Am schönen Tage 1



 
「なあ、どっか変じゃねぇか?」

まったく、どうにも落ち着かねぇ。なんだか息苦しいような気もするのは、たぶん、緊張してるせいじゃなく、着慣れないブラック・タイの正装なんぞ着こんでるせいだ。そもそも俺にタキシードなんて似合うわけねぇじゃねえか?

「レーネのドレスに合わせるには、せめてタキシードじゃないと」

と、強硬に主張するクレールとイゾルデに押し切られ、ほとんどムリヤリあつらえさせられた。もちろん、作ってくれると言うのに文句を挟むような筋合いではないし、ほぼ間違いなく寸足らずな貸衣装を着ずに済むんだから感謝すべきなのは分かってるが、こんな、たぶん二度と着ることはないだろう服を作らなくても、というのが正直な気持ちだ。もっとも二人の剣幕を思えば、燕尾服を着せられなかっただけでも良しとすべきなのかもしれねぇが。

レーネと初めて我が家で二人で過ごした翌朝、突然あいつがウェディング・ドレスのデザインをイゾルデに頼むと言い出した時、もっと強く止めてりゃ良かった。クレールだけならそんなに俺に無理強いすることも、たぶん、無かったろうが、イゾルデは身内だから遠慮が無い。二人がかりになると押しの強さが2倍以上になり、俺が太刀打ちできるはずもなかった。

「なあ、おい、やっぱり変じゃねぇか?」

くるりと振り返ると、やはりきっちりブラック・タイで決めたクンツが―悔しいが、こいつは聡明そうな容貌にタキシードが似合って、いっぱしの紳士に見える―椅子の背にもたれて腕を組み、わざとらしくため息をついた。

「ああ、変だな」

くそっ、やっぱりそうか。

「どこが?どこがおかしい?言ってくれ」

きょろきょろと自分のなりをもう何度目かに見下ろすと、クンツがひょいと肩をすくめた。

「お前が。お前の精神状態が、と言うべきか」

前言撤回だ。中身はムカつく野郎のままだ。ずばり、図星を指してきやがる。顔を赤くして鏡の方に向き直ったが、やっぱり腹の虫が収まらなかったので、もう一度振り返った。

「いきなり医者ぶるんじゃねぇ。お前になんぞ、金輪際、診てもらったりしねぇからな」

さらに腹の立つことに、ヤツは軽く鼻で笑い飛ばしやがった。

「すぐ俺の世話になるさ。この町で赤ん坊を取り上げられるのは、ウチの病院だけだ」

自分でも顔が真っ赤になるのが分かった。実は―まだはっきりしてないんで、誰にも言ってないが―昨日、レーネに、どうやら子供ができたみたい、と告げられた。いろんな事を考え合わせると、できたのはたぶん、やっぱり、最初の夜だ。子供が生まれること自体はもちろん嬉しいんだが―というか天にも昇る心地だ―それでもなにやら気恥ずかしい気がするのはどうしようもない。

「そのうち慣れるさ。この先、しょっちゅう着ることになるだろうからな」
「あ?タキシードをか?なんでだ?」
「そりゃ、お前・・・」
「そろそろ始めるわよ。二人とも聖堂の方へ来てちょうだい」

パステルピンクのスーツに身を包んだエルザが、部屋の入り口から顔をのぞかせ、さらりと言った。心臓がどきりとして猛烈に走り始めた。もう一度壁掛けの四角い鏡を覗き込み、黒のボウタイを引っ張ってみる。エルザが近づいてきて、黒い上着の襟に挿さった、小さな白いバラのつぼみの傾きを直し、励ます口調で言った。

「大丈夫よ、兄さん。すごくかっこいいわ。さすが、いい仕立ては違うわね。レーネもきっと惚れ直すわ」

それを聞いて、すっと気持ちが落ち着いた。エルザの言葉に納得したからじゃない。なぜなら俺は知ってるからだ・・・俺が何を着てようと―それがどれほど滑稽だろうと―そんなことには関わりなく、レーネは俺を愛してくれる。それだけは絶対に変わらない。深呼吸し、控え室に使わせてもらってた司祭館の一室を出て、玄関に向かった。正面の階段のところで足を止め、あいつの控え室がある2階をちらりと見やる。

