Am schönen Tage 2



 
今朝、役所での式に出た時は、俺も普通の―とは言っても、やっぱり新しく作らされた―スーツだったし、レーネも、普通の花嫁らしい淡いクリーム色の、胸下からふんわりとスカートの広がった―クレールいわく、Aラインとかいう最新流行らしい―ワンピースだった。露出の少ない立襟も、ぴったりとした七部袖も、それにシンプルに纏め上げられた髪型も―エルザいわく、シニョンとかいうらしい―清楚な雰囲気で、ほっそりしたレーネに似合ってたし、それはそれで男心を掻き立てられるには十分以上だった。しかし、今、歩いてくるレーネには・・・吹っ飛ばされた。
 
 
 

レーネの衣装は、当たり前の白無垢じゃなかった。すらりと伸びた脚のラインを際立たせる細身のスカートは、裾こそ白だったが、上に行くに従って少しずつ青みを増し、たおやかな腰の辺りは明るい空色に、細いウエストから形良く盛り上がった胸部は抜けるような青に、ふっくらとミルク色の胸を包むベアトップの縁の辺りは、夜明け前の深い蒼になっている。よく見ると胴部は、色合いをうまく合わせた複雑な模様のはぎ合わせ―イゾルデの得意技だ―になっていて、その生地は角度によって銀色に輝いて見え―間違いなくクレールが見つけてきた布だろう―斬新でありながら、上品さを失ってはいなかった。

つややかな黒い髪はギリシャ風にゆったりと結い上げられ、その上にまとった、朝焼けの彩雲のように輝く細めの幅のヴェイルは、彼女の美しい顔をまったく隠してはおらず―普通、花嫁のヴェイルはもっと深いもんだろう―両端が剥き出しの肩にふんわりとかかって、サイドに長く垂れている。それがまた、女神のような雰囲気をいっそう強めている。顔の周りの髪がアシンメトリーに片方だけ下ろしてあって、毛先が鎖骨のくぼみのところで小さな渦を作り、あいつが一歩ずつ歩みを進めるたびに官能的に揺れる。急に、自分の胸で心臓が飛び跳ねているのが気になり始めた。暗い堂内がなんだかまぶしくなったような気がする。俺はこんなにくらくらしているのに、あいつはまったく落ち着き払って、カラフルな招待客の花畑の間の白い道を、ゆっくりと近づいてくる。
 
 

こういう肩の出たドレスの時は、肘までの長い手袋を着けるものだと思うが―俺だってそれくらいは知っている―あいつはすんなりと滑らかなオパール色の腕を惜しげもなくさらし、片腕に、ヴェイルで巻き込むようにして花を抱えている。しかもその花束は、白いバラのつぼみを中心にしてはいるものの、あとは雑多な草花をただ寄せ集めただけ、という感じで―よくは分からないが、たぶん、タイムや何かのハーブなんじゃないか?―俺には、レーネ自身の輝かしい美しさに比べるとだいぶ地味なように思えた。が、その自然な飾らなさゆえに、なんとなく、朝露の野に遊ぶ暁の女神オーロラのように見えなくもなかった。

次第に彼女が近づいてきて、ふと、その髪に輝いているのがティアラではなく、ちりばめられた小さな銀の花だか星だかだ、と気がついた。ふんわりと結われた黒髪の間で、夜空の星のようにちらちらとまたたいている。戴冠式に臨む女王さながらに、レーネは堂々とした優雅な物腰で、中央通路を進んでくる。ただ一人、神々しいまでに美しい様子で・・・
 
 

そう、ここは、本来は父親に伴われて歩くべきところだ。だが彼女の両親は、この結婚式には出席していない・・・表向きには。ここで結婚式をすることに決めた時にはまったく考え及ばなかったが―たぶんレーネもだ―当然ながらレーネの両親がここに来ることは、警備上の理由で困難、という結論になった。だからあいつは今、たった一人で歩いてくる・・・俺に向かって。送り出す親がいない理由は現実的なものだったが、これを象徴的に捉えるヤツらもいるだろう。だがまあ、こんなことはこれから幾らでも起こりうるんだから、いちいち気にしてはいられねぇ。第一、あいつの厄介な両親は、しっかりここにいる。

