「特に問題があるわけではないの。ただ、普段の、どうってことない些細なことで、ほんのちょっと食い違いがあったりすることもあって・・・そういうことが続くと、なんだか自分が・・・よそ者だ、っていう気がしてきたりするものだから」
「それは・・・」

分かる気がする。僕も常々、自分が孤高の存在で、自分と同じような人間は他にはいないと感じているから。何か、力づけるようなことを言えればいいんだが。

黒い手袋を嵌めた手を白い柱にかけ、彼女は、半分雪に埋もれた階段をゆっくりと登っていった。

「でも、私がふさいでると、みゅうとやみんなが心配するし、それでなくてもみんな、私にすごく気を遣ってくれてるのが分かってるから、こんなこと、誰にも言えなくて」

・・・それはずいぶんと僕とは違うな。僕に気を遣ってくれる者など、誰一人としていない。特にふぁきあ達など、もっと僕に敬意を払い、感謝してしかるべきだと思うのだが。

柱にもたれて彼女が振り向く。

「変ね。なぜあなたにこんな話をしているのかしら。友達でもないのに」

固まってしまった僕を見て、彼女は少し笑った。

「でも、あなたに話せて、ちょっと気が楽になったわ」

彼女が笑ってくれるなら、少しぐらいはからかわれても我慢しよう。軽く咳払いして、平静を取り繕った。

「・・・それじゃあ、このことをあひる君やふぁきあに相談しようとして?」

彼女が首を横に振ると、優雅なフードからこぼれた巻き毛が襟元で揺れた。

「もともとあひる達に会うつもりはなかったのよ。もちろん話すつもりもなかったし」

口を開きかけた僕をさえぎって、彼女は続けた。

「あひるはいい子よ、とっても。でも、たぶんあひるは、一生懸命私を励まそうとするでしょう?・・・私はそんな風に励まされたいわけじゃないの」

確かに。あひる君の前向きさ加減は、人間業ではない―人間ではないが―からな。

「かと言ってふぁきあには、こんな弱音、口が裂けても聞かせたくないし」

同感だ。奴からは皮肉が一言二言返ってくるのがせいぜいだろう。

「あなたに逢えて良かったわ」

可憐で、少し寂しげに見える微笑に、胸が強く揺さぶられる。

「るう・・・」
「るう」

一歩踏み出したところで背後から声がかかった。聞き覚えのあるこの声は・・・

「みゅうと」

彼女の顔に広がった表情が、否応なく現実を思い出させた。

「そろそろ帰れるかい?」
「来てくれたのね」
「どこへでも、何度でも迎えに来るよ。るう」
「みゅうと・・・」

蚊帳の外とはこういうことを言うのだろう。

「あの・・・」
「ああ、あおとあ、久しぶり。るうのエスコートをしてくれて、ありがとう」
「礼を言われるようなことではない」

精一杯嫌味をこめたつもりだが、笑顔でかわされた。

「ふぁきあ達が世話をかけているようだね?」

まったくだ。

「いや・・・これも僕の使命だからな」
「うん、頼りにしているよ」
「ごめんなさい、みゅうと。私、みんなを待たせてしまったかしら?」
「だいじょうぶ、今帰ればクリスマスの午餐会には充分間に合うよ。それから、クリスマスツリーのてっぺんに星じゃなくて天使を飾っても誰も気にしないし、ケーキを真ん中から少しずつ切り分けてもちっとも構わないからね」
「だってその方が残しやすいから、そうするものだと思ってたの。でもどうせ残しはしないんだから、最初に全部切ってしまっても良かったのね」
「うん、でも、るうがしたいようにしていいんだ。大切なのは、るうがみんなと楽しく過ごせることだから」

・・・そんなことだったのか?

「じゃあ、そろそろ帰ろうか、るう?」
「ええ」

えっ、もう?

「あひる君とふぁきあに会っていかないのか?」
「まだ、その時じゃないから。それに、彼らも今は、自分達のことで手一杯なんじゃないかな」

まあ、そうだな。

「じゃあ、また」
「さよなら、あおとあ。ありがとう・・・いろいろと」

しっかりと手をつなぎ、寄り添って立つ二人の周りで、輝く氷の粒が渦巻き始める。

「るう」

心ときめかすガーネットの瞳が、王子から離れ、こちらを向いた。

「・・・僕達は、もう、友達かな?」
「ええ。たくさん一緒に歩いて、話をしたから、そうね」

よく分からない理屈だが、彼女が微笑んでいるので良しとしよう。

「るう?」
「なに?」
「その・・・また来るかい?」
「そうね・・・いつも道がつながるわけではないし、いつも同じようにつながるわけでもないの。今日は偶然、雪の国を通って道がつながってるのを見つけたから。でももしかしたら・・・」

きらきらと輝く渦が次第に大きくなり、二人を覆っていく。

「るう!」

僕は今でも君を・・・

「・・・何かあったらまたいつでも来てくれ。僕で良ければ話を聞こう」

返事は聞こえなかった。王子の顔に苦笑が浮かんだような気もしたが―もしそうだとしたら、いい気味だが―よく見えなかった。光るつむじ風が消えた後には、ただ、静かな雪の林が広がっていた。とたんに寒気を感じてぶるっと震え、両手で体を抱くように腕を回した。

<あ、あおとあ!>

感傷に浸る間もなく、ひしゃげたアヒルの鳴き声が響いた。ゆっくりと首を廻らせる。

「あひる君・・・と、ふぁきあ」

まあ、当然だな。

「散歩か?」
<うん、今日だったらみんなお休みだから、学校の中をあちこち周ってもいいぞって、ふぁきあが>

あひる君は何やらぐわぐわとわめきたてていたが、ふぁきあはいつも通り眉間にしわを寄せて言った。

「なんでお前がここにいる?」
「僕の勝手だろう」
「誰もいないと思ったから、あひるを連れてきたのに・・・」

その時ふと思った。
まさか、このために学校を休みにしたわけではないだろうな?

「なるほど、僕は、君の物語の中で唯一、予測不能な、不確定要素というわけだ」
「『唯一』じゃない」
「まあいい。君達は心ゆくまでゆっくり周りたまえ」
<あれっ、あおとあ、もう帰っちゃうの?>

腕から身を乗り出したあひる君を、ふぁきあが押しとどめるように抱き直す。

「帰るのか?」
「もう用は済んだからな」

東屋を出て歩き始めた時、雪の上に並んでついた足跡に気づいた。そして、思った・・・今度ピアノを弾く時、僕はきっと、僕のピアノに合わせて踊る彼女の姿を思い描きながら弾くだろう、と。
 
 
 


 

 

 目次 Inhaltsverzeichnis