Tiefblau als früher Tagesanbruch 9



 

二人のことだから翌日にでもレーネにあからさまに尋ねるかと思っていたが、さすがの彼らも、客の女性に―厳密には客ではないが―そんな不躾なマネはしなかったようだ。彼らが意外に良識的だったことを喜ぶべきなのだろうが、素直には喜べなかった。空しく膨らんだ希望を胸に抱えたまま、いつもと同じようにレーネを見つめるだけの数日が過ぎ、そんな賭けがあったことも忘れかけた頃、とうとうその結果を知った。

「ザックス、今夜はアウグスティンのおごりだぜ」

別件のあった親方と途中で別れ、一足先に店に戻るなり、フリッツが声をかけてきた。

「えー、ザックスにもか?ザックスはうわばみだからなあ」
「ふふん、だからやめとけって言っただろ」
「あー、しょうがねえ!分かったよ」

しばらく何の話か分からなかったが、次の瞬間、突然心に翼が生え、高々と舞い上がった。

やっぱり、そうか。

まだ結婚してないなら、話は簡単だ。手遅れになる前に『間違い』を正すのだ。弾む気持ちを隠し、店の中を見回した。

「レーネは?」
「ついさっき帰っちゃったよ。何か用事があるとかで」
「帰った?」

そんなことは今まで一度もなかった。ザックスは内心がっかりしながらも、表面上はさりげない様子で、自分の作業用椅子を引いた。

「そうか」

まあ、彼女にも都合はあるだろう。彼女の靴は、昨日履いてもらって最終的なチェックをした後、夜なべして調整を済ませてあったのだが―つまり今日、それを渡して告白する予定だったのだが―また明日でもいい。それまでに、昨夜からずっと考え続けてまだ出来ていない告白のセリフの方を、ちゃんと練り上げるべきだろうし。

のっそりと腰を下ろし、机の上に置いてあった、作りかけの試作品に手を伸ばす。

いきなり告白するなんぞ、それこそいちかばちかの賭けだ・・・それは分かってるが、もう他にどうしようもねぇ。このままみすみす縁が切れてしまうのを指をくわえて見てるなど論外だし、それに結局、何をどう言ったところで、唐突になっちまうのは避けられねぇだろう。自分に話術の才覚が無いことはよく分かってる・・・だからこの機会に―アウグスティンの言うところの『タイミング』に―賭けるしかねぇ。それに、もしかしたら、ひょっとすると、成功する可能性だって無いとは言い切れねぇ・・・

実際、希望を持って物事を見てみると、なんとなく上手く行きそうな気もしてくる。思い返せば、出逢ってからのほぼ毎日、彼女は作業している彼の傍らに座り、あの心地よい声で色んな話をしてくれた。靴作りに関する質問に始まり、その日あったことや大学で育てているハーブのこと、子供の頃の夢や将来の望み―だが、例の指輪の男については一言も語らなかった。それは、もしかしたらそいつは、彼女にとってそれほど大きな存在じゃないからなのかもしれない。たぶん、親の勧めとか、彼にはよく分からない上流社会のしがらみとか・・・そんなことなんじゃないだろうか?きっとそうに違いない。だったらそんなものは、彼の情熱の前には、春の淡雪ほどの堅牢さも無いってことを教えてやればいい。・・・それに―これには多分に願望が入っているかもしれないが―時々は、彼女も彼に好意以上の気持ちを抱いてくれているのではないかと思えることだってあった。彼が作っている淡い色合いの華奢な靴を嬉しそうに見つめる時、彼女の瞳には確かに何かがあった・・・たぶん、愛のような・・・

