消せない想い 〜Verklärte Nacht〜
 
領地に戻ってふぁきあは忙しく働いていました。広い領内をあちこち廻り、変わりが無いかを確かめたり、人々の話を聞いたり、こまごまとした問題事に対処したり、空いた時間には剣の練習に打ち込んだりしていました。実のところ、いつも義父に連れられて都で暮らしていたので、ここで過ごした時間はそれ程長くはなかったのですが、それでもここはふぁきあにとって、穏やかで愛情に満ちた時間を過ごし、時には王子が来て一緒に遊んだりした、懐かしい、心安らげる場所でした。

この場所で雑事に紛れていれば、胸を焼く想いもじきに忘れられると、ふぁきあはそう思っていました。これまで我儘だと思われることを望んだ時にそうしてきたように、何かを求めて叫び続ける心の声に耳を塞ぎ、やがて消えゆくのを待ちました。しかし今度ばかりは、胸の中の火はいつまでも燻り続け、一向に鎮まる気配を見せませんでした。少し治まってきたかと思っていても、例えば祭りの音楽が聞こえてきただけで、炎はあっという間に燃え上がって心を焦がしました。

幸せそうな恋人同士を見かけると胸の奥が疼き、目を逸らさずにはいられませんでした。晴れ渡った空があひるの瞳と同じ色だと気づいてからは、空を仰ぐことさえできなくなりました。そして夜になると、振り払っても振り払っても心から離れない面影がふぁきあを苛み、眠りにつくのを妨げるのでした。一週間近くもそうやって過ごし、ふぁきあは身も心もぼろぼろに疲れ切っていました。
 
 
 

いつのまに眠っていたのか、人の気配を感じて目を覚ますと、そこには、いるはずのない、逢いたくて仕方なかった人の姿がありました。

「あ・・・ひる・・・?」

開けたままの窓から差し込む月の光の中に白く浮かび上がっていたのは、薄い夜着だけをまとった、ペンダントをつけていない、あひるの姿でした。

「どうしたんだ?何故ここに?」
「逢いたくて・・・逢いに来ちゃった」
「・・・俺に・・・?」

ふぁきあは心が舞い上がるのを感じました。手を差し伸べると、あひるは何のためらいも無く身を寄せてきました。片腕に収まる小さな体を優しく抱き、額にそっとキスすると、あひるが顔をあげました。潤んだ瞳で見つめられ、誘うように薄く開かれた唇に、ふぁきあの体がかっと熱くなり、突然野蛮な想いに駆られて、思わず強く口づけていました。けれどふぁきあの予想を覆し、あひるはその親密過ぎる行為に驚くことも抗うことも無く、ただ深い溜息を漏らしました。

「ふぁきあが、望んでくれるなら・・・あたしは・・・ふぁきあのものになりたい・・・」
「あひる・・・?!」

ふぁきあは目を見開き、あひるの顔を凝視しました。あひるは真っ直ぐ見つめ返してきました。

「本当に・・・?」

あひるは黙ってふぁきあの頬を小さな両手で挟み、ふわりと唇を触れ合わせました。あひるもそれを望んでいる、そう思った瞬間、ふぁきあは、自分達の想いを遂げたいということ以外、何も考えられなくなりました。二人が敵同士だということも、あひるが王子と結婚する身だということも、もはやふぁきあを引き止める枷とはなりませんでした。もう一度キスしようとするように近づいてきたあひるの頭を、左手で乱暴に引き寄せると、噛み付くように唇を奪い、舌を押し込んで貪りました。そして、息つく暇もなくあひるの耳元に震える唇を押し付け、消し去ることのできなかった想いを言葉に乗せました。

「・・・愛してる、あひる・・・!」

細い首筋に舌を這わせると、あひるが喉を鳴らすようなくぐもった声を洩らすのが聞こえました。両手でなぞるようにして剥き出した肩へと唇を滑らせたふぁきあは、膝に抱え込んでいたあひるの体を突き離すように性急にベッドに下ろし、さっと胸元に手を伸ばして、はだけられた夜着を胸のすぐ下で留めている細い帯の結び目を素早く解きました。薄くなめらかな夜着は小さな肩から簡単に滑り落ち、内に隠していたものをふぁきあの目の前に曝け出しました。微かに震えて自分を抱きしめたあひるに吸い寄せられるように頬を摺り寄せ、その勢いのままあひるを押し倒して、獲物を襲う狼のように圧し掛かりました。

何かを怖れるようにあわただしく何度も口づけながら、ふぁきあは震える右手をすべらせ、あひるの華奢な肩から腕の感覚を掌で確かめました。そして小さな手に触れると、それをがっしりと掴み、指を絡めて自分の口元に引き寄せて細い指先を軽く吸いました。あひるがはっと息を呑む音が聞こえましたが、ふぁきあは構わずあひるを味わい、さらに他の場所へも、手と舌での探索を続けました。あひるに触れている肌がどこもかしこも熱く、今にも火がついて全身が燃え上がりそうな気がしました。あひるの全てを自分のものにしたい、その強い気持ちに押し流されるようにふぁきあは動き続けました。が、しかし、己の左手が、恥じらうように胸の前に掲げられたあひるの右手を押し退けてほのかなふくらみに触れた途端、ふぁきあは凍りついたように動きを止めました。

