「ああ、目に見えるようですよ・・・妹は、この辺りの古い謡を口ずさみながら、点々と散らばる野の花の間を、蝶々のように踊っていて・・・彼は私の隣に寝転んで、目を閉じていて・・・彼のあんな穏やかで満ち足りた表情を、他では見たことがありません。けれども彼は、ただのんびりとくつろいでいたわけではなかった・・・実は、あの辺りには、丈の高い草で隠れて見えにくい窪地があるのです。妹がそこに近づくと、彼は必ず眉を寄せて目を開け、妹に声をかけました。まるで、目を閉じていても彼には妹の姿が見えているかのようでした。

二人の間の感情がいつから恋と呼べるものになっていたのか、はっきりとは分かりません。少なくとも、そう、ウルリケ、私がお前くらいの歳になる頃には、二人が深く慕いあっていることに、私は気づいていました。私の両親がそれに気づいていたかどうか・・・もしかしたら気づいていて、そのために急いだのかもしれませんが、突然、妹が国王陛下に嫁ぐことが決まってしまいました。陛下が、舞踏会で踊っていた妹を見て気に入られたということで、それは本当だったようですが、何しろ急な話でした。・・・彼は、後ろ盾もなければ素性も知れない、一介の騎士に過ぎませんでしたから、妹の相手にはふさわしくないということだったのかもしれません・・・私達には事前に何の相談もありませんでした。そして私は、二人の気持ちを知っていながら、何もしてやることができませんでした。私は臆病だったのです。両親に意見することも、国王陛下に事情を説明することも・・・そうするべきだとは思ったのですが、その勇気が持てなかった。そうこうするうちに式が近づき、彼が思いつめた顔で私に頼んできました。一度だけ妹に逢わせて欲しい、少しでいいから話をさせてくれと。私は断れませんでした。それが私にしてやれる精一杯のことだったので。

私は気晴らしと言って妹を連れ出し、ここから半時ほどの山中にある小屋で、待っていた彼に逢わせました。二人がどんな話をしたのか、私は外に出ていたので、本当のところは知りません。ただしばらくして彼が蒼白な顔で飛び出してきて、私に、迷惑を掛けてすまなかったとだけ告げて、馬で走り去ってしまいました。妹はただ泣くばかりで何も話さず、私も何も訊きませんでした。・・・そのまま数日が過ぎ・・・その日妹は、友人の・・・今の王妃陛下の招きを受けて出かけ、その馬車が・・・彼に襲われました。妹の到着が遅いのを心配された王妃陛下が遣いを出し、お館の手前の森の中で倒れている従者と空の馬車を見つけられたそうです。従者の話では、彼が馬で飛び出してきて馬車の前に立ちはだかったかと思うと、あっと言う間に失神させられて、何が起こったのかもよく分からなかったと・・・いいえ、うちの者は彼をよく知っていますから、見間違うはずもありません」

何か言いたげに眉を上げたあおとあに、パルシファルは首を振った。

「私には彼だけが悪かったとは思えなかったのですが、彼が全ての罪を被ってくれたおかげで、私達は何の咎めも受けずに済みました。もちろん私達も国王も、国中を探し回りましたが、二人の行方は全く掴めませんでした。ただ・・・そうです、シディニアとの国境付近だけは、情勢が不安定で、常に兵士達が行き来していて目に付きやすいはずだったので、よもやと思っていたのは事実です」

パルシファルはそこで一瞬言いよどみ、何か強い緊張に向かい合おうとするように深呼吸した。

「ともかくも、その騒ぎのために、私は数週間この館に引き留められることになりました。そうしてある朝目覚めると、枕元に、小さく畳まれた麻布の切れ端がありました。私はそれを開いて読み、その内容に驚き、慌ててそれを火にくべて燃やしてしまいました。でも、文面は私の目に焼き付いています。宛名も、差出人の名もありませんでしたが、流れるような力強い筆跡は、間違いなく彼のものでした。
 
 
 

<君と君の家族に与えた苦痛を思うと言葉も無い。とても赦してくれとは言えないが、彼女だけは絶対に不幸にさせないと誓う。初めて彼女を見て、”フェー”と呟いた僕を君は笑ったね。だけどあの時僕は、彼女が僕のフェー、運命の女神だと直感したんだ。この世に、こんなにも心を惹きつけてやまないものが存在するのかと、体が震えた。彼女は僕の失われた半身で、いつか僕等は完全な一つになれると、そして彼女の光がずっと僕を照らしてくれると信じ込んでいた。実は君に頼んで彼女に逢わせてもらった時、僕は、僕と逃げてくれと彼女に頼んで、断られた。僕は傲慢にも彼女の愛を確信していたので、ショックで、よくは覚えていないが、ずいぶんとひどいことを言った気がする。醒めない悪夢を見ているようだった。それでもどうしても諦められずに、こんなことをしてしまった。彼女は君達に忠実だった。彼女には落ち度は無い、悪いのは僕だ。だからどうか彼女を責めないでほしい。清らかで慎ましい花を、僕は無理やり手折ってしまったが、彼女は僕を赦してくれた。僕は彼女を手放すことはできない。彼女を連れて行く。だが、もう一度誓う、彼女は必ず幸せにする。>


 
 
 

彼がどのようにしてその手紙を私のところへ届けたのかは、分かりません。ただ私は動転してしまい、考えることもせずにそれを処分し、そして誰の目にも触れなかったことを祈りました」

