Bei dir allein 君のそばにいるときだけ



 

「説明してもらおう!」

うだるような暑さの昼下がり、風通しの良い湖の上で気持ちよくうたたねしていたあひるは、穏やかな静寂をぶち壊して響いたわめき声に、頭から水に突っ込んだ。

「どこだふぁきあ!逃げ隠れしても無駄だぞ!」
「俺はここだ。あおとあ」

くるりと水中で一回転してぱしゃんと顔を出したところで、落ち着き払った低い声が聞こえた。ぷるぷると頭を振って冠羽の水を払い、岸辺を見上げる。木陰に椅子を置いて場所を定めていたふぁきあは、さっきと変わらずそこで書き物をしていて、顔を上げるどころか、手も止めていない。あひるは岸までの距離を二蹴りで泳ぎ渡ると、軽く羽ばたいて湿った土の上に上がった。細い枝を水の上まで張り出した、いい匂いのする花をつけた木の根っこをぴょんと飛び越える。あの時のケガはもうすっかり良くなり、思い切り体を動かしても全然何ともない。ふぁきあがあれこれうるさく言いながら、一生懸命手当てしてくれたおかげだ―自分のケガは「気にするな」のひとことで片付けてしまったくせに。あれから約束どおりずっと一緒にいるけれど、前から思っていたとおり、ふぁきあはとんでもない世話焼きだった。

(みゅうとはよくガマンしてたよね!)

憤慨しながらそう思ったことは数知れない。

(いくら心を失くしてたって言ってもさ…)

けれどぶつぶつ言いながらも、不思議なことに本気でイヤだと思ったことはなかった。むしろ嬉しいような気がすることもあった。自分でもヘンだと思ったけれど、たぶん、物心ついて以来ずっと誰にもこんなふうに構われたことがなかったからかもしれない。

(ふぁきあはさ、みゅうとがいなくなって寂しいんだよね、きっと)

そう考えて、ふぁきあのおせっかいも大目に見てあげることにした。それに結局のところ、一緒に暮らしていく上でそんなことは気にしない方が都合がよかったので、それ以上こだわって藪から蛇をつつき出すようなことはしなかった。あひるは勢いよくお尻を降って水気を落とすと、長く伸びた草の間を縫ってぱたぱたと急ぎ足にふぁきあのもとに向かった。
 
 
 

<あおとあ?>
「そのようだ」
<なんで?学校がお休みだからわざわざふぁきあんとこに遊びに来たの?今でもそんなに仲良しだったなんて知らなかったよ>

ふぁきあの手がぴたりと止まり、しかめ面があひるを見た。

「あいつと仲良しだったことなんか一度も無い。いや、そうじゃなくて…」
「どこだ!姿を見せないとは卑怯じゃないか」

ふぁきあは小さくため息をつき、家の方へ顔を振り向けて少し声を張り上げた。

「桟橋のたもとにいる。玄関の左脇に細い道があるだろう、そこを進め。あの剣幕で、遊びに来たんだと思うか?」

最後のひとことはあひるに向かって言った。

<うーん。でもじゃあなんで?>
「たぶん…」

そこでふぁきあは一度口を閉じ、目を逸らしてかたわらに散らかった紙を見やった。

「たぶん、思い出したんだろう」
<えっ、まさか…>
「あの様子だと、まず間違いない」

硬い声でぶっきらぼうに言い捨てるなりふぁきあはペンを置いて立ち上がり、黙々と周囲の紙を集めはじめた。あひるは急いで近くに落ちていた1枚をくちばしで拾い上げ、すらっと長い脚元に走り寄って、ちょこんと見上げた。ふぁきあが上体をかがめてあひるが差し出した紙を受け取り、他の紙と重ね、とんとんと胸元に当てて軽く揃える。

<…どうするの?>
「別に。どうもしない」

こういう言い方をする時のふぁきあは要注意だ。

<どうもしないんだ?>
「ああ」

冷静な横顔は一見いつもと変わらない。でも、どことなくぴりぴりしてるのが分かる。全身に緊張した空気をまとって―まるで初めて逢ったあの頃みたいに。椅子の方へ踵を返したふぁきあの後を追い、首をかしげて覗き込んだあひるに、ふぁきあが気づいて苦笑いし、ふっと緊張が和らいだ。

「心配するな。俺は…」
「なんだこれは!雑草ばかりでどこが道だかさっぱり分からないじゃないか!ここを通れと言うのか?!」
「好きにしろ」

ふぁきあは林の奥に向かってそっけなく言い返し、あひるに向き直った。

「俺が考えてたのと違う展開になってしまったのは確かだが、このことで物語に手出しするつもりはない。今のところは」
<今のトコロ?>
「もしお前に危害が…いや」

すっと顔を逸らして、ふぁきあは右手に持っていた紙の束を椅子の上にばさりと置いた。

「どのみち俺一人でどうこうできるもんでもないだろう。どうせ俺の力なんて、こんなにあっさり破られる程度だからな」
<そ、そんなことないよ!>

慌てたせいで少しどもってしまった。

<だってあおとあってさ、もともと何かヘンって言うか、他の人と違ってたじゃない?だから、つまり、そういうことじゃなくて…>
「何が言いたい?」
<えっとね、ふぁきあの力が足りないとか、思ってないよ、あたし。そりゃ、ふぁきあが一人で何もかもしようとするのはヤだけど、でもそれはふぁきあを信用してないってわけじゃなくて…>
「わぁっ!!」

