沈黙 〜Pelléas et Mélisand : Sicilienne〜
 
呆然としていた従者達が動き出し、医者が呼ばれ、王子にも連絡が送られました。王子がいつになく慌てた様子で現れ、あひるは急に罪悪感を覚えて、握っていたふぁきあの手を離し、立ち上がりました。ふぁきあの目に寂しげな諦めの色が浮かびましたが、あひるの視線はずっと王子に向けられており、それに気づくことはありませんでした。王子は目を開けているふぁきあを見てほっと息をつき、笑顔になりました。

「ああ、良かった・・・」

王子は急ぎ足でふぁきあの枕元に歩み寄り、顔を覗き込んで話しかけました。

「僕とチュチュを助けてくれたんだね?自分の危険も顧みず、屋根を落として・・・ありがとう。だけど、こんな無茶はもうしないで」
(お前を守るって、言っただろ・・・)

声が出せないので、ふぁきあはただ微笑みました。
 
 
 

あひるは、ふぁきあが、王子とあひるのために進んで命を捨てようととしたことを初めて知り、衝撃で立ち尽くしていました。ふぁきあがどれほど王子に忠実かを改めて思い知らされ、切なさで体が震えました。王子が傍らに立っているあひるに気づき、感謝を込めて温かく笑いかけました。

「やっぱり君は幸福の使者なんだね。僕には君の翼が見えるよ。君はその翼でどんな壁をも飛び越えて、全ての人に喜びをもたらしてくれる・・・できれば、もうしばらくふぁきあを看ててくれる?」

あひるは王子の言葉を半分も理解できませんでした。けれど最後の依頼に、あひるは大きく頷きました。

「はい、王子」

王子は嬉しそうな笑顔を見せ、あひるの心も温かさで満たされました。幸せそうに微笑み合う二人を、ふぁきあは黙って見上げていました。
 
 
 

王子から連絡を受けたあおとあは、片眉を上げて、信じられないという表情で遣いの従者を見返しました。

「目覚めた?」
「はい!プリンセス・チュチュが呼びかけられると、まるで魔法みたいに目を覚まされて」

あおとあは目を逸らして呟きました。

「・・・なるほど、彼女がね」
「そうなんです、お医者様も奇跡だと」
「奇跡か・・・」

(彼女なら奇跡も起こすだろうな)

向かっていた書類の上に目を落とし、考え込んで動こうとしないあおとあに、従者が遠慮がちに声をかけました。

「お見舞いに行かれますか?」

あおとあは一瞬頷きかけましたが、思い直し、いつもの皮肉な笑みを作って答えました。

「死んだと言うならともかく、目覚めたのなら見に行く必要もないだろう。・・・御苦労だった」

お辞儀をして部屋を下がる従者を見ながら、あおとあは考えていました。

(しばらく顔を出すのはよそう・・・侍女達はともかく、僕がいると邪魔だろうからな・・・)

そして皮肉な表情のまま口の端で笑いましたが、瞳には安堵の色がありました。
 
 
 

王子と、その後すぐ駆けつけたパルシファルがしばらくして部屋を去り、疲れの出たふぁきあは、あひるの顔を見ながら眠ってしまいました。再び目を覚ました時、周りの様子で夜中と知れました。明かりは点いておらず、従者達は隅の椅子で眠りこけており、そしてあひるは、ふぁきあの腰の辺りの位置に突っ伏していました。試しに自分の手を持ち上げてみると、ぎこちないながらも動くようになっていたので、そのままあひるの頭をそっと撫でました。

(あひるが俺を呼んでくれた・・・俺を憎んでいるはずのあひるが・・・)

閉じた瞼にかかった髪を指の背で掬い上げ、そのまま指先で柔らかな頬を撫でていると、ややあってあひるが身じろぎして目覚めました。あひるははっと頭を起こしてふぁきあの顔を見、ふぁきあと目が合うと、ほっと息をつきました。ふぁきあは、疲れた様子のあひるを気遣い、低く告げました。

「もういいから、帰れ」

途端にあひるの表情に陰が差し、目の前に置かれていたふぁきあの手に手を重ねて、哀願するように声を震わせました。

「もう少しだけ・・・」

ふぁきあも強いて帰そうとはしませんでした。しばらく黙っていた後、あひるがぽつりと呟きました。

「ごめんね、ふぁきあ・・・」

思いがけない謝罪の言葉に、ふぁきあは怪訝な表情で尋ね返しました。

「何がだ?」
「ん・・・と、ね・・・その・・・」

言いにくそうに言葉を探しているあひるを見ながら、ふぁきあは、あひるがふぁきあの怪我の原因に負い目を感じているのだろうと推察しました。

「気にするな。王子のためにやったことだ。これが俺の仕事なんだから、お前が責任を感じることはない」

あひるははっとしてふぁきあを見つめ、それから辛そうに俯いて、小さな声で答えました。

「・・・うん」

しかしすぐに再び顔を起こし、遠慮がちに尋ねてきました。

「でも・・・怪我が治るまでの間だけでも・・・傍にいていい?」
「・・・ああ」

ふぁきあはあひるの意図が掴めませんでしたが、それを拒絶できるはずもありませんでした。ほっとした表情を見せたあひるを、ふぁきあは眉を寄せて見つめました。

(気にするなって言ってるのに、なんでだ?王子に頼まれたからか?そのためだけに、俺なんかの傍にいてくれるのか?・・・俺を憎んでるはずなのに・・・)

「あひる、お前・・・」

父親を殺した自分を赦せるのか、と訊こうとしましたが、訊けませんでした。

「なに?」
「・・・なんでもない」

ふぁきあは思いました。この安らぎを失いたくないと。たとえあひるが王子のために我慢しているのだとしても、あひるが傍にいてくれる、その幸せを手放せない・・・

(このままでいたい。今だけでも)

身勝手なのは承知していましたが、敢えてあひるを去らせられるほど、ふぁきあは強くありませんでした。

(一緒にいられさえすれば・・・あひるの心がここになくても・・・)

あひるが、ふふっ、と小さく笑いました。

「なんだ?」

気まずそうに目を上げたふぁきあに、あひるは楽しげに答えました。

「相変わらずだね、ふぁきあ。独りで考えごと」
「・・・悪い」
「ううん、いいの。早くいつも通りのふぁきあに戻って欲しいから」

ふぁきあは、その言葉に突き刺されたようにあひるを見返しました。

(そしてお前はまた離れて行くのか?)

黙ってしまったふぁきあを、あひるは心配そうに覗き込みました。

「ふぁきあ?」
「あ、ああ・・・それが・・・お前の望みか・・・」
「うん」

あひるは嘘のない笑顔で頷き、ふぁきあの胸は締め付けられるように痛みました。


 
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