その夜、彼はとても優しく、そして遠慮がちだった。いくら彼女が大丈夫だと―彼女自身がそう望んでいると請け合っても、まだ彼はためらっていたが、そのくせ、もう一刻も待てないくらい彼女を欲しがっていることは、分かり易すぎるくらいだった。

正直に言えば、彼女も不安だった。いくらあの時とは違うと頭では分かっていても、いざとなれば体が拒絶してしまうかもしれない。そうなれば彼も傷つく・・・

でも。
暖炉の熾火が投げかけるほのかな明かりの中で、彼女は思い切って下着を脱ぎ捨てた。乗り越えなければどうしようもない。迷いを振り切るように頭を振ると、解いた髪が背中に広がった。真っ直ぐに立ち、ベッドの方へ向き直る。決心が鈍らないうちに素早く歩み寄って、彼の隣に横たわった。暖炉からの光を反射して幽かに金色に輝く、大きくて頑丈そうな体。筋肉の張った分厚く広い肩は、ベッドの幅の半分以上を優に占拠している。そのすぐ脇に身を落ち着け、ほっと息をついた。わずかにためらうような間の後、逞しい体がゆっくりと位置を変え、上に被さってきた。緊張で、思わず押し殺したような声が洩れる。

「ザックス・・・!」
「・・・レーネ・・・」

覆い被さった男が動きを止め、掠れた声で彼女の名を呼ぶ。その切羽詰った請うような調子を聞いた途端、なぜかふっと肩の力が抜け、嘘のように不安が消えた。彼の体から発せられる力強い温もりと男らしい匂いにすっぽりと押し包まれ、この上ない安心感と、そして解放感が広がる。こわばりの解けた手をそっと伸ばし、目の前の厚い胸板に触れた。彼がはっと息を呑む音が聞こえた。そのまま彼の顔は見ずに、密生した金色の胸毛を指先でまさぐる。

「レー・・・ネ・・・!」

呻くような低い囁きが降ってきて、ぞくりと背筋を不思議な興奮が走った。がっしりした熱い手が、触れるか触れないほどに彼女の咽喉を、肩を、胸を掠めていく。それだけで体の芯に火が点いた。

「あ・・・あぁ・・・ん・・・!」
「きれいだ・・・ああ、レーネ!」

ザックス・・・ザックス、ザックス。彼に抱かれている。一度は心がちぎれるような思いであきらめた―それでも痛いほど想い焦がれずにはいられなかった人に。他の全てが消え、彼だけを感じる・・・彼と触れ合っていることだけを。際限なくふくらみ続ける興奮に胸が圧迫され、頭がくらくらする。こんなふうになるものなの?好きな人と抱き合う時って・・・恐怖も、苦痛も、嫌悪も、まったく無い。これなら大丈夫。・・・ううん・・・もっと欲しい。もっと強く、激しく、触れて欲しい・・・私の全てに・・・

それなのに彼の動きは相変わらずゆっくりと控えめで、彼女が快感に身を捩り、その先にあるはずの何かを掴もうとするたび、身を引いてしまう。

「俺がイヤなことをしたら、いつでも言えよ。絶対に我慢するな」

彼女は言われたとおりにした。いつまでも彼女の外でためらう彼にじれた彼女は、乱れた髪が金色の霧のようなほのかな輝きをまとう頭を引き寄せ、驚いて何か言いかけた唇に舌を走らせて誘った。瞬間、彼の、何かを押さえ込んでいるように苦しげな呼吸が止まる。直後に、その唇が勢いよく被さってきて彼女の唇をなぶり、きつく吸い上げた。弾力のある厚い舌が口腔に滑り込み、内部をくまなく探って、追いつめられた舌に絡みつく。ひどく官能的ないましめに悶えつつ、彼女は彼を急きたてた。早く欲しい、もう我慢できないと。彼がわずかに頭を起こし、二人、息を切らせながら、束の間、これ以上ないほどの近さと濃さで見つめあう。不意に彼が体を引き、えっと思った時には彼女が上になって主導権を握っていた。