仰向けると見た目にはほとんど平らに見えるそれは、しかし触れると確かにふっくらと柔らかくて、以前、服越しにそれに抱かれた時の記憶を呼び覚ましました。その時も、そしてそれ以降も、ふぁきあは自分があひるにとって父親の敵であることを告げていませんでした。このままあひるを抱くのは卑怯だと、理性が戒めていました。けれどもそれを告げてあひるを失うことは、ふぁきあにはどうしてもできませんでした。迷いを振り払うように触れているものを荒々しく掴み、悲鳴を上げて身を引こうとしたあひるを逃がさぬようもう一方の腕で強く抱きすくめて、心臓の上に激しく口づけました。

小さな胸はふぁきあの手の下で、薄闇の中でもほんのりと分かるほど色づき、忙しなく上下して、あひるの高揚を伝えていました。その頼りない柔らかさに眩暈を覚えながら、ふぁきあはいっそう切羽詰った心地でそれにむしゃぶりつきました。いつまでもそこに留まってその甘い温もりに包まれていたいという気もしましたが、ふぁきあ自身の体が、貪欲に全てを求めて彼を急き立てていました。

もはや迷いも躊躇いも無く、熱情の激流のままに絡み合いながら、ふぁきあは、興奮で霞みがかった頭のどこか一部で、あひるの速い息遣いを聞き、小さな手が時々自分を強く掴むのを感じていました。体が止めようもなく燃えて、周りを気遣う余裕など全く無くなっているのに、それでもあひるの反応が気になるのが不思議でした。ふぁきあはあひるの感じやすい体をくまなく探り、丹念に、容赦なく愛撫しました。それはまるで、自分が触れた記憶を、その柔らかな肌の奥までしっかりと刻み込もうとしているかのようでした。ふぁきあの手と口が、ほっそりした右脚を下って爪先に至り、左脚を経て戻ってくる間に、あひるを包んでいた布は全て取り払われ、あひるの体は開かれて、ふぁきあはさらに奥へ、秘められた楽園へと分け入りました。

ふぁきあの指が踊るたび腕の中で悶える軽やかな体に、ふぁきあの意識は完全に呑み込まれ、張り詰めた欲望はほぼ限界に達していました。苦しげに小さく開かれた口許から洩れる乱れた呼吸も、華奢な胸から伝わる、小鳥のように速鳴る鼓動も、何もかもがふぁきあを昂ぶらせました。ふぁきあを押し止めるように胸に当てられた細い手も、欲しい気持ちを掻き立てるばかりでした。ふぁきあは止まらない衝動に突き動かされるまま、首を振り体を捩って後退るあひるを押さえつけ、一気に体を重ねました。

「んうっ・・・!」

聖域の扉をふぁきあに破られ、無遠慮に侵入されたあひるは、息を呑んで強く唇を噛み、その様子があまりに辛そうで、さすがにふぁきあは自分を引き止めました。

「痛む・・・か?あひる?」
「だ・・・いじょうぶ・・・」

あひるは全身の力を込めて痛みに耐えようとしていました。可哀想だとは思いましたが、退くことはできませんでした。ふぁきあをきつく拒んでいる壁は、同時に耐え難いほど鋭い快感をもたらしていて、ふぁきあは引きずり込まれそうになるのを必死に押し止めて、掠れた声で囁きました。

「力を抜くんだ」

ふぁきあの言葉にあひるは素直に従い、こわばった体から力を抜こうと努力したようでした。すると、さっきより少しは楽になったのか、表情がほっと緩んだのを見て、ふぁきあは体を進め、より深くあひるを抱きました。小さな叫び声をあげた唇を一度甘く噛んでからそのまま動き始めたふぁきあに、あひるはただ翻弄されるのみでした。リズムも何もなく滅茶苦茶な速度で激しく腰を揺らしながらも、ふぁきあは、柔らかな体を確かめるように狂おしく手を滑らせ、あひるは助けを求めるような切なげな声を上げました。

「ふぁ・・・きあ、あ、あぁ!!」
「くっ・・・はぁっ・・・はぁっ・・・あひる・・・っ!」

息が上がり、頭が真っ白になって、あひる以外の何も感じることはできなくなっていました。呼び合いながら、信じられない程の高みへと昇り詰め、ふぁきあは腕の中の愛しい人を力の限り抱き締めて、迸る想いをぶつけました。

(・・・ああ、ついに・・・俺とあひるは結ばれたんだ・・・・・・王子を裏切って・・・)
 
 
 

「・・・っ!」

冷水を掛けられたように正気に戻り、ふぁきあは息を呑んで跳ね起きました。

「・・・はぁっ・・・はっ・・・はぁっ・・・」

荒く息をつきながら辺りを見回しましたが、細く月の光が差し込む薄闇の中には、見慣れた部屋の景色が広がっているだけで、あひるの姿はありませんでした。ふぁきあはシーツを握り締めていた手を開き、震える両手を目の前にかざして、じっと見つめました。

(あいつの体の重みも、温かさも、こんなにはっきりと覚えているのに・・・)

きつく両目を閉じて拳を握り締め、歯を食いしばって、張り裂けるような心の痛みに耐えようとしました。

(決して俺のものにはならないと思い知らされてから、こんなにもあいつを求めていると気づくなんて・・・!!)

ふぁきあの脳裏に、様々な表情を見せるあひるの姿が次々に浮かんでは消えました。それらは、あの心溶かす声や、柔らかく温かな感触すら伴って鮮やかに甦り、ただの思い出とは信じられませんでした。ふぁきあの唇から知らず言葉が洩れました。

「・・・逢いたい・・・!」

口に出してしまうと、その想いは、もう、自分自身にも隠すことができなくなっていました。


 
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