事件 〜Petrouchka : Chez Petrouchka - Chez le Maure - Valse〜
 
城を出て五日目には、何事も無く国境を越えてノルドに入りました。翌朝、あおとあ達が出発の支度をしていると、プリンセス・チュチュが熱を出したとノルドの従者が報告に来ました。

「慣れない旅でお疲れが出たようで・・・」
「やれやれ、これだからお姫様は・・・予定が遅れるが仕方無い、出発は明日にしよう」

従者達に指示を出し、あおとあがふと見ると、支度をしたふぁきあが出て行くところでした。

「どこに行く?ふぁきあ」
「どうせ今日はここで足止めだ。ちょっと出かけてくる」
「おい、姫の護衛は?!」
「昼間のうちは危険は少ない。すぐ戻る」

短く言い捨て、ふぁきあはさっさと行ってしまいました。

「やれやれ、こっちも相変わらずの単独行動か」

ぶつぶつと呟きながら、あおとあもあひるを見舞いに行くために立ち上がりました。

「そうか、あいつ・・・」

あおとあはふと思い当たることがあって、ふぁきあの行動を大目に見ることにしました。
 
 
 

それは突然の事でした。あひるの部屋になっている天幕には、数人の侍女と、様子を見に来たあおとあだけがいました。ふいに入口の辺りで物音がし、見張りの声が聞こえました。

「騒々しいな」

あおとあが眉を顰めて様子を見に行こうとした時、入口の幕が撥ね上げられ、頭から足元まですっぽりとマントに覆われた数人の男達が現れました。彼らはあおとあと侍女達をあっという間に縛り上げると、あひるを横抱きにして連れ去りました。あひるは熱でぼんやりしながらも、かすれた咽喉から叫び声を搾り出しました。

「・・・ふぁきあっ!・・・」

しかし、その声に答える人はいませんでした。あひるは動かない体で、為す術も無く連れ去られながら、一生懸命助かる方法を考えていました。天幕の内では、駆けつけた従者達に戒めを解いてもらったあおとあが、すぐに命じました。

「誰か、ふぁきあに知らせろ」

誰もふぁきあの行く先を知らず、それに出かけたばかりとは言え、ふぁきあに追いつけるとは思えなかったので、従者達は顔を見合わせて黙っていました。誰も動こうとしないので、あおとあは怒鳴りつけました。

「ぐずぐずするな、さっさとしろ!昨日通った国境の町だ!そこの教会の墓地にふぁきあはいる!」
 
 
 

ふぁきあは目的地に向かって馬を速歩で進めていましたが、街道の途中で、歩いていた農夫達の会話が追い越しざまにふと耳に入りました。

「そいつらがこんな大きな袋を持ってたのさ・・・」
「熊でも捕まえるのかね・・・」

ふいに嫌な予感に襲われてふぁきあは馬首を返し、急いで来た道を戻り始めました。すると、丘の間をうねる道の向こうから、ノルドの従者の一人がこちらに向かって一生懸命馬を走らせてくるのが見えました。ふぁきあは速度を速めて駆け寄りました。

「どうした?!」
「ふぁきあ様!早くお戻り下さい、プリンセスが・・・」

みなまで聞かず、ふぁきあは馬の腹を蹴り、全速力で走らせました。天幕に駆けつけたふぁきあはあおとあの姿を見つけて強く手綱を引き、激しく足踏みする馬に揺られながら叫びました。

「プリンセス・チュチュは?!」
「攫われた」

あおとあは憮然とした表情で答えました。

「な・・・っ!」
「四、五人の男が突然現れて、抵抗する間も無く、無論僕など抵抗する術も無いが、彼女を拉致した。フードを被っていたから顔は・・・」

あひるが連れ去られた方角を指し示しつつ、あおとあが説明しました。

「そもそも君が・・・」
「俺の落ち度だ。ここまで何事も無かったから油断した・・・離れるべきじゃなかった」

ふぁきあを非難しようとしたあおとあは、出鼻を挫かれて黙ってしまいました。

「あいつは俺が必ず取り戻す。お前達はここで待て」
「は?!何人か・・・」
「一人でいい、遅くなる」

ふぁきあは話す間も惜しいと言わんばかりに言い捨てると、あっと言う間に走り去ってしまいました。

「確かに、君について行ける騎手はいないだろうが・・・」

残されたあおとあは呆然と呟いて、その姿を見送るしかありませんでした。
 
 
 

ふぁきあは、あおとあが示した方角へと続く数頭の馬の蹄の跡を見分け、それを追っていました。足跡は国境に近い黒い森の方へと続いており、人通りの少ない山道に入ると、ついさっき馬や人が通ったと思われる跡がよりはっきりと分かるようになりました。ふぁきあは山道も苦にすることなく馬で駆け上がって行きました。途中、古い見捨てられた山小屋を見かけ、妙に気にかかりましたが、先を急いでいたふぁきあはそれを無視して通り過ぎました。やがて蹄の跡は、貴族の山荘らしい、古いがっしりとした石造りの建物へと入っていったことが分かりました。少し離れた場所で馬を放し、ふぁきあがそっと近づいて覗いてみると、思いもかけない言葉が聞こえてきました。

「逃げられたぁ?!」
「熱でぐったりしてたんで縛っとくこともないかと思って・・・」
「ばかやろ、早く探せ!病気の姫君だ、そんなに逃げられゃしねぇ」

(あのバカ・・・!)