パルシファルは溜息をつき、しばらく黙っていた。誰も口を開かず、パルシファルが再び話し始めるのを待った。

「そのまま時が過ぎ去り、彼らのことが話題に上ることもなくなりました。身内の中でさえ・・・いえ、身内だからこそ禁忌だったのかもしれませんが・・・誰も彼らを思い出そうともしませんでした。まるで最初から存在していなかったかのように・・・

しかし、実は彼がいなくなってから、ノルドの旗色は目に見えて悪くなっていました。彼は書物をよく読んでおり、策戦上で非常に負うところが大きかったのですが、実戦の上でも大変優れた指揮官でした。彼を失ったことはノルドにとって大きな痛手でした。期待するような戦果が得られなくなり、むしろ被害ばかりが増えて、私達は、彼を粗略に扱った報いを受けることになりました。特にシディニアの総司令官が替わってからは、全くと言っていいほど勝てなくなりました。王子がおられなければ、今頃、我々は彼らに降伏していたことでしょう。これまで持ちこたえられたのが奇跡のようなものでしたから・・・」

小さく咳払いをしてパルシファルは王子を見つめた。

「王子はまだお小さかったが、覚えておられるでしょうか?今から10年ほど前のことですよ。私は、シディニアの急襲で破壊されつくした国境の町にいました。後で分かった情報によると、それは一部の過激な不平分子の暴発だったようですが、その被害は、それはひどいものでした。王子は国王陛下と共にその町まで視察に来られて・・・お一人でどこへでも歩き回られて、誰にでも声をおかけになるので、私達は振り回されっぱなしでした。けれど、愛らしくお優しい王子のお姿は、傷つき、打ちひしがれた人々に、勇気と希望の光をもたらしました。・・・そして私にも。どうしてあの子を私のところに連れてこられたのか、お尋ねしたこともなかったでしょう?私には神のお導きとしか思えなかったのです」

声が震え、パルシファルは言葉を切った。だが、またすぐ、自分に強いるように話し続けた。

「あの子を一目見て、私は、二人の子だと感じました。顔立ちが妹の子供の頃にそっくりでしたから。それに髪の色は父親譲りで。・・・二人が一度国外に逃げた後、そこに戻ってきたのか、それともずっとそこにいたのかは分かりません。でも、二人は確かにそこにいたのだと・・・あの子は記憶を失っていて、二人がどうなったのか知ることはできませんでしたが、あの子が一人で彷徨っていた以上、もう二人はこの世にいないと思うしかありませんでした。あの子は親友と妹の、たった一人の忘れ形見でした。王子にあの子を引き取って欲しいと頼まれて、私は一も二もなく承諾しました。あの子の素性がバレることへの心配が無かったわけではありません。でも、子供の頃の妹を覚えている者などそう多くはないし、大丈夫だと思いました・・・いや、そう思いたかったのです。幸か不幸か、あの子自身の口から両親のことが洩れる心配もありませんでした。

しかし、成長するにつれて、あの子はどんどん父親そっくりになっていきました。いつか誰かが気づくのではないかと、私はずっと不安に思っていました。いや、既に気づいていた者もいたかもしれません。ただ誰も口に出さなかっただけで・・・私はあの子に、己を捨てて王子に忠実に尽くすように教え込みました。父親と同じ轍を踏ませたくありませんでした。あの子は期待以上に良き騎士になってくれました。ところが二年前・・・王子があの子を「ふぁきあ」と呼ばれるようになって、私はぞっとしました。王子、私は何も申し上げませんでしたが、その時私は、あの子が記憶を取り戻していたことを知ったのです。そして同時に、あの子が間違いなく二人の息子だということを。その理由がここにあります」

パルシファルはクリーム色の寝具で覆われた丈の高いベッドに歩み寄ってひざまずき、器用に側面の羽目板を外した。その中に隠されていた、掌に載るほどの小さな箱を取り出す。箱を開けると1本の鍵。それを持って今度は部屋の奥の石壁に近づく。何の変哲もない壁石の一つを強く叩くと、少しずれて隙間ができた。それを外すと、小さな洞のような空間があり、そこに先程のよりは少し大きめの箱が置かれていた。箱の上を一度撫でた後、その箱に掛けられていた錠を先程の鍵で開ける。皆が固唾を呑んで見守る中、パルシファルは箱の中から一枚の巻かれた皮布を取り出し、そっと広げた。そのままそれに見入っているパルシファルに、あおとあが声を掛けた。

「・・・それは?」

パルシファルが我に返る。

「ああ、すみません。・・・これは妻が死ぬ直前に、私に遺してくれたものです。妻は私の妹を、実の妹のように可愛がっていました。もともと体が丈夫でなかった妻は、あの事件や出産など、心労が重なったせいか、次第に伏せりがちになり、ウルリケが六つの時に亡くなりました。その時これを私に見せてくれたのです。病で起き上がることもままならなかった妻が、止めようとする私の手に掴まりながら、今と同じようにこれを取り出して・・・衝撃でした。この内容も、そしてあの従順でおとなしく、弱々しいとさえ思えた妻が、このことをずっと自分の心だけに密かにしまっていたということも・・・これは決して他人に見られてはならない、けれど私達にとっては失うことのできない、貴重なものだったのです」

そう言ってパルシファルは、手にしたものをあおとあに差し出した。

「すみませんが、読みあげてもらえますか?」
「僕が?」
「ええ。私はとても・・・最後まで読み続けられそうもないので」

あおとあは王子の顔を見た。王子が頷いた。

「・・・分かりました」

あおとあはそれを受け取り、変色して薄くなりかけている文字を初めから読み上げていった。

「親愛なる・・・」


 

 続き Fortsetzung

 目次 Inhaltsverzeichnis