Tiefblau als früher Tagesanbruch 6



 

目覚めた時には、もう、何の迷いも無かった。

あの人が好き。

静謐とも言えるほど、不思議に揺るぎない確信だった。体の奥深く、自分自身も知らなかった密やかな源から、澄んだ光が溢れ出すように・・・いつしか強く、大きな輝きとなって、全てを包み、導いていくように・・・

これからは、彼がずっと傍に居てくれる。

そう思うと、心が震えるほど嬉しかった。『彼』に巡り逢うことができた・・・やっと。まるで磁石に引き寄せられるように、こんなにも強く心惹かれる人―この人でなければならないと思える人と。ほとんど奇跡的に。彼と一緒なら、何もかも大丈夫だと思える。体の底から力が湧き上がってくるみたい。ああ、あの柔らかな色の髪に、硬い無精髭だらけの顎に、早く触れたい。あの温かく大きな体を、何より、純粋で優しくきれいな心を―どうしてそんなことを『知ってる』の?―両腕に抱きしめたくて、待ち切れない・・・

彼だったんだ。ずっと捜してたのは。

自分がこの地に導かれた理由が―ううん、この世に生まれてきた理由が、やっと分かった。自分がとても恵まれた環境に生まれ、育ってきたことはよく分かっているけれど、それでもいつもどこか満たされない感覚がつきまとっていた。はっきりとは思い出せないけれども、何かどうしてもしなければならないことが―果たさなければいけない約束のような何かが―あった気がして。それは、ほとんど激しい恋のように、ずっと心を掻き立て続けてきた・・・

ずっとずっと信じてた、片時も疑わずに待ってた、いつか必ず、私のところへ帰ってきてくれるって・・・

『帰って』?

一瞬だけ変だとは思ったけれども、それもすぐに消えた。一つになるべきものが運命的に巡り逢うなら―欠けていた箇所にぴったりとはまり、温もりと幸福で満たされるなら、それは『帰ってきた』と言うのがふさわしい。

彼は、私の運命・・・

昨夜の夢は、きっと二人が結婚して、幸せに暮らすことを暗示してたに違いない。何だか大昔みたいな世界で、格好もまるで昔の人みたいだったけれど、二人はささやかに、幸せに、暮らしていた・・・

きっとハッピーエンドが待ってるはず。

微かな雫が、絶えることなく長い時を滴り続け、ある瞬間に錆付いた水車が軋み始めるように、止まっていた物語が動き出した。もう後戻りはしない。
 
 
 
 
 

「こんにちは」
「やあレーネ、いらっしゃい!今日も美人だね!」
「ありがとう、アウグスティン」

カラン、とドアについたベルの音を立てて、足取りも軽く店に入る。もう馴染みになった皮の匂いに包まれ、物が山積みになってはいるがちゃんと片付いている狭い店内を見回すと、窓際で別のお客の相手をしていたフリッツが、赤みの強い褐色の頭をかしげてちらっと視線を寄越し、にっと笑った。フリッツにも軽く手を振って笑いかけてから、低いカウンターで仕切られた奥の作業場から、麦藁色の巻き毛に縁取られたソバカスだらけの顔を上げてにこにこと愛嬌を振りまいているアウグスティンの方へ歩いていく。2人ともザックスの弟弟子にあたる職人仲間だ。

「ザックスは?」
「今、親方と仕事で出てるよ。じき戻ってくると思うけど」
「そうなの」

2週間以上もほぼ毎日通いつめて―本当はそんな必要もないのに、店の人達にどう思われていることか―いる間には、ザックスが留守なこともままあった。なので、いつもどおりその辺の椅子の1つを引いて座り、2人とおしゃべりして待つことにする。

「素敵なデザイン画ね」

アウグスティンの手元を覗きながら言うと、上を向いた低めの鼻が得意そうにぴくぴくした。

「あっ、やっぱりそう思う?自分でもこいつは自信作で・・・」

カスタムメイドの店というのは普通、オーソドックスなデザインの、決まった型の靴を、お客の足に合わせて作るというのが仕事だ。が、若い彼らは、そういった”修行”とは別に、自分なりのアイディアを描き起こしたり、時には形にしてみたりということをしていて、彼らの親方も―よくは分からないけれどもレーネが見る限り―それを奨励しているようだった。

「・・・から、目立つこと間違いなしだろ?」

アウグスティンのデザインはたいてい奇抜で人目を引くようなものが多く、見ているだけで楽しくなった。

「そうね。特にこの、甲から足首に巻きつく感じが素敵だと思う」
「それ!実は鳥の羽がモチーフでさ、ほら、爪先の方は嘴っぽくなってるんだよね」
「あら・・・ほんと」
「どう?気に入った?ウケるかな?」

口ぶりは心配そうながらも、無邪気な明るい緑の目を期待できらきらさせているアウグスティンに、思わず笑みがこぼれた。

「面白いんじゃない?きっと女性に大人気よ」
「いやあ、それほどでも。でもさ、俺も時々自分で天才じゃないかって思うことがあるんだよね」

屈託無いアウグスティンの言葉にレーネは吹き出したが、たぶん実際、もし彼の靴を、彼女の故郷の気のきいた店などに並べたとしても、他の華やかな人気デザイナーの靴と比べて何ら見劣りすることはないだろうという気がした。そういう意味では、ザックスの靴はちょっと違う。

