Tiefblau als früher Tagesanbruch 4



 

答えを探してまた隣を見上げたけれど、彼は悠然と―さっきまでよりも速度を緩めて―歩きながら、通りの向こうの何かに威圧するような眼光を投げていた。

「あっ・・・」

よそ見をしていたせいで石畳に足をとられた。が、今度もすかさず大きな手が腕を支えてくれた。

「あ、ありがとう」

腕に置かれた手がぎゅっと強張るのを感じ、内心で首をかしげた。なぜこの人は、私がありがとうって言うたびに硬直するんだろう?

「いや・・・」

すっと手が離れ、大木のような体が一歩引く。

「ほんとに大丈夫か?もしこれ以上歩けなさそうなんだったら・・・」
「大丈夫!」

慌てて答えてから気がついた。
もし、もう歩けないって言ってたら、また抱き上げて運んでくれた?もしかしたら・・・

「それ、やめろ」
「それ?」
「ハイヒール」

思わず足元を見下ろす。今つまづいたのはヒールの高さとは関係無いということは自分ではよく分かっていたけれども、反論はせず、曖昧に首を振った。そしてふと思った。彼女自身、背が低い方ではないし、その上ハイヒールのブーツをはいているのに、目の前にあるのは、丸太のような首と広くて分厚い小山のような肩。これだと、彼が顔を傾けてくれなければ、キスできるのは顎の下ということになる。

ふっと、自分が無精髭だらけのがっしりした顎に唇を近づけている映像が浮かんだ。鼻腔に広がる男性の匂い、ざらっとした肌触りを唇と舌で感じて・・・彼が、感じたように呻き声を洩らす・・・

まったく、もう!

己の妄想の逞しさに恥じ入り、歩きながら一人で赤面した。これまで一度も男性の気を惹こうとしたことなんてなかったのに・・・絶対、変。

「ここか?」

はっと気づくと、いつの間にか自分のアパートの前に立っていた。

「あ・・・はい。ここの一番上なんです」

彼は建物を見上げ、一瞬、何とも形容し難い奇妙な表情を見せたが、素早くそれを隠して彼女に目を戻した。彼女は反射的に、コーヒーでもいかが、と訊きかけたが、すぐに馴れ馴れしすぎると気づいて思いとどまった。二人して数秒間言葉を探していた後、彼がためらいがちに口を開いた。

「今さら尋ねるのも間抜けだが・・・」

首をかしげて見上げ、じっと見つめてくる瞳の、心の奥まで溶け入るような深い色合いに胸をときめかせる。

「・・・おまえの名前は?」

ああもう、私のバカ!あんなにべらべら喋ってたくせに、肝心の名前をまだ名乗ってなかったなんて!

「本当の名前はオディール・・・」

彼がかすかに眉を寄せ、何か腑に落ちないというような―しっくりこないと言いたげな顔をした。

「でもずっと『レーネ』って呼ばれてるんです。どうしてなのか、いつからなのか、よく分からないんですけど。変ですよね、まるでこの国の人の名前みたいで。あっ、『変』って、別に、この国の人の名前が変っていう意味じゃなくって・・・」

慌てて言い訳しようとする彼女を片手で遮り、彼は男っぽい顔に少年のような―彼女の鼓動を加速させる―笑みを浮かべた。

「俺もレーネって呼んでいいか?」

たぶん、とんでもなく浮かれて見えるに違いないとは思いつつ、こらえきれない笑みが満面に広がる。

「はい、もちろん。ザックス」

さっ、と彼の顔色が変わった。

「なぜ俺の名を知ってる?」
「え・・・っと、さっきお店で女の人が・・・」
「ああ・・・そうだったか」

軽く息を吐いて大きな手を上げ、ぞんざいに横髪を掻き上げる仕草に、目が釘付けになる。手を伸ばしてその緩やかにウェーブした髪を梳いてみたくて―ざらざらの無精髭に覆われた顎を撫でてみたくて、たまらなく胸が締め付けられた。深呼吸して肺に空気を送り込み、口を開く。

「いつ、私が必要ですか?」
「何だって?」

まるで予期せぬ質問をされたかのように、ぎょっと彼がたじろいだ。

「靴を作っていただくのに」
「・・・ああ」

なんだろう?彼は少しそわそわして、心ここにあらずという感じに見える。なんだか彼らしくない?・・・ような気がするけど・・・

「いつでも、お前の都合のいい時で構わない。店は17時までだが、俺はたいてい20時頃まではいるから。学校が終わった後にでも・・・」

急に強い風が吹きつけてきて、顔に乱れかかった髪を片手で押さえた。

「じゃあ、明日の夕方、16時過ぎくらいに。で、いいですか?」

返事がない。ふっ、と彼の視線をたどると、彼は固まったように、鞄を抱え直した彼女の左手を凝視していた。

「あの?」

彼がはっと顔を上げる。すっかり傾いた日射しの陰ではっきりしないけど、気のせいか、なんだか顔色が・・・?

「あ、ああ。・・・じゃあ」

ふらっと行ってしまいそうになる後姿に慌てて呼びかけた。

「あの!」

重そうな体が足を止め、ゆっくり振り返る。

「今日は本当にありがとうございました」

彼は何か言いあぐねるようにしばらく佇んでいたが、結局何も言わずに、首を横に振って行ってしまった。どっしりと存在感のある、野性的な力に満ちた背中が角を曲がって消えてしまうまで、アパートに入る階段の下に立ち尽くしたまま、じっと見つめていた。
 
 
 

その日の夜は、彼の夢を見た。


 

 続き Fortsetzung

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