ちらりと左へ―自分の親族席へ―目を遣った。シャルル、つまりレーネの父親は、赤ら顔の化粧に、褪せた金髪のかつらと付け髭、垢抜けない衣装でヘルマンの隣に陣取り、田舎の親戚に化けたつもりらしいが、逆にいかにもという感じで不自然に見える。そこにいくと、母親のクレールの方には舌を巻いた。さすが元女優と言うべきか、どこから見ても、どこにでもいそうな、ちんまりと素朴で家庭的な当たり前のばあさんだ。俺自身がなんだかガキの頃、このばあさんに可愛がってもらったような気がしてくるほどだ。体が小柄なのは本当の姿と変わらないが、侵しがたい気品に満ちた上流の貴婦人はどこにもいない。たぶん彼女は今、『俺の祖母』という役柄を演じているんだろう。・・・そして、かなりそれを楽しんでいる。実際にはない無数のシワや、硬く乾いた肌の加減など、いったいどうやったんだと思ったが、クレールはただいたずらっぽくウィンクして、「秘密よ、ぼうや」と言っただけだった。
 
 
 

シャルルとは、一応、一定の合意をみている・・・と思う。挨拶に行った日、レーネの祖父母の老伯爵夫妻は、俺にわりあい好意的だったが―もしかしたら物珍しい生き物みたいに思われてたのかもしれねぇが―シャルルの方は、予想通り、そうとう風当たりが強かった。まあ、こんな可愛い娘を掻っ攫われようとしてるんだから、それは当然だろう。とにかく、間断無く繰り出される矢継ぎ早な攻撃をどうにかかわし、俺をかばおうとするレーネが父親と険悪な雰囲気になりかけるのをかろうじて調停し、とんでもなく豪勢で堅苦しいディナーをなんとか大きな失敗も無く乗り切った後、やっと、二人で話をするチャンスが与えられた。

「私は食後の一杯を楽しもうと思うが、君はアルマニャックなど好まないだろうね?」

嫌味を隠そうともしない口調にレーネが敏感に反応して何か言いかけたが、クレールが素早く引き止めてくれた。心の内でクレールに礼を言いつつ、シャルルを正面から見返した。

「喜んで付き合いますよ、『お父さん』」

俺が受けて立ったのを見てクレールは童話のネコのような笑みを浮かべ、レーネは不安げに身じろぎした。やきもきさせるのは可哀想だが、男同士には決着をつけなきゃならないことがある。広々とした豪華なダイニングに隣り合った、こじんまりして、且つ重厚なシガールームに移ると、シャルルは―俺に脅しをかけるでもなく―真っ直ぐにアンティークなライティングデスク風のキャビネットに歩み寄り、表面に精巧な寄木細工をほどこした引き戸を開けて、棚から独特な形のボトルと、ふっくらした優美な曲線を描くグラスを2個取り出した。曇り一つ無いグラスに年代物の高級ブランディーをたっぷりと注ぎ、1つを俺に手渡す。

「葉巻は?」
「いえ」
「だろうな」

さっと扉を閉め―さすがいい家具だけあって、滑りがなめらかで音も立たない―シャルルは俺に背を向けて、大きな暖炉のそばのソファに歩いて行った。彼は、ハンサムと言うには少し強面だが、六十近いという年齢の割には精悍で、活力溢れる男だった。だが、ゴブラン織りの一人用ソファに深々と腰掛けた彼の顔つきは、それまでとはまったく違っていた。太腿の上に投げ出した大きな掌の中で、上品で官能的な美をたたえたグラスがゆっくりと円を描く。

「・・・今年の夏はまれに見る好天続きだったな。先日うちのシャトーに行ったが、今年のはいいワインになりそうだという話だった。君の地元も同様だろう」

そうきたか。

「私が言うのもなんだが、君らの国も完全に主権を回復したし、これからは経済も・・・」
「シャルル。俺にあいつをあきらめさせようってのは、不可能だ」

肩幅の広いがっしりした体をソファの背に沈め、シャルルは溜息をついた。

「あの子は世間を知らん」

白いものの混じる黒髪を片手でかき上げるシャルルの表情は、年相応に疲れて見えた。男らしい皺の刻まれた口許にグラスを運びかけてすぐに下ろし、底知れない暗赤色の瞳に憂いをたたえて、シャルルは傍らの大きな地球儀を見やった。

「あの子は誰にでも心を許し、相手を疑うということがない。裏切られても、相手ではなく、自分に非が有ったと考える。おまけに時々、突拍子もないことを言い出す。君と結婚するというのもその一つだが」