「兄さん?」

エルザとクンツがドアを開けたまま振り返り、俺を待っている。背筋を伸ばし、胸を張って、外に出た。
 
 
 

「くそっ、まだいるのか」

思わず罵り言葉を呟いた俺に、エルザが、短いヴェイル付きのピンクの帽子の下から、たしなめるような視線を寄越す。クンツがひょいと眉を動かした。

「当たり前だろ。お前達の結婚式を見に来たんだから」

司祭館からみると左手の先、聖堂の表の方は、まるで祭りの日か何かのような人だかりだった。町の人間もいるが、半分以上は外から来た記者達だ。なぜなら昨日レーネが―これも俺はやめろと言ったんだが―御丁寧にも両方の国の主だった新聞に、政府要人の一人娘が元・敵国の男と結婚するということを、事前に正式発表したからだ。しかもその男が、金も名誉もない、しがない一職人の若造ときては、ヤツらが見逃すはずもねぇ。この町にレーネを住ませようとしたのは、ここならあいつが面倒に巻き込まれないよう、こっそり隠しておけるんじゃねぇかという目論見もあったからだが、ものの見事に外された。

「私達の結婚を隠す気は無いわ」

レーネは、あの、一歩も引かない表情できっぱりと言った。そして俺は結局、あいつには逆らえない。

「私達の愛は個人的なことかもしれないけど、結婚はそうじゃないの。これは国と歴史の問題で・・・国民の幸福の問題なの」

さっき教会に来てみて、やっとあいつの言葉の意味を―それが大げさでも何でも無かったんだってことを―理解した。たぶん明日には世界中が、俺達の結婚について、本人達以上に詳しく知ってることだろう。ウェディング・ドレスをデザインしたイゾルデにとっては良い宣伝になるかもしれねぇが―もし2週間でそこそこのドレスが作れてれば、だが―俺には気をそがれる以外の何物でもなかった。もちろん俺達の結婚が、仇敵の和解とかなんとか言われて平和の象徴になるなら、それもいいことなのかもしれねぇとは思う。何があってもあいつを守り通す決意にも変わりはねぇ。だが、なぜか俺は、あいつとの結婚式は、もっとひっそりと穏やかなものだったような気が―いや、とにかく、そんなイメージを持っていた。もっともあいつと結婚できるんなら、実のところ、式なんてどんなだろうと構いやしねぇんだが。
 
 

記者達の目当てはあくまでレーネだから、俺なんかには目もくれないだろうが、それでも式の前につかまったら面倒だ。まったく、なんで自分の町で―しかも自分の結婚式で―こそこそしなきゃならねぇんだとは思ったが、背に腹は変えられねぇ。もう一度左手の方を軽く睨んでから、急ぎ足で目の前の、聖堂の東端寄りの脇扉に向かった。聖堂本体の周囲に後から建て増しされた―と言っても200年位前の話だ―狭い回廊に入り、そこからさらに扉を入って、側廊の祭壇脇に出て・・・息を呑んだ。白いリボンと花とで飾られた信徒席は、カラフルに着飾った人々でいっぱいに埋まっていた。その後ろには、立見席までできている。ここがこんな有り様になったのは、クリスマスでも見たことがねぇ。そして最前列には、ちょっと緊張した面持ちのおふくろとヘルマンが座って、じっと俺の方を見ている。

「がんばってね、兄さん」
「じゃあな」

エルザとクンツがそっと囁き、軽く俺の背を叩いて離れていく。一応、クンツが俺の付添い人てことになるんだろうが、この式はいろいろと変則的で、付き添い人は既婚だし、花婿の傍に立つこともなく、最初から着席する。

