出会いと別れ 〜Der Rosenkavalier : Einleitung〜
 
気まぐれに現れては消えるカラスの後を追って森を抜けた時には、既に夜が明けていました。大急ぎで城に戻ったるうは、真っ直ぐに王族の住む後宮に戻り、あひるの部屋の在る建物に向かいました。小走りに階段を上がって渡り廊下を突っ切り、幾つかの小部屋を過ぎてあひるの部屋の手前まで来ると、ちょうど侍女のまのん達が奥の部屋から出てくるところでした。まのんはるうを見つけて大きな声を上げました。

「クレール様!どちらにおられたのです?」
「あひるは?」

早口で尋ねたるうに、まのんは開いた扉の中を手で指し示しました。

「お支度を終えられて、こちらでお待ちです」
「そう、ありがとう。二人で話したいから、あなた達は外して頂戴」

まのん達が去るのを待ち、るうが奥の部屋に入ると、中央の肘無しの椅子にあひるがぽつんと座っていました。薄紅色のドレスの上に刺繍を施した白く長い上着を付け、長い髪を編んで結い上げたあひるは、いつもとは別人のように見えました。が、るうを見るなり椅子から飛び上がって駆け寄ってきたところは、いつもと同じあひるでした。

「るうちゃん!良かった、どこ行ってたの?心配したよ・・・」
「ごめんなさい、ちょっと出かけていたの」

そう言いながらるうが被っていたマントを脱ぐと、途端にあひるが叫び声をあげました。

「髪っ!髪どうしちゃったの、るうちゃん!」

るうはそれには答えず、握り締めていたペンダントを手のひらに載せて差し出しました。

「あひる、これを持って行って。これがあなたを守ってくれるわ」
「うわぁ、きれい」

るうはあひるの首に手を廻して後ろで留め金を掛けてやりました。すると突然赤い眩しい光が辺りに広がり、二人は思わず目を瞑りました。やがてあひるは恐る恐る目を開いて自分の手をかざし、次に自分の体を見回して戸惑った様子で言いました。

「なんかいつもとちょっと感じが違うんだけど・・・背も高くなったような気がするし・・・」

るうが目を開けてみると、そこには少し成長したあひるといった風情の、しかし誰が見ても美しい少女が、当惑気にもじもじしながら立っていました。胸に輝く石はいつのまにか涙の雫の形に変わっていました。

「・・・あひる、この石はね、あのからす森の老人から貰ったのよ。あなたを守るための美と才知と強さを与えるの。そしてあなたが本当に助けを必要とする時に役立つはずよ。いざという時にはこれを使って」

あひるの肩に手を置き、言い含めるようにるうは語り聞かせました。

「るうちゃん、もしかしてこれのためにるうちゃんの髪を・・・」

大きな空色の瞳に涙を滲ませてるうを見つめるあひるを、るうはそっと抱き寄せました。

「あひるのためなら髪なんて惜しくないわ。どうか無事でいてね、あひる・・・いつまでもあなたのこと大好きよ・・・」
「あたしも大好き・・・るうちゃん・・・」

あひるもるうを抱きしめました。
 
 
 

あひるの姿を見た人々は一様にその美しさに感嘆の声を洩らしたものの、いつもと違うと訝しむ者はなぜか一人もいませんでした―まるで初めからそういうものだと思い込まされているかのように。るうは最後の別れを告げると、一足先に、王がノルドからの使者達と会っている謁見場へと向かい、あひるは、あひると共にノルドへ行く供の者達が待つ控えの間に急ぎました。

「チュチュ様!」
「あんぬ!まりい!一緒に行ってくれるの?」

あひるは、ほっと表情をなごませました。

「良かった、ほんとはちょっと心細かったんだ」

あんぬが胸をそらせて両手を腰に当て、にっこり笑いました。

「危なっかしいチュチュ様をお一人で行かせる訳ないじゃありませんか」
「そうですよ、毎日チュチュ様がどんなドジをやらかすか見るのが楽しみなんですからぁ」
「まりい・・・く、くるし・・・」

強く抱きつき過ぎてあひるの首を絞めているまりいをあんぬは呆れ顔で見やってから、ぽんと手を打って言いました。

「それより!ノルドからのお迎えの方達がステキなんですよ!使者様はおきれいな方で、お付きの騎士様は渋いってゆーか」
「老けてるってことね」
「翳を漂わせた感じで」
「根が暗そうって感じ?」
「・・・バトルする?」
「あぁもう、やめてよ二人とも〜」

まりいに抱きつかれたまま情けない声で割って入ったあひるの手をぱっとあんぬが取り、扉の方へと引っ張りました。

「とにかく早く行きましょう。皆様お待ちです」
「遅くなっちゃったかな・・・?」
「いいんですよぉ、遅刻はチュチュ様のチャームポイントなんですから」
「そ、そう?」

励ましとも悪口ともつかないまりいの言葉を聞きながら、あひるは、二度と戻らない故郷の後宮を後にしました。
 
 
 

謁見場ではあおとあがシディニア王に挨拶を述べていました。そこに、髪を上げてヴェイルを被り、身なりを正したるうが入ってきました。

(この姫が?)

あおとあはついうっとりとその美しい姫を見つめました。そして何かわけの分からないもやもやとした気持ちをいだきましたが、すぐに自分の職務を思い出し、気を取り直しました。

(僕としたことが・・・)

軽く咳払いをして王の顔を伺うと、王が気づいて言いました。

「いや、これではない。貴国に嫁ぐのは・・・おお来た来た、チュチュや、こちらにおいで。使者殿、こちらがプリンセス・チュチュだ」

現れた少女は確かに美しく、気品に満ちていました。あおとあはなぜか少しほっとしながら、その少女に向き直り、正確に礼儀に則ったお辞儀をしました。

「お初にお目にかかります、プリンセス・チュチュ。ジークフリード王子の命により、お迎えに上がりました。私が王子の侍従長のあおとあ、こちらは王子の騎士のローエングリン、プリンセスの護衛を致します」

口上を述べる使者の後ろに影のように立っていた黒い服の人物を、あひるは見やりました。黒髪に黒っぽい瞳の彼は全く無表情のまま、無言で膝を折り、頭を下げたので、あひるは少し気が引けてしまいました。

「はじめまして、あおとあ様・・・と、ローエングリン様。あの・・・お待たせしてすみませんでした」

あひるのおどおどした様子にあおとあは少し眉をひそめましたが、すぐに儀礼的な笑顔に戻り、滔々と言葉を紡ぎました。

「かくもお美しい姫君を王子の妃として我が国にお迎えできますことは格別の慶びにして、御案内を預かるこの身にとっては光栄の至り。さらに我らが王子は、来年、16歳の誕生日の戴冠が決まっており、その暁にはプリンセスは我が国の王妃となられるわけで、これにより両国の平和が末永く約束されることでありましょう。まことに・・・」

あおとあの長々と仰々しい挨拶を、あひるは、ノルドからの使者達を眺めながら―特に黒い影のような人を見つめながら、ぼうっと聞いていました。生まれ育った場所を離れて見知らぬ遠い国に行こうとしていることが、なんだか夢のように思えました。

そうこうしている間にシディニア側の返礼も終わり、あひるは数人の供を連れただけで、迎えの使者達に囲まれて出発しました。るうは一行が城門を出て見えなくなってしまっても、ずっと心配そうにその方角を見つめていました。それが本当に最後の別れになってしまうとは、この時まだ、るうもあひるも知りませんでした。


 
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