気づき、クリスはさりげなく言葉を継いだ。

「その後、暇を見て何度か歩いて、なんとか全部覚えた」
「えっ、こんなとこ、自分で歩いて覚えたの?!」

リンデは驚嘆の叫びを上げた。ここまで通ってきた道だって、自分はろくに覚えていない。ましてや網の目のような道筋の全てを、一人で歩いて、正確に記憶するなど、自分にはとてもできない芸当だと改めて感心した。クリスは自分に注がれる尊敬の眼差しに気づかないようで、真っ直ぐ前を見て歩きつつ、あっさり答えた。

「ああ、地図はないからな」

リンデが感心しきって無言でいると、クリスは返事が素っ気無さ過ぎたと思ったのか、少し間をおいて説明を加えた。

「ここはもともと天然の洞窟があったのを、この城砦が建設された時に、何十年かかけて整備したらしい。が、その時も、その後も、地図は作られなかった。その時々の、ほんの数名の頭の中にのみ地図が在るようにされてきたんだ・・・国王とその側近だけが知るように」
「国王?国王はここ知ってるの?」

繋いでいる小さな手がクリスの手をきゅっと掴んだ。リンデの不安が伝わってくる。クリスは、足は止めなかったが、その手をしっかりと握り返した。

「存在は知っているはずだが、思い出しはしないだろう」

それには自信があった。実際のところ彼はここに来た事もなかったし、地下通路の存在自体、覚えているかどうか怪しいものだった。まあ、万一、政治的にここが必要な時が来れば誰かが彼に思い出させるだろうから、それはそれで構わないだろう。いずれにせよ、二人とここを結び付けて考える者がいるとは思えなかった。ただ、ここを知っている『誰か』の中にはパルシファルの―すなわちリンデの―父親も含まれている。しかしクリスは、彼がこの件でここを思い出すことはないという方に賭けた。・・・故意にしろ、そうでないにしろ。

黙ったままのリンデをちらっと見遣り、クリスは勇気づけるように声を明るくして言った。

「大丈夫だ。仮に人が来たとしても、これだけ入り組んでるから、見つからないようにするのは難しくない」

リンデがほっと息をつく。

「そっか。うん、そうだよね、クリスが大丈夫って言うなら・・・うわあ!」

何かの入口のような柱を過ぎたところで、リンデは目を見張り、声を上げて足を止めた。目の前には、そそり立つ高い岩壁に囲まれて、広い空間が開けていた。真ん中に円形の池があり、その脇にはちょっとした櫓のような木組みが建てられている。その空間の荘厳なまでの端正さと静けさは、まるで大きな教会の内部のようだった。

「地下なのに、こんな大きな池があるんだ・・・」

池の縁に歩み寄ってリンデは呟いた。

「貯水池だ。いざという時のための」

地面に篝火を立ててから隣に立ったクリスを、リンデは振り仰いだ。

「いざという時?」
「籠城とか」

なるほどと頷いて水面に目を戻したリンデの頭の上で更に声が続いた。

「・・・駆け落ちとか」

リンデが面食らってクリスを見上げると、言った本人も恥ずかしかったらしく、ちょっとしかめ面になって顔を逸らした。しかしリンデは、クリスがリンデの気分を和らげようとしてくれているのを感じ、嬉しく思った。

「うん!ぴったりだね」

顔を綻ばせて答えたが、クリスは頬を染めてリンデに背を向け、マントを脱いで櫓の脚に放り投げるように掛けた。そのまま素早く櫓に登ったかと思うと、荷物を背負ってすぐに降りてきた。

「一日しかなかったから、たいしたものは用意できなくて・・・悪い」

そう言ってクリスは毛皮の敷物を広げ、その上に毛織物を重ねてから、袋からいくらかの食料を出して並べた。リンデは魔法でも見るように目を丸くしてそれを見つめた。ふと気づくと、いつのまにか自分のマントも取り去られ、食べ物の前に座らされていた。


 

 続き Fortsetzung

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