彼女の血に流れる情熱が燃え上がった。本能のままに体が動き、数回の試行で目的のものを捕らえた。彼女は、自分でも驚くほどの大胆さと熱っぽさで彼を包み込み、その瞬間、体を突き抜けた感覚のあまりの強烈さに、上体をのけ反らせて叫び声を上げた。彼女の下で彼が低く呻いて体をこわばらせ、と同時に、内と外に感じる彼の気配が明らかに変わった。ゆっくりと、しかし力強く動き始めた強靱な手と腰が、次第に激しさを増して貪欲に彼女を貪る。体の中心を合わせたまま胸の頂に吸いつかれ、耐え難いほどの快感に思わず甲高い声が漏れたが、それを恥ずかしいと思う余裕も無い。体は勝手に反応して収縮と弛緩を繰り返し、彼女の内いっぱいに入り込んだ彼と完全に溶け合おうともがいていた。内部の動きに引きずられるように腰を揺らし、太腿で彼にしがみつく。獣のように低く唸っていた彼の声が苦しげな鋭いあえぎに変わり、ますます彼女を駆り立てた。

今や彼女の望みどおりの熱情を剥きだしにして、嘆願するように彼女の名を繰り返しながら突き上げてくる彼の動きに、彼女は夢中で合わせた。彼はそのまま止まることなく彼女を最も高い頂に導き、そして彼自身も狂おしい雄叫びを上げて果てた。二人繋がって快楽の奈落へとまっ逆さまに落ちながら、彼女の唇から深い意味を持つ一つの言葉が―生まれ変わって最初に覚えた言葉が―天に向かってほとばしった。ぐったりと、力が砕け散ったように崩れかかる彼女の体を、彼がしっかり抱きとめてくれる。金色の体毛に覆われた逞しい体に身を預けながら、彼女は、彼から放たれた情熱の発露が体内に熱く広がっていき、全てに彼の印がつけられ、純粋で輝かしいものに生まれ変わるのを感じていた。
 
 
 
 
 

彼女が最後の一枚を脱ぎ落とした瞬間、すでに全裸でベッドに横たわっていた彼は、寒さのためではなく、体が震えるのを感じた。頭から爪先まで炙られたように熱いのに、背筋がぞくぞくする。

・・・こんなにきれいだったのか・・・!

以前、垣間見た肌から勝手に妄想していたよりもっと素晴らしい。赤味を帯びてちらちらと揺れる弱い光―暗闇の中で彼女を抱きたくなかったので、寝室の隅の小さな暖炉に火を残してあった―を浴びて立つ彼女の裸身は、この世のものとも思われなかった。その昔、高名な騎士が異教の愛の女神との交歓に溺れ、女神との愛欲を讃える歌を人々の前で謳い上げて永遠に追放されたという、その女神はまさにこんなだったろう・・・震い付かずにいられぬほど妖艶で、けれど畏れすら感じるほどに神秘的で―まるで静かに燃える炎のような美しさ。魅入られたように目が離せない。とても抗えない。妊娠している彼女の体を充分気遣わなければならないのに・・・何より彼女の気持ちを考えたら、無理強いしないようにできる限り気をつけなければならないのに、どこまで自分を抑えられるだろう?

彼女がしなやかに脚を動かしてするりと脇に滑り込んでくる間も、彼は息を詰めて彼女を見つめたまま、身動き一つできなかった。触れ合った滑らかな肌はひんやりとしていて、自分の体の熱さが意識され、一方的に興奮しているようで恥ずかしくなる。もっともすでに素っ裸の体をさらしているのだから、あからさまな昂ぶりは隠しようがないが。こんなこと、今まで気にしたことなんて無かったのに、いったいどうしたんだ?彼はすっかり舞い上がり、うろたえていた。

胸元で彼女が一つ溜息をつき、空気の流れで胸毛がくすぐられる感触に、はっと我に返った。腹部を圧迫しないよう注意しながらそろそろと体位を変えて彼女の上に屈み込む。彼女は一瞬体を硬くしたが、すぐに緊張を解いて、許可を与えるように彼の胸に手を置いた。

ああ、くそ、なんでこんなにばくばくしてやがるんだ俺の心臓は!落ち着け、みっともねぇ!

