Glanz des Gold, Strahl des Silber 6
「お砂糖とミルクは?」
「いや」シルクのパーティション・スクリーンを抜けてリビングのスペースに戻ると、二人掛けの赤いソファに座ったザックスが顔を上げて振り返り、ぎょっとしたように彼女を―正確には彼女の胸元を―見つめ、すぐに目を逸らした。その視線でレーネは、自分の胸が、薄手のセーターの白いニット地に、くっきりと形の良いふくらみを作っていることに気づいた。この白いオフタートルの七分袖セーターは、さっきコーヒーを淹れる前に着替えた時、首の包帯が目立たないようにと思って選んだものだけれど、でも本当は、彼を誘惑するような要素を、潜在意識で見出していたのかもしれない。その証拠に、自然と背筋を伸ばし、胸を突き出すような姿勢になった。
「どうぞ」
「ああ・・・どうも」低いガラスのテーブルに二人分のコーヒーを置きながら、レーネは、ザックスが彼女の胸を間近で充分鑑賞できるよう、しっかり前かがみになった。しかし―遺憾ながら―彼の視線は彼女ではなく、清楚な忘れな草の模様のカップとソーサーに釘付けになっていた。
「本当のコーヒーはマグカップで飲んだりしないの」
「そうなのか?」
「ええ、そう」ザックスはおっかなびっくりという様子で小さなチューリップ型のカップに分厚い手を伸ばしかけ、ふと空中でその手を止めて、引っ込めた。
「レーネ。その・・・すまなかった」
いきなり真剣な面持ちで言われ、密かな目的のための次なる行動に出ようとしていたレーネは、はたと動きを止め、訊き返した。
「何が?」
「今日、お前が・・・ひどい目に遭ったのは、俺の責任だ」ずきり、と胸が痛んだ。分かってはいたけれど・・・彼がこんなに親切にしてくれるのは、ただ彼自身の罪悪感から出た行動に過ぎないのだと、はっきり知らされるのは辛かった。ほんの少しでも、彼女自身に好意を持ってくれているからだと、思っていたかった・・・
「赦してくれるか?」
レーネは無理やり明るい表情を作って、快活に答えた。
「私があなたを赦さなきゃならないことなんて、何もないでしょ?」
その逆はあるけれど。
「それに、ザックスが私を助けてくれたんだもの。感謝こそすれ、責めることなんて考えられない。あなたは私の、最高の騎士よ」
張り出した頬骨の辺りをわずかに染めて、ザックスは何事かもぐもぐと口の中で呟きながらソーサーを取り上げ、優美なカップを厚い唇に運んだ。ラグの脇に置いたアンドン・ランプからの柔らかな明かりで、揺れる金褐色の髪に仄かな輝きが添えられた。
両親のところに戻ったら、ちゃんとお礼をするよう、取り計らってもらわなくては。もちろん、ザックスがくれたものは物やお金には換えられないし、彼もそんなものは求めてないだろうけど、それでも、それが何かしら彼の役に立つなら、私が嬉しい。私にはもう、他には何もできないから・・・
「いかが?」
「うん。うま・・・」感嘆するような彼の声は、彼女が素早い動きでぴたりと彼の隣に座った途端、立ち消えた。
「よかった、気に入ってもらえて」
ソファにはまだ少しゆとりがある―とは言っても、彼の大きな体と一緒に座っていると、いつもより小さく感じるけど―ということは無視し、ソファの斜め向かいにあるスタイリッシュな籐の椅子も完全に無視して、自分のコーヒーに手を伸ばす。腿の側面が軽くこすれ合い、体の中に熱が広がった。
「実は、私はまだ味見してないの。どうかしら・・・」
ほんの些細な身じろぎも命取りになるといわんばかりに体を硬直させているザックスに構わず、レーネは落ち着いた様子でカップを取り上げ、唇をほとんど触れるほどに近づけて、芳醇な香りを吸い込んだ。
「ああ・・・」
ほうっと溜息をつくと、隣から、咽喉の奥で押し殺したような唸り声が聞こえた・・・ような気がしたが、あえてそちらは見ないで、濃い褐色の熱い液体をゆっくりと一口含み、こくりと飲み込む。
「うん・・・まあまあ、ね」
リラックスした表面とは裏腹に、緊張で神経が焦げつきそうだった。この場から逃げ出したくなるのを、必死で抑えつけた。
今夜が、最後の夜なんだから!