木立の向こうで、叫び声と同時にぱきぱきと小枝の折れる音がし、続いてどさりという振動音が響いた。

<…転んだね>
「そうだな。それはともかく、こういうことが起きる可能性も全く考えなかったわけじゃない。特にあいつは他の人間より強く物語に関わってたし、なぜかあの後もしつこくドロッセルマイヤーのことを嗅ぎ回ってたからな。…今はせいぜいあいつの動きに注意して、これ以上波紋を広げさせないようにするしかない。俺にできるのはそのくらいだ」

ふぁきあが肩をすくめ、左手を差し出した。あひるはごく自然にその手に向かって飛び上がる。長い腕がくるりとあひるを包み込むように曲がり、華奢な体をしっかりと支えた。全てが、まるで、よく訓練された一連のバレエの動きのように。

<じゃあ、あおとあに話すんだね?>
「あいつを黙らせられる程度には」

それはほとんど全部ってことじゃないだろうか。
あひるの表情を見てふぁきあがちょっと笑った。

「俺達もあいつも、起こったことを受け入れ、できることをするしかない。そうだろ?」
<うん。でも…>

小道に覆いかぶさるように茂った木の葉ががさがさと揺れ、あおとあがよろめきながら転がり出た。この暑いのに、半袖シャツのボタンを一番上まできっちり留め、汗の滲む額に前髪を貼りつかせて。大き目のシャツをゆったりとはおり、前のボタンを3つはずしてくつろいだ格好のふぁきあとは正反対だ。練習着や衣装で見慣れてたせいかもしれないけど、ふぁきあはそんな格好でもだらしなく見えず、涼しげでかっこいい。

かっこいい?

びっくりして心臓がドキドキした。

ななななに考えてるの、あたしってば!だってふぁきあはふぁきあで…ふぁきあがそこにいてくれればそれで良くって…かっこいいとか素敵とか、関係無いんだから。

あひるがもぞもぞと身じろぎすると、ふぁきあがあひるを落とすまいとするようにしっかりと抱き直した。胸がふぁきあの胸にぴったりと押し付けられて、お互いの鼓動が伝わる。最近はそんなふうにされると脈拍がヘンに早くなって、全身に一気に血が流れて、暑さも忘れるくらい体が熱くなって…

いや、だから、そうじゃなくて。

「まったく、到底信じられない!これが『道』か?!細くてでこぼこだらけで藪に埋もれてる上に、落とし穴まである!人を招くのにこんなところを通らせるとは、一体どういうつもりだ?!」
「誰も招くつもりはなかったからな。それから言っとくがあれはただの段差で、落とし穴じゃない。で、何の用だ?」
「何の用だと?!」

あおとあが金切り声を張り上げ、あひるは耳を翼で覆って、考え事を中断した。

「決まってるだろう!これは…これはいったい…つまり…」

言葉を途切らせてぜいぜいと息をついたあおとあを、ふぁきあが哀れむように見た。

「落ち着け。まだ話を聞いてやる時間はある。いつまでもは付き合わないが」

あおとあはいきりたって一息に叫んだ。

「どういうことか説明しろ!何が起こったんだ?!ドロッセルマイヤーの物語はどうなった?!彼女は?!」

ふぁきあが眉をひそめた。

「彼女?あひるのことか?」
「アヒル?アヒルなんかどうでもいい!…いや、まてよ」

あおとあが振り回していた手をはっと止め、顎に当てて考え込む風情になった。

「そう言えばたしかそんな名前の少女もいたな。そうだ、たしか彼女がプリンセスチュチュだった…だんだんはっきり思い出してきたぞ」

だんだん目が輝いてくるあおとあと、だんだん険しい顔になっていくふぁきあを、あひるは心配そうに交互に見つめた。

「お前が彼女の物語を書いたんだ。この町を支配していた物語を終わらせるために。僕は君に懇願されて、何から何までその面倒を看てやったのに、感謝一つされなかった!」

怒りで顔を赤くして口を尖らせ、握り締めた手をふるふると震わせるあおとあの様子は、滑稽と言ってもよかったが、あひるもふぁきあも笑わなかった。

「しかも、話を書くのに没頭していて図書の者に切り殺されそうになったお前を、命がけで助けてやったんだぞ!」

さあっと血の気が引いた。

…えっ?なに?どういうこと?そんなことがあったなんて、ふぁきあ一言も…

大きな目で問いかけるようにふぁきあの顔を見たが、ふぁきあは眉をピクリと動かしただけだった。

「そうか。悪かった。お前には感謝している」

普段ならそのおざなりな言い方をたしなめもしただろうが、この時のあひるは動揺しすぎていた。

「それならこれがどういうことなのか教えろ!君が何かしたんだろう?」
「教えなくもないが…『彼女』って誰だ?」
「彼女だよ!バレエ科のるうだ!特別クラスでもトップだったから、君が覚えていないはずはないだろう!なぜ彼女は学園にいない?!」

あひるとふぁきあはさっと顔を見合わせた。ふぁきあはあおとあに目を戻して慎重に言った。

「なぜ、るうにこだわる?他にも姿を見かけなくなった者はいるだろう」
「そ、それは…」

あおとあはかあっと頬を染めたが、すぐ横柄に怒鳴り返した。

「そんなことはどうでもいいだろう!僕は真実が知りたいんだ!」

あひるは胸が痛かった。行ってしまったみゅうととるうちゃんのことを思い出すと、今でも切なくなる。あおとあもそんな思いをしたのかも―あるいはこれからするのかもしれない。こんなに知りたがってるんだから、教えてあげないわけにはいかないだろう。でも、るうちゃんのことを話すとなれば、ほんとに何もかもあおとあに話すってことになる。ふぁきあはどうするつもりなんだろう?
 
 
 


 

 続き Fortsetzung

 目次 Inhaltsverzeichnis