「何かマズいことがあったら合図しろ。俺が助けてやるから」
「レーネに恥をかかせちゃダメよ」

先輩風を吹かせる悪友と妹にしかめ面を返し、さっさと席に追いやった。そして間を置かず、ずかずかと人々の前を横切って、身廊の中央、古い銀の祭壇の正面へと進み出る。古馴染みの神父様は既にそこで待ってて、にこにこと、さも嬉しそうに俺に笑いかけてた。そういや、考えてみりゃあ、神父様にはずいぶん世話になった。厳しいが、そこに愛が感じられる人で、俺にとってはつまるところ、親父みたいなもんだった。たぶん神父様にとっても、手に負えないクソガキの成長ぶりに、感慨もひとしおなのに違いねぇ。ふと、何か言わなきゃならねぇような気分になったが、この場でしんみり話をするのも変だし、第一、何を言ったらいいかも分からなかったので、ただ小さく目礼して、客の方へ顔を向けた。

信徒席を埋め尽くした招待客はほとんどがこの町の知り合いとその家族だったが、親方とおかみさんもわざわざ街から―冬前の忙しい時期なのに―来てくれてた。フリッツとアウグスティンも今日はスーツ姿だが、フリッツは相変わらず独特のセンスで、アウグスティンはなぜだかやけに嬉しそうだ。他の職人仲間の顔もちらほらと見える。驚いたのは、レーネの友達に混じって、ダーヴィトが座ってたことだ。隣り合った同年代の少女と―レーネの大学の学友とは思えないから、たぶん、故郷の方の知り合いだろう―何か屈託なくしゃべっている。母親に注意されて、ちょっと顔を赤くして俺の方を見たダーヴィトにかすかにうなずいて見せながら、俺はダーヴィトの『強さ』に心底感心していた。

オルガンの音が聖歌を奏で始め、俺はやや祭壇の方へと体の向きを変えた。奏者席は側廊の高い位置にあるのでここからは見えないが、弾いてるのは、小学生の頃、俺が―あるいはクンツだったかもしれないが―ぶちのめしたヤツらのうちの一人だ。そいつとはその後、いい友人になったが、まさかオルガン奏者になるとは思わなかったし、ましてや俺の結婚式で弾いてもらうことになるとは思いもよらなかった。まったく、人生ってのは不思議なもんだ。

そうしてゆったりした厳かな音に包まれて、ぼんやり古い銀の祭壇を見つめていると、なんだか夢の中に入っていくような奇妙な気分に捕らわれた。何百年か磨かれ続けてきた間にすり減った表面が、次第にはっきりと、模様が浮き出して見えてくるように思える。ついこの間、この模様を、こうやって、同じように見ていた気がする。美しく晴れ渡った秋の日の午後、田舎の平穏な空気と、時折思い出したように遠くから響いてくる小鳥のさえずり・・・

突然、外で歓声が上がり、カシャカシャとシャッター音が幾つも連続して聞こえてきた。聖堂内にどよめきが走り、感嘆のため息が漏れる。はっとして振り返ると、大きく開け放たれた主扉のすぐ外に、彼女が立っていた。

『びっくりするわよ』

と、イゾルデは言ってたが、びっくりどころじゃねぇ。衝撃で、雷に打たれたみたいに息が止まった。

「きれいだ・・・」

あいつがきれいなのはよく知ってるんだからバカげた感想だったが、言葉が勝手に口からこぼれていた。自分がぽかんと口を開けて間抜け面を晒してるのは分かってたが、どうしようもねぇ。おそらく、奇跡とはこういうものなんだろう。暗い聖堂の中から見ると、秋晴れの明るい陽射しを背に、かすかに微笑みながら立つレーネは、まさに女神が降臨したように光り輝いていた。こんな美しいものが目の前に―こんな辺鄙な田舎の古ぼけた教会にいて・・・しかも、俺の妻になる。

中に進み入るために、彼女が床に長く引いた裾を少し持ち上げ、ちらりと俺の靴が見えた。つや消しのアイヴォリー色のシンプルなパンプスは、ちゃんと彼女の足に馴染み、周囲の純白の布にもしっくりと溶け込んでいる。結局、俺が始めて彼女のために作ったあの靴は、やっぱりウェディング・シューズになった。あいつがそうしたいと言ったからだが、自分でもあの靴は最初から―作ってる時は意識してなかったが―『花嫁の靴』だったんだと思う。白いしなやかな足に白い靴、それを慎み深く覆い隠す白く長い裾。しかし、普通の花嫁らしい装いはそこまでだった。


 

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