Der Hölle Rache kocht in meinem Herzen 復讐の心は地獄のように 1



 
「お前の言ったとおり、都を包囲して4日で陥ちたな」

テントの入口の幕を跳ね上げ、鎧に身を包んだ、燃え立つような赤い髪の若者がずかずかと入ってきた。

「降伏の使者が来た。国王の側近だそうだ」
「側近?誰だ?」

同じ年頃か、やや年下と見えるすらりとした青年が、端正な顔を上げて振り返った。長めの黒髪を後ろで束ねた彼は、黒っぽい厚手の騎馬服姿で、鎧も鎖帷子も着けておらず、テントの中央に置かれた机に屈み込んで地図を見ていたようだった。赤い髪の若者は、入口の近くにいた従卒に指先で合図して外に出すと、鎧を軋ませながら大股に彼に近付き、脇に周り込んだ。そして無造作に机の縁に横座りし、気性の激しそうな目鼻立ちのはっきりした顔を彼に向けた。

「パルシファルとか言ったかな。まだ若いが高位の指揮官らしい」

黒髪は苦笑して机に目を落とした。

「相変わらずのお人好しだ。こんな役目に使われてるとは」

赤毛が軽く片眉を上げた。

「親しかったのか?」

黒髪はただ曖昧に口の端を歪めた。赤毛もそれ以上の返事は求めず、目を机上に向け、地図の端を指で弾いて気軽な口調で言った。

「お前の戦の手腕はたいしたものだ。激しい戦闘をするわけでもないのに、いつの間にか相手には全く逃げ道が無くなっている。オストラントの王位を奪還した時だって、挙兵して半年足らずの内に国中を味方につけてしまったしな。我が国の後押しも必要無かったくらいなんじゃないか?」
「そんなことはない」

地図を取って手際良く巻き上げながら黒髪が答えた。

「それに、僕に呼応した者が多かったのは、僕個人の力ではなく、あの国の国民性に拠るところが大きい。あの国はもともと保守的で、王家への忠誠心が篤い。良く言えば伝統を重んじ・・・悪く言えば、古いしがらみに縛られている」

赤毛が軽く肩をすくめると、跳ねた巻き毛がちらつく炎のように揺れた。

「まあいいさ。お前がなかなか手の内を明かさないってことはよく分かってる。今回だってノルドの情報の肝心なとこは教えてくれなかったしな」
「ノルドがシディニアのものになれば秘密は無くなる。それでいいだろう?」

少し癖のある前髪を掻き上げながら黒髪が答えると、ふいに赤毛がまじめな顔で身を乗り出した。

「そのことだが、本当にノルドの統治権はシディニアが占有していいのか?オストラントは経済的な利益の一部を得るだけで?この遠征はシディニアとオストラントの連合軍なんだから、お前はもっと多くを主張できるんだぞ」

黒髪は即座に首を横に振った。

「いや。領土を拡大する野心は無い。攻略を手伝ったのは、ただ・・・個人的な復讐心を慰むため、それから」

皮肉っぽく顔を顰め、彼はどうでもよさそうに付け足した。

「ノルドとシディニアとの際限の無い諍いに終止符を打つためだ」

どちらの理由が大きいにせよ、後者の理由が無ければ彼が協力してくれることはなかったであろうということは、赤毛には判っていた。黒髪がふっと自分の足元に視線を落とし、口の中で呟いた。

「・・・どのみち一番欲しかったものは永遠に手に入らない」
「なんだって?」

赤毛が耳ざとく聞きつけて尋ねたが、黒髪は目を逸らしたまま自嘲気味に唇を歪めただけだった。赤毛はその恐ろしいほどに真っ蒼な瞳でしばし彼をじっと視ていたが、机を軋ませて立ち上がり、腰に手を当てた。

「使者は大テントに待たせてある。どうする?」

訝しげな表情で見返した黒髪と真っ直ぐに視線を合わせて赤毛は続けた。

「俺が一人で行くか?顔を合わせ辛いんじゃないか?」
「いや。いつまでも隠してはおけない」

きっぱりと首を振り、黒髪は答えた。

「そろそろ彼らにはっきりと教えてやるべきだろう。この国が誰に倒されたのかということを」

端正な顔に冷酷な微笑がよぎり、暗い色の瞳に地獄の炎がたぎった。気遣わしげに投げかけられた視線を避けるように黒髪は顔を背けて尋ねた。

「条件は聞いたか?」
「領土を明け渡す代わりに、命乞いをしてきた。国王本人の」
「変わって無いな」

出入口の幕に向かって歩きかけながら苦笑する黒髪の言葉に被さるように、赤毛の声が続いた。

「・・・と愛人の」

黒髪の足が止まった。

「愛人?王妃ではなくか?」

彼はめったに感情を露にすることがない男だった。振り返った彼の顔にありありと浮かぶ驚きを眺めながら、赤毛は腰に当てていた手を上げて腕組みし、鎧の音を立てて背中から机に寄りかかった。

「王のお気に入りらしいな。今じゃ王妃を凌ぐ権勢だそうだ。しかも俺が得た情報によると、どうやら身籠ってるらしい」
「王妃が?!」
「愛人の方だ」

黒髪は一瞬ほっと息を洩らし、続けて顔を曇らせた。が、鋭い視線に気づくと慌てて無関心を装い、片手を軽く払い除けるように振った。

「よくある寵愛争いだ」

赤毛は腕組みをしたまま淡々とした口調で返した。

「だが不思議なことに王妃の方はあっさり引っ込んだ。この一年以上、公式行事にも顔を出してない。つまり王妃はいないも同然、いや、その愛人が王妃代わりってとこか」

もはやうわべを取り繕えず、黒髪はそわそわと足を踏み替えて、二、三歩戻った。

「なぜ今まで黙ってた?」
「お前が聞こうとしなかったんだろ。戦争には関係が無いって」

黒髪は小さく舌打ちしてうらめしげな眼差しを向けたが、赤毛は気にするふうもなく彼を見返した。

「どうする?俺は、奴らをシディニアの監視下に置くことを条件に、呑んでやってもいいと思うが。厳しい処罰は反動も大きい。それに処刑した後、庶子だのなんだのがぞろぞろ出てきてはかなわん」
「・・・そうだな・・・」

束の間、口許に拳を当てて考えた後、黒髪は目を上げた。

「とりあえず返事は保留しておこう。既に彼らの運命は僕らの手の内に在る・・・すぐに答えを与えてやる必要も無い。まずは彼らの顔を見てからだ」
「ま、そんなとこだな」

赤毛が膝を叩いて体を起こし、黒髪に並んだ。連れ立って出口に向かいながら、黒髪は少し見上げるようにして赤毛を振り返った。

「占領しても、火を掛けたり破壊したりはしないでほしい」
「ああ、お前がそう言うなら」

赤毛が訳知り顔でニヤリと笑った。

「やはり、長く暮らした城が燃えるのを見るのは忍びないか?」

黒髪が顔をしかめた。

「僕はただ、手に入るものはなるべく無傷で手に入れたいだけだ」

赤毛は納得していない様子で肩をすくめたが、黒髪はそれを見ないふりで幕をくぐった。

「行こう、アンリ。彼らに引導を渡す時だ。そして彼らは知る・・・オストラントのローエングリンが、ノルドでクリスチャンと呼ばれていた男だということを」


 

 続き Fortsetzung

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