拳を握り締めて手の震えを押さえてから、おそるおそる手を伸ばし、眩惑的なシルエットをなぞった。彼女の繊細な肢体に対して彼の手はあまりに無骨な気がして、どうしても気が引けてしまう。ところが、傷つけないようにそうっと遠慮がちに触れたはずなのに、いきなり彼女が敏感に反応して、彼はたじろいだ。

シディニアの女ってのはこんなに情熱的なのか?それともこいつが特別感じやすいのか?

それはどちらも正しいような気がした。快感を隠そうとしない彼女に励まされるように、少しずつ掌の圧力を強め、触れる面積を広げていく。形良く張りのある乳房は、大き過ぎず、小さ過ぎず、あつらえたようにぴったりと彼の手に納まった―独りきりの眠れぬ夜に悩まされ続けた、官能的な夢そのままに。・・・夢かもしれない。現実であるには、あんまりにも素晴らし過ぎる。彼女が、本当に、俺のものだなんて・・・ああ、でも、なんて鮮やかで強烈な夢なんだ。かすかな熱と湿り気を帯びて掌に吸い付く肌、彼の愛撫を待ち焦がれるように挑発的にくねる胸と腰・・・誘われるように手を滑らせると、わずかに開いた花びらのような唇から、切なげなあえぎ声が、時には溜息のように、時には小さく叫ぶように、こぼれ出る・・・きっとじきに俺はいつものように正気を失くし、一人だけ勝手に突っ走って、目が覚める。ちくちくと良心を刺すうしろめたさと共に、シーツを、あるいはズボンの前を、ぐっしょり濡らして。

ちくしょう、それはだめだ。

頭をはっきりさせるように強く振り、ベッドに入る前の決意を思い起こす。彼は、もしこれが彼女にとって実質的に初めての経験だったとしても、絶対にエクスタシーまで導いてみせると固く心に決めていた。・・・自分が彼女を満足させられる男だと証明したい。それは当然だ。だが何よりもこの経験を、彼女の頭から辛い記憶を吹き飛ばすくらいの、素晴らしい、最高のものにしてやりたかった。・・・だがその使命感がよけいに彼を高揚させ、平静を失わせた。この時のために練り上げたはずの、様々なテクニックを駆使した綿密な計画は、どこに消えてしまったのか、必死で頭の中を探ってもかけらも出てこない。その間にも体は膨れ上がる欲求に衝き動かされて勝手に彼女を求め、味わい、おまけに彼の愛撫に彼女が乱れると、つい煽られて我を忘れ、暴走しそうになる。そのたびに彼は慌てて身を引き、息をついて、なんとか我を失うまいと努力した。自分を律するため、彼の行為に不満があったらすぐに言うよう、彼女に念を押す。彼女はちゃんと理解したのかどうか、ただもどかしげに吐息を洩らして、細い指先で彼の張り詰めた筋肉の上を羽根のように撫で、柔らかな唇を寄せてくる。

ああ、やめてくれ!いや、やめないでくれ・・・!くそっ、頭がおかしくなりそうだ!
 
 

まるで初めて女を知るような緊張と興奮に翻弄されながら、彼は夢にまで見た彼女の体を、そのあらゆる丸みから窪みまで―秀麗な双丘も秘めやかな谷も、くまなく手と口で探り尽くした。彼女の肌は甘く香り、かすかにハーブのような芳しさが脳を刺激する。早く・・・早く包まれたい、完全に。温かく潤った柔らかな襞を、俺の中心で感じたい・・・が、いざその時になっても、彼はなかなか踏ん切りがつかなかった。痛みを覚えるほどに怒張した彼のものは、むしろ待ちすぎてしまったせいか金属の棒のように硬くなってしまい、自分の目にも、彼女の華奢な体に埋め込むには大きすぎるように思われた。しかし、ためらっている間にも欲求はつのり、状況はどんどんまずくなっていく。このままでは自制心を失って無理矢理彼女に押し入ってしまう・・・最悪だ。

彼女は胸を浅く上下させて恍惚とした表情で横たわり、すぐにでも昇り詰めてしまいそうに見える。このまま入らずにいかせることもできる。けれど、くだらないロマンチシズムと言われようと、彼女が初めて達する時は奥深くまで結ばれていたかった。すでに彼女は心も体も開いて彼を待っている。熱を帯びて膨らみ、ねっとりと指先にまとわりつくそこの感触は、彼女の方もすっかり用意が整っていることを示している。彼の我慢もとっくにぎりぎりの限界に達している。けれども彼は、猛り狂う欲望の証を入り口の手前にあてがったまま、どうしても先に進むことが出来なかった。