心の中で悪態をついたふぁきあの脳裏に、さっきの山小屋がよぎりました。

(まさか・・・)

ふぁきあは身を翻してその場を離れました。
 
 
 

勢い良く山小屋の扉を開け、ふぁきあは中に向かって叫びました。

「プリンセス・チュチュ!いるのか?!」
「ふぁきあ!助けに来てくれたんだ」

埃だらけの粗末な家具の陰に隠れていたあひるが、ぱっと顔を覗かせ、瞳を輝かせました。白い夜着に上掛けを羽織り、髪を簡単に捻って結い上げただけの、攫われた時の姿で、顔色は良くありませんでしたが、怪我はしていないようでした。ふぁきあはほっとしていつもの仏頂面に戻り、後ろ手に扉を閉めました。

「それが俺の役目だからな」
「ごめんね・・・」
「バカ、こんな事になったのは俺のせいだ。お前が謝る必要はない」
「うん、だけど迷惑かけてごめん。・・・助けに来てくれてありがと」

あまりに素直に感謝されて、ふぁきあは居心地悪そうに話を逸らしました。

「それよりお前、熱はどうだ」
「だいじょうぶ。気分も悪くないし」

あまり大丈夫とは思えない赤い顔であひるは答えました。その時遠くから馬の嘶きが聞こえました。

「どうしよう、このままじゃ見つかっちゃうよ」
「分かってる」

ふぁきあは剣の柄に手をかけました。その時突然あひるが何かを思いついたように声を上げました。

「そうだ、これ!」
「うわっ!何を・・・」

いきなり服を脱ぎ始めたあひるに動揺してふぁきあが顔を逸らした瞬間、強い光が広がり、そして消えました。ふぁきあが驚いて視線を戻すと、そこにいたのは先程までの美しい姫君ではなく、痩せて貧相な、しかし快活そうな笑顔の少女でした。

「プリンセス・チュチュ・・・なのか?・・・」
「そう、このペンダントがあたしを変えてくれるの。ドレス脱いでこれ外すと、お姫様には見えないでしょ」

下着姿で床に膝をつき、ペンダントを載せた服を物陰に押しやりながら、あひるは自慢そうに言いました。ふぁきあはそれには答えず、呆然と呟きました。

「まだ子どもじゃないか・・・」

途端にあひるは振り返り、ふぁきあを見上げて怒った鳥のように両手をばたつかせ、憤然と抗議しました。

「あたしはもうすぐ14歳なんだから!ふぁきあとそんなに違わないじゃない!」

ふぁきあはその抗議を聞き流し、気を取り直して尋ねました。

「それでどうするんだ?代わりの服なんかないんだぞ」
「そっか、どうしよう・・・」

ふぁきあが溜息をつくと同時に、追っ手らしき蹄の音がして、何かを叫ぶ声が近づいてきました。ふぁきあは舌打ちするとあひるの上に屈み込んで小声で囁きました。

「時間がない。いいか、黙って俺の言うとおりにしろ」

言うなりあひるの髪を結い上げていた櫛を抜き取って投げ捨て、あひるを床に押し倒しました。

「えっ・・・?」

渦を巻くように落ちた温かな色の髪が床に広がり、ふぁきあに覆い被さられて、あひるは動転しました。

(なっ!なに?なに〜っ?)

その時大きな音を立てて、扉が開きました。ふぁきあはさっと体を起こし、あひるを背後に庇う様に体を移動させながら鋭く言い放ちました。

「何だ」

追手は扉を押し開けたまま立ち尽くし、呆気にとられていましたが、やがてニヤニヤと下卑た笑みを浮かべました。

「こりゃ失礼」

首を延ばしてあひるの顔を覗き込む男の視線を遮るように肩をいからせ、ふぁきあは怒気を込めて男を睨みつけました。

「用が無いなら失せろ」
「邪魔したな。ごゆっくり、お二人さん」

あっさりと扉は閉じられ、外から話し声が聞こえてきました。

「女は姫じゃなかったのか?」
「あんなちんくしゃじゃねぇ、もっと上等だった」
「青臭い坊やにゃ、あれくらいが似合いさ」
「違いねぇ」

下品な笑い声が遠ざかっていくのを、ふぁきあは、今にも叫びだしそうなあひるの口を押さえてじっと待ちました。蹄の音が遠くなり、しばらくしてから、やっとふぁきあが解放してくれたのであひるは口を開きました。