ここは反論するところではないだろうと思ったので、あえて沈黙を守った。

「おそらく君も気づいてるだろうが、私の娘は、危険に飛び込む天才だ。子供の頃から、何度危うい目に遭ってきたことか。生命の危険があったことも、一度や二度ではない」

なるほど。俺は突っ立ったまま、手の中の、赤みを帯びた艶やかな琥珀色の液体を見つめた。

「心配でたまらんのだよ・・・いつかあの子が、心にしろ体にしろ、取り返しのつかんほど傷つくのではないかと思うと。いや、君が故意にあの子を裏切ると言ってるんじゃない。状況というのは、しばしば厳しく、抗い難いものだ。見たところ、君は愚か者ではないようだ。君にもいろいろと望みはあるだろうが、もし、本当にあの子を愛しているのなら、どうするのがあの子のために一番良いか、考えてやってはくれまいか?この結婚がどれほど無謀なことか、君にも分かっているだろう?」

ぐっ、と華奢なグラスの脚を握り締め、中身を一気に半分ほど飲み干す。馥郁とした高雅な香りが鼻に抜け、濃い熱が舌と咽喉を焼き、胸に広がった。

「たぶん、君は立派な男かもしれんが、一人でできることには限度がある。果たして君はあの子を守り切ることができるか?君達を取り囲む数知れない危険の中で、あの純真無垢な娘を?」

俺は静かにグラスを下ろして、傍にあった東洋風の背の高いサイドテーブルに置き、全てを飲み込むような闇色の瞳を真っ向から見返した。

「あいつは・・・あんたが思ってるよりずっと強い。たぶん、俺なんかより、ずっと」

黒く太い眉がピクリと上がった。かすかな苦味を口の中に覚えながら、それでも言葉は胸の奥からほとばしるように勝手に出てきた。

「あいつが危ない目に遭った時ってのは、たいてい、誰かを助けようとして、じゃなかったか?小さく、弱いものを危険から守ろうとして・・・時には自分より大きく強いものさえ、傷つかねぇように守ろうとして・・・あいつは自分を投げ出す。一瞬のためらいもねぇ。ただそのことだけを考えて、自分のことはまったくかえりみねぇ。自分の命さえも」
「そこまで分かっているなら・・・」

口を挟もうとしたシャルルを―あるいは、話を途中で止めると彼に説得されてしまいそうな気がしたからかも知れねぇが―手を振って遮った。

「それはあいつの本質だ。俺にもあんたにもどうしようもねぇ。たとえ何十人もの護衛であいつの周りを固めてたって、それを変えることはできねぇ。それがあいつの意志である限り」

黒々とした目を眇めるようにして鋭い眼差しを向けてくるシャルルを睨みつけ、両手を体の脇で拳に握り締めた。

「けど、あいつは俺に約束してくれたんだ。もしそんなことがあったら・・・自分を犠牲にしなけりゃ解決できねぇって思うような事態にぶち当たった時は、必ず、まず俺に相談する、って」

初めてシャルルが虚を衝かれたような表情を見せた。

「あの子が?君に?」
「そうだ。俺達は約束した。お互いに、相手を悲しませるようなことはしねぇと。俺達は絶対にその約束をたがえることはねぇ。これは、何者にも侵すことのできねぇ、神聖な、永遠の約束だ」

シャルルはいかつい顔を横に向け、黙りこくったまま片手で地球儀の表面をなぞっていた。が、ふとその指先を止め、溜息をついた。

「・・・そうか」

緩慢な動作で立ち上がり、首を振りながらそのまま部屋を出ようとする。

「シャルル?」

彼は慌てる様子も無く、ゆったりと振り返った。深く皺の刻まれた口角が片方だけ上がる。グラスを持った手を胸の高さまで持ち上げ、人差し指の先を俺に向けた。

「本当は君を一発殴ってやろうと思っていたんだが、今はやめておこう。だが、いつか、君があの子を悲しませるようなことがあったら、その時は覚悟しておくがいい」

俺は脇に置いたグラスを取り上げ、残りを一気に飲み干した。グラスを戻し、両手を腰に当てて胸を反らす。

「それじゃあ、あんたには俺を殴るチャンスは二度と無ぇ。残念だったな」

黒い瞳をきらめかせてニヤリと笑うシャルルは、確かに男前に見えた。


 

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