ともすればくじけそうになる気力をどうにか奮い起こし、見せつけるように緩慢な動きで右脚を―彼の側の脚を―持ち上げ、膝を組む。と、膝上で柔らかく脚にまとわっていた薄いコットンの巻きスカートがさらりと流れ、濃淡のある翡翠色の生地に隠されていた腿が少し覗いて、焼けつきそうな視線が突き刺さるのを感じた。
「そう、でも、ちょっと・・・・」
小首をかしげて、ううんと深く息を吸う。敏感になった胸の先が薄い生地を押し上げ、擦れて甘い痛みを生じた。セーターの下はシルクのスリップだけなので、そのシルエットは外からもはっきり分かるはずだった。・・・彼が見てくれさえすれば。
「ほんのわずかだけど、雑味が出ちゃったみたい。まだ少し、お湯が熱過ぎたかしら?」
勇気を出して体をひねり、隣を覗き込みかけた途端、彼は残りのコーヒーを―まだかなり熱いはず―一気にすすって、繊細なカップをがしゃんとテーブルに戻した。
「うまかった。ありがとう」
その瞬間、彼女の中でぷつんと何かが切れた。
「もしよければ、もう1杯淹れてあげる・・・明日の朝、ベッドから出たら」
凄まじい勢いで彼が立ち上がった拍子に、太く強靭な脚が彼女の肘にぶつかり、手の中のカップから、まだ残っていた熱い液体が飛び散った。
「あっ!」
「わ、悪いっ!!」彼は、その体格からは想像もできないほどの敏捷な動きで彼女の手からカップを奪い取って、これもまたガシャンとテーブルに置き―その勢いでさらに中身がこぼれたけれど、彼は気づいてないだろう―濡れた彼女の手首をがっしりと掴んで、何か拭く物はないかというようにおろおろと辺りを見回した。
「だ、大丈夫・・・なわけないよな、火傷したか?すぐに拭いて・・・いや、水で流して・・・」
「大丈夫だけど・・・でも・・・」文字通り、我が身に降りかかった天罰の焼けつく痛みを感じながら、滲みの広がっていく布地を眺める。白いセーターはもうダメだろう。スカートはすぐに洗えばなんとかなるかもしれないけれど。
洗う?今すぐ?