・・・傷つけてしまったらどうしよう?何よりも彼女が大事なのに・・・愛しくて、愛しくて・・・こわい。

その時急に頭と首に力がかかり、彼女の顔が近づいた。

「な・・・」

口を開きかけたところで軽やかな刺激を唇に受け、痺れるような甘い感覚が脳髄を貫いた。気がついたときには彼女の口に激しく、角度を変えながら繰り返しむしゃぶりつき、悪戯な舌を追って内部まで蹂躙していた。彼に息を奪われた彼女が苦しげに囁く。

「・・・お願い・・・」

泣いているように切なく潤んだ瞳で見つめられ、びくりとした。

「・・・早く・・・今すぐ・・・あなたが欲しい・・・」

唇が離れるわずかな合間を捉えて囁かれる息も絶え絶えの懇願に、かあっと頭に血が上る。猛々しくそそり立った先端から、こらえきれなくなった情熱が滲み出る。ぐっと奥歯を噛み締め、彼はとっさの思いつきで、一度腰を引いて彼女の腰を両脚で挟み込み、そのまま肩で体重を支えるようにして勢い良く横に転がった。突然彼の上に横たわる形になった彼女は、一瞬びっくりしたようだったが、すぐに自由になった体を起こして彼の上にまたがった。彼を覗き込む蒼い瞳が、これまで見せたことのない深遠な色彩を湛えて妖しく煌めく。彼女はなんのためらいもなく腰を滑らせ、彼をその柔らかく温かな体内に包み込んだ。

「・・・っ・・・!」

頭が真っ白になるほどの快感。互いの歓喜の衝撃が、繋がった体を通して流れ込み、ぶつかり合い、火花を散らす。目の前で反り返る白くしなやかな体に意識が釘付けになり、そのまま呑み込まれてしまいそうになる。

彼女が喜悦に震えるのを己の芯で感じ、彼の抑制がはじけ飛んだ。かつて経験したことの無い激しい渇望に囚われ、彼女の中に力いっぱい自らを突き入れる。優しくしろと頭の中で必死に戒める声が聞こえるのだが、走り出してしまった体は言う事をきかなかった。どんな女に対しても自分を抑えられないほどのめり込んだ事が無く、常に興奮を自分でコントロールできるのが彼の自慢だったのに。狂った馬のように暴れながら、目の前のつんと立った蕾に喰らいつき、彼女が悲鳴をあげるまでしゃぶり続けた。己の腰が勝手に跳ね、貪欲に最奥を目指して、秘められた温かな楽園を繰り返し蹂躙する。彼女の狭いそこが、押し込まれた彼をぴったりと包んできつく締めつけ、吸い込まれるような感覚に気が遠くなりそうだ。

「レーネ・・・あ・・・あ、レーネ、レーネ・・・っ」

こんな・・・こんなふうになるもんなのか?息苦しくて、ただひたすら彼女の名を連呼することしかできず、それに応えてすすり泣くようにあえぐ声に苦痛が無いのを確認するのが、精一杯だった。彼はあっという間に達しそうになるのを、あらん限りの自制心を振り絞って彼女が昇り詰めるまで何とか持ちこたえ、そして彼女が絶頂を掴んだと確信した次の瞬間、自分を解き放った。

「う・・・ぉおおおっ!!」
「・・・ザッ・・・クス・・・!」

狂暴な勝利の雄叫びに重なるように、天使の声が上空からまぎれもなく彼の名を呼ぶ。その熱く輝かしい響きを耳にして、胸が押し潰されるほどの感動が打ち寄せた。たおやかな腰をがっちりと掴み、痙攣する下半身を何度も強く押し付けて、己の体液を彼女の震える内部に溢れるほどに注ぎ込んだ。とてつもない満足感に満たされ、彼は彼女を―長い孤独の闇の中で、無意識にずっと探し求め続けてきた『光』を―国境を越え様々の事柄を越えて、逡巡と苦悶の果てにやっと一つになった『心の欠片』を―深く繋がったまま胸に抱き寄せた。


 

 続き Fortsetzung

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