「行っちゃったね」
「そうだな」
「・・・文句言いたかったよ」
「いつか機会があったらな」

そう言って立ち上がったふぁきあが、いつの間にかはだけていたシャツを直すのを見て、あひるはふぁきあに圧し掛かられたことを思い出し、頭にかあっと血が上るのを感じました。隅に押し込められていたあひるの服をふぁきあが引っ張り出し、そっぽを向いたまま黙ってあひるに渡してくれました。

「あ、ありがと」

慌てて腕を伸ばして受け取ると、服の間からしゃらりと赤いペンダントが落ちました。こん、こん、と床に響いた硬い音でふぁきあも気づき、二人は少しの間それを見つめていました。

「これ、まだ付けない方がいいよね?ふぁきあが持っててくれる?あたしそそっかしいから、付けてないと無くしちゃうかもしれないし・・・」

さっきあひるが外した時には気づきませんでしたが、それはいつもプリンセス・チュチュの胸元に有った時のような雫形ではなく、卵のように丸みを帯びた形になっていました。ふぁきあはそれを拾いながら尋ねました。

「何だ?このペンダントは・・・」
「るうちゃんに貰ったの、あたしを守ってくれるんだって。それで・・・」

喋り続けようとするあひるをふぁきあは片手で遮りました。

「るうちゃん?」
「あっ、クレールのことなんだけど、あたし達だけの時はそう呼んでたんだ。それでね、あたしが心配だからってるうちゃんが、貰ってきてくれたの。時々森に現れる不思議なおじいさんから」

ついあひるの方をまともに見てしまっていたふぁきあは、あひるがまだ下着姿なのに気づいて慌てて背を向けました。

「・・・そんな怪しい人物から貰ってきたものなんて大丈夫なのか?」
「別に怪しくないよ。てゆーか、怪しいかもしれないけど、前にも助けてくれたし・・・」

ふぁきあは溜息をつきました。

「まぁいい。俺が持ってればいいんだな」

あひるがもたつきながらもどうにか服を着終わるのをふぁきあは背を向けたまま待ち、自分が着けていた薄手の黒いマントをあひるに被せてすっぽりと包んでから、扉を開けて様子を伺いました。ふぁきあの馬は繋がれもしないで外で待っていました。ふぁきあは馬に近づくと、鞍を外し始めました。

「何してるの?ふぁきあ」
「鞍を付け直してる」

近づいてきたあひるに尋ねられて、ふぁきあは無愛想に答えました。

「そうだけど・・・」
「このままじゃ二人で乗れないからな。お前まだ熱あるだろう。そんな状態で一人で乗るのは無理だ」

鞍の下に敷いてあった布を一枚取って、付け直した鞍の前の部分に敷き、鐙を調節し直したふぁきあは、まるで羽が生えているかのような身軽さで馬に跨り、右手で手綱を掴み直すと、左手を差し出しました。

「あ、うん」

あひるが無言の指示に返事をして右手を重ねると、ふぁきあはそれを引き寄せながら言いました。

「俺の足を踏んで上がるんだ」
「えっ?」
「早くしろ」
「・・・う、うん」

あひるは左手でスカートを掴んでたくし上げ、おずおずと右足を上げて爪先をふぁきあの足に掛けました。

「わっ・・・」

途端に手のひらを重ねるように掴まれた右手が強く引かれて、あひるの体はふぁきあの胸に抱き寄せられるように引き上げられ、腰に廻されたふぁきあの右手があひるを半回転させて鞍の前に座らせました。ふぁきあは左脚に触れているあひるの脚を気にしないようにしながら、きょとんとしているあひるに言いました。

「俺に掴まってろ」
「あ、うん」

何かに触れていないと怖かったので、あひるはふぁきあの体をなぞるように手を這わせて背中に回し、しがみつきました。一瞬ふぁきあが体を硬くしたような気がしましたが、すぐにあひるから手を離して馬を進ませ始めたので、あひるはそちらに気をとられてしまいました。馬は山道を下らず、針のような葉が降り積もった地面を踏み、ごつごつとした岩を軽々と越えて、森の中深くへと踏み入って行きました。

「あれ?こっちって、来た道じゃないみたい。みんなのとこに戻るんじゃないの?」
「よく気がついたな。・・・熱が下がるまで、近くで少し休む」

ふぁきあはあひるを見もせずに答えました。

「そんなの、別に大丈夫だよ」
「俺の言うとおりにすればいいんだ」
「う・・・ん・・・」

そうするより他なかったので、あひるは反対するのをやめました。そのまましばらく黙っていてから、あひるは再び話しかけました。

「ねぇ、ふぁきあ」
「なんだ」
「あたしのこと、あひるって呼んでくれない?るうちゃんがいつもあたしのことそう呼んでたの」

少し間をおいてふぁきあは答えました。

「・・・合ってるな」
「なんで?」
「気がついてないのか・・・」

ふぁきあはそれ以上説明してはくれませんでした。


 
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