一瞬にして、心が決まった。
「そうね。すぐ洗わないと」
数秒とおかず、手首を掴んでいるザックスの手にぐっと力がこもり、彼女の行動を阻んだ。
「な・・・何してる?」
訊ねる彼の声はかすれていて―すなわち、彼女の意図を正確に理解していることを示していた。
「服を脱いでるの」
「よせ」
「脱ぐ必要があるの」
「分かってる、だが・・・」ためらうように手の圧力が弱まった隙に、レーネは素早くウエストの紐を解いた。翡翠色の渦が、下半身から床に滑り落ちる。たじろいで半歩後ずさった彼の手を振り払い、汚れたセーターを頭から脱ぎ捨てた。
「レ・・・!」
彼は逃げなかった。一目散に逃げ出されるかもしれないと思っていたけれど、彼はそうせず、真っ直ぐ前に目を向けて、そこに堂々と晒されたものを―クリーム色の薄いシルクのスリップ姿を―食い入るように見つめていた。上から下まで、まるで視線で触れるかのように、彼女の体の上に、余すところなく熱い軌跡が描かれていく。容赦なく全身を目で探られ、愛撫されているうちに、どんどん気温が上がっていくような気がした。サンダルを履いた爪先まで丹念に撫で下ろしていった彼の目が、再びゆっくりと上がってきて、決意に満ちた彼女の顔で止まる。金褐色の瞳が、彼女の目を見つめ、何かを探るようにかすかに翳った。
「俺は・・・」
声が低くかすれて消え、ごくりと唾を飲む音に呑まれる。そしてどちらからともなく一歩近づいた。
その瞬間、自分に脳味噌が付いていたのかどうか・・・付いていたとしても、血液が通っていなかったのは確実だ。なぜなら怒涛のごとく脈打つ血流は、体の他の部分に―急激に膨れ上がり硬直してしまった部分に―集中していたのだから。
コーヒーの香りに催淫効果があるなんて思ってもみなかったが、きっとそうに違いない。脳に浸み込む芳香と共に、体にぴったりフィットした服を着たレーネが現れた瞬間から、さっきまでおとなしくなっていたはずの下腹の辺りが、ざわざわと怪しくさざめき始めた。可憐な青い花模様の―彼女によく似合う―カップから、かすかな湯気が、ゆらめきながら立ち上る。どうにかこうにか自分のすべきだったことを思い出したものの、レーネが何気なく口にした一言に、あっさりノックアウトされた。
「あなたは私の、最高の騎士よ」
みっともなく舞い上がった、その動揺もまだ落ち着かないところに、さらなる一撃を受け―といっても、ただ、レーネが隣に座っただけだ―症状の深刻化は決定的になった。コーヒーを飲む彼女の些細な動きさえもが、研ぎ澄まされた空気と、太腿を通して、強烈に体に響いてくる。急に狭まったように感じる視界の端で、思わせぶりに長い脚が組まれ、セイレーンの腰衣の如きスカートの合わせ目から、夢のような腿の一部が顔を出す。なめらかな白が目を刺し、電流が脊髄を駆け抜けた。まるでコーヒーに酔ったように神経が麻痺した頭に、突飛な考えがよぎった。
もしかして・・・誘ってるのか?
バカな!こいつにはちゃんとした婚約者がいるんだぞ。しかも、くそいまいましいことに、もうすぐそいつと結婚するつもりだ。推測と期待とを混同して、あらぬ妄想をするんじゃねぇ!
いや、待て、それなら・・・俺が誘ってみたらどうなんだ?今ならこいつは、俺に心を許してくれてる。うまく抑制を解いて、その気にさせられれば、受け入れてもらえるかもしれねぇじゃねぇか?もしかしたらこれは、繰り返し見てきた夢を実現できる、千載一遇の―いや、もしかしたら最後の、チャンスかも・・・
くそっ、何考えてる!それじゃあまるで、どうにか野犬を追っ払ったと思ったら実は狼を招き入れちまってた、ってようなもんだ!それに、もし仮に首尾良くその気にさせて、そういう関係に至れたって、こんな状況での出来事なんて、一夜の夢として片付けられちまうのが関の山だ。ダメだ、ダメだ!こいつを手に入れる時は、全部丸ごとじゃねぇと。こいつの心も、体も、将来の約束も、何もかも、俺のものなんだ!
だが、いつまで意地を張っていられるのか―理性を保っていられるのか、全く心もとなかった。彼女はまるで、どうすれば彼を興奮させられるかをよく知っているかのように、的確に彼の弱点を突いてくる・・・もっとも今の彼は、彼女の目線一つで暴発してしまいそうだったが。ズキズキと身の内から突き上げてくる苦痛に耐え続けるのは、もはや拷問に近かった。おまけに―幸か不幸か隣に座っているためにまだ気づかれてはいないものの―いつ彼女が、彼のズボンの前がはちきれそうになっていることに気づくかと思うと、気が気でなかった。ふいにレーネが彼の方を振り向きそうになり、慌ててその視線を逸らそうと、熱いコーヒーを一気に飲み干した。
「うまかった。ありがとう」
「もしよければ、もう1杯淹れてあげる・・・明日の朝、ベッドから出たら」その後はもう、何がどうしてそうなったのか、まったく分からない。狼狽と混乱の奔流に押し流され、気づいた時には、自分のごつごつした粗野な手が、光沢の有るなめらかな生地を我が物顔に撫で回しているのを、ただ呆然と眺めていた。
これは、いつも見ている淫靡な夢の一つだろうか?レーネを待ってる間に、つい、ソファでうとうとしちまって、こんな悩ましい幻想を見てるんだろうか?