「・・・で、ザックスはどうする?」

持っていた靴を作業用の靴型に掛けながら、ふいに、アウグスティンに話しかけられているのに気がつき、顔を上げた。

「あ?何を?」
「だからさ、今度の日曜」
「日曜?」
「うそだろ、お前まで忘れちまったのか?」

フリッツが皮の細工用の小刀を片手に持ったまま、お手上げというしぐさで天を仰いだ。アウグスティンが自分の作業机に腕をついてザックスの方に身を乗り出す。

「秋祭り!もう来週だよ」
「ああ・・・そうか」

あれこれ有ったんですっかり忘れてたが、もうそんな時期だったか。よし、ちょうどいい、レーネを誘って・・・

「ザックスは彼女を呼ぶんだろ?俺達、レーネを誘ったからさ、日曜に皆で一緒に・・・」
「レーネを?誘ったのか?」

他にも何かひっかかる言葉があったような気がしたが、そんなことは気にしていられなかった。

「うん。だから彼女を紹介して・・・」

更に何かを言いかけていたアウグスティンを遮り、急き込んで尋ねる。

「それで、その、レーネは・・・一緒に行くって?」
「あー、返事は聞きそびれちゃったんだよな。なんか、急に帰っちゃったから。ま、明日にでも訊いてみるよ」
「・・・そうか」

その前にレーネを捕まえて、俺と行ってくれと説得するヒマは・・・無さそうだな。まあ、しょうがないか、最初はグループデートでも。もう、そんな歳でもねぇんだが・・・

「けど、たぶん大丈夫なんじゃないかな。祭りには興味ありそうだったし。やっぱ、ダメモトで言ってみるもんだよなぁ。案ずるより産むが易し!当たって砕けろ!ってな」
「・・・で、砕けて散る、と」

フリッツが作業机上の道具の中から目的のものを選び出しながらすかさず茶々を入れ、アウグスティンがしかめ面を返した。

「まだ散ってねーだろ。あっ、そうそう、それで分かったんだよ、レーネが結婚してないって」
「はあ?」
「だんなさん呼ぶのかって訊いたら、まだ結婚してないってさ」
「・・・ああ」

だが、もうすぐ俺と・・・

「レーネのことだからきっと大学のヤツらにも誘われるだろうけど、でも優先権はこっちだよな!」
「まあ、あわよくばこの機に、なんて目論んでるヤツらは多いだろうな」

大胆に皮地をくり貫きながらフリッツが言い、ザックスは麻糸に蜜蝋を塗り込みながらぎくりとし、アウグスティンはぽんと手を叩いた。

「あ、そっか。まだ結婚してないんだったら、俺にもチャンスはあるかも」

いや、お前にはチャンスはない。なぜならあいつは俺と・・・

「ムリだろ」

一言の元にフリッツに切り捨てられ、アウグスティンが唇を尖らせた。

「なんでだよ。そりゃ俺らなんかじゃレーネには釣り合わないだろうけど・・・」

フリッツは手を止めて赤銅色の頭を振り、さらりと言った。

「そうじゃなくて、ザックスが作ってる靴。レーネの」
「へ?靴がどうかしたか?」
「あれ、ウェディング用だろ?」

え?

「えー、そうなのか?そういや、彼女にしちゃおとなし過ぎ・・・あー、いや、じゃあやっぱ、もうすぐ結婚しちまうんだ?」

ウェディング用?

「たぶんな。そもそもレーネって、まだ結婚はしてないけど、決まった相手はいる、って雰囲気だったからな。さっきだってすごく大事そうに指輪を撫でてたし。ま、着々と準備を整えてるってとこだろ」

ウェディング・シューズ?

「くっそー、そうかあ。どうりで、ザックスが作ってるの、すっごく嬉しそうに見てたもんな。わくわくして、出来上がるのが待ちきれない、って感じでさ」

・・・ウェディング・・・

「きっと結婚式を楽しみにしてるんだろうなぁ。くそっ、運のいいヤツだぜ、花婿は!」

・・・俺は・・・

「フリッツ!アウグスティン!ポークナーのお嬢さん達がお見えだよ!」
「あ、はーい、今行きます!」

店の入り口からおかみさんの声が響き、アウグスティンが揺らしていた椅子を慌てて戻して立ち上がった。フリッツがその前をさっと横切って、作業場と店の表側の接客スペースを隔てるカウンターを抜け、そつなく2人の年配の女性客を出迎える。

「いらっしゃいませ」
「順調に仕上がってる?」
「ええ、俺の方は」

フリッツがニヤリと笑って答え、アウグスティンはしどろもどろに言い訳していたが、ザックスはその場に呆然と座り込んだまま、何も目に入っていなかった。

・・・俺は・・・何を・・・作ってたんだ?


 

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