Invisible pour le yeux 8



 

『友達』。

結局、そういうことか。

きっぱりと拒絶の響きを持って突きつけられたその言葉にもめげず、何とか彼女の中に入り込もうと努力はした。むしろ友達なら友達で構わない―今はまだ―から、それでも何か絆のようなものはあると確信したかった。

だが、駄目だった。何も分からなかった。分かったのは彼女が―何かを怖れて―彼と正面から向かい合おうとはしてくれない、ということだけだった。

クソっ!

彼女が彼の恋慕に気づいているのはまず間違いない。そうでなければあんなふうに彼を遠ざけようとはしなかっただろう。

「ザックス、実は私・・・」

もうすぐ結婚する。それは分かってる。だが分かってはいても、そんな言葉を彼女から聞きたくはなかったし、認めるつもりもなかった。聞こえなかったフリをして歩き出しながら、少し離れて歩く彼女の体温を、熱いほど感じていた。

お前は・・・俺の魂の家。

どれほど容赦ない現実に嘲笑われようと、その想いは消えなかった。この先何が起ころうと、決して消えることはないだろう。・・・万が一、一生、彼女を得る望みが叶わなかったとしても。自分は永遠に彼女のもの―それだけが、真実だった。

・・・指輪になんぞ気づかなけりゃ・・・

ダーヴィトのように真っ直ぐに告白できたら、どれほど良かったろう。立ちはだかる障壁を知らぬがゆえの勇気とはいえ、その、迷いの無い一途さが羨ましかった。

もし、俺が今、ダーヴィトと同じ質問をしたら、レーネはどう答える?やはり、5年経ってから、と言うんだろうか?それとも・・・

「ダーヴィトは・・・いろいろと学ばなきゃならねぇな・・・」

だが、ダーヴィトだって、レーネが受け入れてくれるという確信なんか無かったろう。それでもあいつは、怖れに囚われることなく、己に正直に想いを告げた。

「俺は・・・」

本当は、俺がダーヴィトを見習うべきなんじゃないか?

「ダーヴィトの気持ちが分かる」

そうだ。行動を起こさなければ、何も始まらない。どんな答えが返ってこようと、まず、伝えなければ。怖れず・・・

「お前を手に入れる男は幸せだ」

そしていつか必ず、俺が・・・

「・・・そう?」
「ああ」

だが、やみ難い想いは、溢れ出る前に遮られた。

『一番愛してる人とは結婚できない』だって?

ついかっとして、ほとばしる感情のままに、乱暴に怒鳴りつけていた。レーネは暗く深い空の瞳を見開き、凍りついている。ちくりと良心の痛みを覚えた直後に、ふと思った。

もしかしてこいつは、自分もそうだ、って言おうとしてたんじゃ?やっぱり今の婚約者は家のしがらみで勝手に決められた相手で、こいつが望んだ男じゃねぇのか?もしそうなら・・・

いや、そんなはずはねぇ。例の『ウェディング・シューズ』を見た時のレーネの眼差し―そこにはまぎれも無い、深く切ない想いがあった。靴を見る時の、その人の気持ちだけは、見損なわない自信がある。
・・・だが、もしかしたらそれは、今の婚約者に向けられたものじゃなかったのかもしれねぇ。もしかしたらそれは、彼女が思い描いている、『一番愛してる人との結婚』という夢に向けられたもので、もしかしたら俺が、その夢を叶えてやれる可能性だって・・・

突然、雷に打たれたように、はっ、と気づいた。『今』こそ『その時』なんじゃねぇか?明日からは何もかも変わる・・・いや、変えなきゃならねぇんだ。今、引き下がっちまったら、明日からはいつ来るとも知れない彼女を、ただ待ってることになるだろう。そうだ、今夜しかねぇ。運命に挑むなら―間違った場所をさ迷っている彼女の心に呼び掛け、真実の愛が待つ場所へ―俺の胸へ帰らせるなら、今夜しか・・・!

耳元でどくどくと血流が轟き、夜風に漂ってくる街のざわめきをかき消した。制御不能になりかけている熱情に駆られてレーネに襲いかからないよう、慎重に自制し、手を握り締めて引っ込めた。ひんやりした空気を深く肺に吸い込み、唾を呑んでから口を開く。

「俺は、心から愛した女とだけ結婚する。そうでなければ、結婚したいとは思わねぇ」

だから・・・

「俺は・・・」

不意に、一陣の風がさっと脇をすり抜けた。とっさの出来事に反応する間もなく、レーネは狙われた鹿のように彼の傍から逃げ、手の届かないところで立ち止まって振り返った。

「じゃあ、どうもありがとうございました」

え?

「本当に、色々とお世話になりました。また仕立てをお願いすることがあるかもしれませんけれど、その時はよろしく」

ふつふつと、心の底が不穏に沸き立ってきた。

「・・・まだ、あと2ブロックある」
「ええ、でも、すぐそこだし、大丈夫」

頭に血が上り、言葉が勝手に口から走り出た。

「俺に送られたくない、ってことか?」

こんなことを言うべきじゃねぇ。俺にそんな権利は無ぇ。なのになぜ、当然の権利を拒まれたような気がする?まるで裏切られたみたいに、怒りが込み上げるんだ?

「とんでもない・・・」

彼女の言い訳など、ロクに耳に入ってはいなかった。こうして並んで歩くのが、自分にはとても自然に、これこそ本来あるべき姿だと思えるのに―すべてが満たされて、完璧だと感じられるのに―彼女にはまったく意味が無いばかりか、忌避すべき事態であるらしいということが耐え難かった。

「どうぞお店に戻って・・・」

なぜだ?なぜ俺を遠ざけようとする?何も今すぐ俺の気持ちを受け入れてくれなんて言わねぇ。婚約者のこともあるし、そうでなくとも、出逢って間もない俺を信じていいかどうか、ためらう気持ちだってあるだろう。だが、なぜ、話を聴こうともせずに、俺を締め出すんだ?もし話を聴いてから断ったら、俺が暴力を振るうとでも思ってるのか?

実際、暴れだしたい気分だった。だが、それは断じて、彼女がこの愛に応えてくれないからでは―胸に描いていたような真実の愛を、彼女と分かち合えないからではない。小さな肩を掴んで揺さぶりたい思いに駆られるのは―それとも強く抱きしめて息が止まるほど口づけたくなるのは―ひとえに、ほんのわずかなチャンスさえ彼に与えようとしない彼女のかたくなな態度が我慢ならないからだ。

・・・そんなに俺を追い払いたいのか?それともまさか部屋でヤツが・・・お前の婚約者が待ってるとか?

顎が痛いほど強張り、歯が軋む音がした。何も言わずに立ち去るのが、ギリギリの自制心だった。


 

 続き Fortsetzung

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