だとしても、もうどうでも良かった。こうなったらもう止められないのは―何度も夢で見たから―よく分かってる。完璧な曲線を描くたおやかな腰に手を彷徨わせながら、ぐいと引き寄せると、はっと息を呑む音が聞こえた。すらりとした手が遠慮がちにシャツの胸に当てられたのを無視して、ウエストの繊細なカーブを執拗になぞり、徐々に上に這い登っていく。その手は彼の意志とは無関係に動いているのに、薄い布切れの下の肌の温もりも、柔らかさも、あまりにも鮮明で、掌に焼きつくようだった。背筋のくぼみに指を沿わせて華奢な背を上下に撫でると、まるで物理的な反応のようにレーネの体がしなやかに反り返り、形の良い二つの丘が彼に向かって突き出された。その頂上の突起を口に含んでしゃぶり尽くしたい衝動をどうにかこらえ、右手を前に這い出させ、そっと片方のふくらみを包み込む。彼の手にしっくり馴染む形と重さのそれを、ゆっくりと、だが確かな熱情を込めて揉みしだくと、わずかに開いた唇から、溜息交じりの声がこぼれた。
そのまま鎖骨の上のくぼみにかかるストラップをなぞろうとして、するりとその下に指が入り込んだ。急いで抜いた途端、ごつい指が引っかかって、細く頼りないストラップは肩から落ち、淡い覆いは、ふんわりと、豊かなふくらみの半ばまでをあらわにした。
止めろ!ここで止めるんだ!!
頭の中で喚く声が聞こえ、体は一瞬、その意向に従ったかに思えた。レーネから離れて一歩下がりながら、しかし、ざらざらした両手は丸い腰を捉え、つるつると滑る覆い布をぐっと強く押し付けた。その手が、じり、と上に動く。薄い生地がたわめられ、裾からちらりと三角の布が覗いた。その中央に透けて見える、うっすらと黒い陰りから目を逸らすのは不可能だった。自分の咽喉から、乾いた、獣のような唸り声が漏れ、その音に自分でぎょっとして、やっと手の動きが止まった。
「ザックス・・・」
レーネが身を寄せてきたおかげで、それは彼の視界から遮られたが、替わりに、濡れて艶やかに光る、甘そうな唇が誘いかけてきた。
「ダメだ・・・」
やっとのことでかすれた声を絞り出すと、レーネが長い睫をまたたかせた。
「ダメ?」
その切なげな響きに、ぎゅっと胸が詰まる。だが、ここで成り行きに任せてしまったら、絶対に二人とも後悔する。
「キスだけで終われねぇ・・・もしおまえと触れ合ったら、俺は・・・」
だがレーネは―彼もだが―既にすっかり雰囲気に呑まれてしまっているらしく、うっとりと半分閉じかかった蒼い瞳を熱っぽく潤ませて、彼だけが唯一の望みであるかのように身を摺り寄せてきた。警告の言葉は虚しく宙に消え、小さく柔らかな掌が、今朝髭を剃ったきりのざらざらの頬を優しく包んだ。
「お願い・・・」
震える唇が、熱い息を感じるほどに近づき、まさに触れ合おうとした瞬間、甘い囁きが耳を打った。
「今夜だけで、いいから・・・」