扉を叩く音 〜Salut d'amour〜
 
「具合はどうだ?」
「あ、おはよう、ふぁきあ。うん、もう、すっかり元気」

翌朝、部屋に入ってきたふぁきあはベッドに腰掛け、あひるの額に手を遣り、熱が無いのを確認しました。顔色も良くなったようでした。

「大丈夫そうだな。じゃあ、飯食ったら出発しよう。・・・その前に」

ふぁきあは抱えてきた山吹色の布の塊をあひるの膝の上にふわりと置きました。

「とりあえず、これ着てろ」
「何?」
「その服で出歩くわけにいかないだろ」

あひるの着ている薄い夜着にちらっと目を遣りながらふぁきあは言いました。

「後で町でお前に合う服を調達してやるから、それまではこれで我慢しろ」
「これは?」
「・・・母の服だ。古い物だが着られなくはない」

布に目を落として答えるふぁきあを、あひるは驚いて見つめました。

「えっ・・・いいの?」
「他に着て出られる服は無いし、服の方だって他に使い道も無いからな」
「・・・ありがと、ふぁきあ」

感謝を述べるあひると目が合い、ふぁきあはかすかに頬を染めて顔を逸らしました。

「何言ってるんだ、バカ」
「じゃ、着てみるね」
「うわっ、ちょっ、ちょっと待てっ!」

あひるがいきなり夜着を脱ぎ始め、ふぁきあは跳ね上がるようにベッドから立ち上がり、部屋から走り出て、大きな音を立てて扉を閉めました。あひるはちょっと首を傾げてから着替えを済ませ、扉の外で待っていたふぁきあに声をかけました。

「着たよ、ふぁきあ」

扉を開けて入ってきたふぁきあの前で、あひるはくるりと一回転して見せました。

「どう?」

ふぁきあの母は小柄な人でしたが、それでもあひるには少し大きいようでした。

「少し大きいが、町までちょっとの間だからな、我慢しろ」

あひるは少し考えてから上目遣いに尋ねました。

「あのね、ふぁきあ・・・これ、ずっと着てちゃだめ?」
「はあ?お前、何言って・・・」
「だって町で別のに替えたら、これどうするの?」
「そりゃ、始末するしか・・・」
「そんなのダメ!だってこれ大切な形見だもん。ずっと持って行こうよ。向こうに着いたらふぁきあに返すから。裾を上げて、胸のところを少し詰めればあたしでも着られるよ、ね?」

言いながら手で示すように服をつまむあひるの顔をしばらく見てから、ふぁきあは答えました。

「分かった、お前がそう言うなら、仕立て屋で簡単に直してもらおう」

途端にあひるは嬉しそうな笑顔になりました。

「ありがと!ふぁきあ」
「いや・・・」

(礼を言わなければならないのは俺の方だ)

あひるの顔をまじまじと見つめながらふぁきあは思いました。

(こいつにはほんとに驚かされる・・・どうしてこんなに他人の気持ちを思い遣れるんだ?)

あひるへの関心が単なる興味以上の感情になりつつあることに、ふぁきあはまだ気づいていませんでした。

隣の部屋は、あひるが寝ていた部屋と同じように小さく、そして同じように質素な台所でした。あひるがふぁきあに連れられてその部屋に入ると、家の戸口に近い隅に、既に旅の荷物が用意されているのが見えました。ふぁきあはあひるに簡単な朝食を食べさせた後、再び寝室に連れ戻しました。ふぁきあが馬の支度のために小屋を出て行くと、残されたあひるはベッドに起き直り、手持ち無沙汰に窓の外や部屋の中を眺めました。

その時ふと、棚に立て掛けられたふぁきあの剣が目に留まりました.。あひるはベッドから這い出し、剣に近づいて、じっと見つめました。剣は飾り気が無く、実用的で、しかもやや古風な造作でした。何気なく手を伸ばし、持ち上げようとすると、それはずしりとして、あひるの細い手には難儀な重さでした。それでもどうにか胸の前まで持ち上げて、鞘の紋章に顔を近づけてよく見ようとした時、突然目の前の扉が開きました。

「あっ」

がらん、と大きな音を立てて、あひるの手から滑り落ちた剣が二人の足元に転がりました。

「何をやってる!」
「あ、ご、ごめん・・・なさ・・・」

語気鋭く咎めたふぁきあの剣幕に怯えてあひるは思わず後退り、ふぁきあははっと我に返りました。そして床に横たわっている剣に目を移し、屈み込んで拾い上げながら、落ちたはずみで少し鞘から出た刀身を元に戻しました。

「ほんとにごめん、ふぁきあ・・・」
「怪我、しなかったか?」

思いがけず表情を和らげて訊いてきたふぁきあに、あひるはほっとしました。

「うん、あたしは大丈夫。・・・剣は?大丈夫だった?」

ふぁきあは鼻で笑い飛ばして剣を腰に下げ、からかうような笑みを浮かべてあひるに釘を刺しました。

「危ないから触るな。お前、そそっかしいんだからな」
「・・・うん」

否定できないのであひるは素直に頷きました。

ふぁきあは冗談めかして言いましたが、本当はあひるの父親を切った剣にあひるを触らせたくなかったのでした。この剣があひるをも傷つけることになれば、和平の大きな障害になるかも知れず、ふぁきあを信じて護衛の任を託してくれた王子に対して申し訳が立たない気がしました。そして何より、あひるが何も知らずにこの剣に触れるのは、とても残酷なことに思えたのでした。けれど、あひるはそんなふぁきあの気持ちを知りようもなく、屈託無く話しかけてきました。

「それ、重いね。いつもそんな重いの持ってるの、大変じゃない?」
「慣れてるからな。どうってことない」
「ふうん」

あひるにじっと見つめられ、ふぁきあはかすかに不安を感じました。

「なんだ?」
「やっぱり騎士なんだなって思って」
「は?」

あひるは、色々とあひるの面倒をみてくれたり、笑ったり、照れたり、泣いたりするふぁきあが、人を殺したり殺されたりする騎士だということが不思議な気がしたのでした。

「今さら何を・・・」
「ううん、なんでもない。出発するんだよね。行こっか」
「なんなんだ、いったい・・・」

元気良く出て行くあひるの後ろに、ふぁきあは首を捻りながら続きました。

後になってこの時のことを思い返したふぁきあは、いつもこの家を離れる時に悩まされる感傷が、この時はきれいに消えていたことに気づきました。


 
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