「あ、じゃあついでに、こっちも見てみて。アリクイをイメージしたんだけど」
「アリクイ?・・・ってあの、アリを食べるアリクイ?」
「そう、その、アリを食べるアリクイ」

ザックスが作ってくれているのは、シンプルなアイヴォリー色のパンプスだった。『アイヴォリー色のパンプス』を頼んだのは彼女だが、『シンプルな』デザインはザックスのものだ。それは、一見して、『シンプルな』としか言いようがなかった。全体のシルエットも、履き口の形も、皮地の加工や縫製も、何一つ目を引くところはない。バンドやボタンやリボン等の付属品も無く、ヒールは低い―彼女の基準からすると、かなり低い。

「12cmくらいあっても大丈夫」
「ダメだ」
「えっ、じゃあ、9cmくらい?」
「とんでもない」
「でも6cmくらいはあった方がいいんじゃない?」
「高過ぎる」
「3cmより低くはしないで。絶対」
「・・・しょうがねぇな」

というやり取りの末、現在の高さに落ち着いた。出逢った時に誤解されてしまったから仕方がないとはいえ―その場で誤解を糺さなかったから自業自得とはいえ、ザックスの保護者意識というか、過剰な騎士道精神に、その時はちょっぴり苛立ちを覚えた。

「ほら、顔が長くて、しっぽが長いだろ?」
「・・・あんまりそういうふうには見えないけど、でも、デザインとしてはポップで魅力的ね」
「そうかあ。ま、いっか。じゃあこっち。こっちは時計をモチーフにしてて・・・」

だが、『彼女のための靴』がザックスの手で次第に出来上がってくるのを見ているのは楽しかった。作ってくれているのがザックスだからかもしれないけれど、それは、見た目は何の変哲もないのに実は魔法の靴であるかのように、なぜかドキドキさせられる、不思議な靴だった。ザックスの手はごつくて、指は太く、細かな作業には向いていなさそうな気がするのに、実際には意外なほど器用だった。手の甲の辺りまで柔らかそうな金色の毛に覆われたザックスの男っぽい手が、魔法のように動き、皮を伸ばしたり縫い合わせたりして、みるみるうちに靴が形作られていくのを、レーネはうっとりと眺めた。もっとも彼女がしょっちゅう話しかけるせいで、作業の邪魔をしているのは明らかだったけれど。それでも次の日になるとこれまた魔法のように出来上がりに近づいていて、驚かされると同時に、ちょっと残念にもなった―ザックスと話をして過ごすこの時間、この日々が、ずっと続けばいいと思っていたから。もちろん出来上がってからも何かしら理由をつけて会ってもらうつもりだったけど、さすがに毎日というわけにはいかないだろう。

「・・・ここんとこが歯車の連なりになっててさ、ほら、ここに時計の針がついてるだろ?で・・・」

そして昨日、最終的なチェックのために、ほぼ出来上がったそれに足を入れてみて、レーネは悟った。アウグスティンがデザインするのは―そしてこれまで彼女が選んでいたのも―『きれいな靴』だったが、ザックスのは、『履いた人の足がきれいに見える靴』だった。

「・・・のボタンは歯車の形で、カラクリの鳩が、あっ、ありがとうございましたぁ!」

アウグスティンが顔を上げてレーネの肩越しに声を張り上げた。振り返って見ると、フリッツがお客を送り出すところだった。カランカランと扉が閉まり、フリッツがぶらぶらと歩いて来た。

「またわけ分からんデザイン描いてるのか、お前」
「うるせー、お前のほどじゃない」
「またまた御謙遜を」

フリッツはアウグスティンが作業している机の端に腰掛け、デザイン画を1枚つまみ上げてアメジスト色の目を細め、鼻を鳴らした。フリッツのデザインはアウグスティンのとはまた違った意味で独特で、それが人気を博すかどうかはレーネにも分からなかったが、フリッツを見上げて明るく言った。

「私はフリッツの靴も好きよ。個性的で・・・シュールよね」
「おお、さすがレーネ。センスがいいね」
「レーネ、無理することないよ。こいつの靴を認めてるのなんて、ザックスだけなんだから」
「えっ・・・そうなの?」

じゃあやっぱり、フリッツの靴も見どころがあるんだ。正直言って、横がぱっくり開いた紳士靴や、左右の形が違う婦人靴に需要があるのかどうか不安だったけど、ザックスがいいと言うなら大丈夫よね。

「そう。ザックスって意外と変わってるよな。世の中には色んな人がいるからな、とか言ってさ」
「ザックスの方がお前より見る目があるってだけのことさ」
「親方だってクソミソにけなしてたじゃないか」
「親方は誰のだってけなすだろ。だいたい親方は頭が固い」
「まーな。二言目には『基本を身につけろ』だからな」
「あ、でも、それは大事でしょ?」

つい口を挟んでしまって、明緑色の目と暗紫色の目にまじまじと見つめられ、レーネはちょっとたじろいだ。余計なことかもしれないとは思いつつも、口ごもりながら言い訳のように続ける。

「小さい頃ちょっとだけバレエを習ってたんだけど、その時・・・」
「へえ、バレリーナかあ!可愛かっただろうな!やめちゃったの?」


 

 続き Fortsetzung

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