左手を胸元に当てたまま、右手で肩と頭の雪を払ってカロンの家の扉を開けたふぁきあは、そこでぬくぬくと紅茶を飲んでいた人物を見て顔を顰めた。予期せぬ客はふぁきあの無言の威嚇にも澄ました顔で、戸口の上の素朴な飾りに向かって顎をしゃくった。

「君の頭上に、今、ヤドリギがあるぞ」

ふぁきあはその言葉を無視して彼を睨みつけた。

「なんでお前がここにいる」
「それは・・・」

あおとあが答えかけた時、戸口の向かいの扉を開けてカロンが入ってきた。

「おお、来たか、ふぁきあ。アヒルちゃんも連れて来ただろうね?さっきそこでお前の友達に会ったから、招待しておいたぞ。一緒の方が楽しいだろう?お前は人付き合いが悪くて心配していたが、友達ができて本当に良かったよ」

カロンは実に嬉しそうにそう言って、テーブルと作り付けのオーブンの間を抜けて部屋の反対側に歩いて行った。ふぁきあは口を噤むしかなかった。あおとあが口の端を持ち上げて嫌味な笑みを浮かべたが、ふぁきあが不愉快そうに見やると、肩をすくめ、声を落として言った。

「いや、実はうちは客の出入りが多くてね。挨拶だ何だとあまりにも鬱陶しいものだから、友達と約束があると言って出てきたんだ。で、町をぶらぶらしていたら、都合よくここに招待されたというわけさ」

ふぁきあはただ溜息をついた。ふぁきあが反論しないのであおとあは調子づいたらしい。

「僕のことをとやかく言えるほど君が常識的とも思えないがね。昨夜、教会に来なかっただろう。クリスマスのミサにも出ないとは、不信心ぶりにも程があるんじゃないか?」

答える義務も無かったのでふぁきあは黙っていた。信仰の篤さがどうであれ、ふぁきあはあひるを連れて行けない場所に必要以上に時間を割く気はなかった。もっとも昨夜のミサは一応顔を出すつもりでいたのだが、夕方からのあれこれで完全に頭からすっ飛んでいたのだ。あおとあはしかつめらしく顔を顰め、再び声を潜めた。

「秘密を守るために他人を避けるのは結構だが、あまりに風変わりな行動はかえって・・・」
<なになに?誰かお客さんがいるの?>

突然ふぁきあの外套の懐のふくらみがもぞもぞと動き、襟の合わせ目から黄色い冠羽がぴょこりと飛び出した。

<あっ、あおとあ>

あひるはふぁきあの胸元から頭だけ出して、大きな澄んだ目をまたたいた。

<ふぁきあに会いにきたの?>
「そんなわけないだろう」

ふぁきあは自分で答え、左手であひるを外套の表から支えたまま、右手で外套の前を外してあひるを出した。あおとあが何の話だと尋ねるようにふぁきあを見たが、無視した。

<そっか>

あひるは素直に納得し、自分を包み込む大きな手が優しくテーブルの上に下ろしてくれるのを大人しく待ちながら、そこにいるはずのカロンを探して首を巡らせた。

<あっ!>
「どうした?」

ふぁきあはテーブルの方へ一歩踏み出したところで、あひるを空中に保ったまま手を止めた。

<あれ、ああいうの、あたし見たよ!教会の前のところで>

窓側の奥に向けられたあひるの視線の先にあるものを見て、ふぁきあはわずかに目を細めた。

「ああ、クリスマスツリーか。今年も飾ってくれたんだな」

答えながらふぁきあは、その横のストーブに薪を放り込んでいるカロンに目を遣った。昨日は無かったような気がするので―他の事で頭がいっぱいだったから、あまり自信は無いが―あの後、用意してくれたのだろう。あひるが首を傾げた。

<今年も?>
「ああ。俺がこの家に引き取られてから毎年、クリスマスのたびにカロンが飾ってくれた」
 
 
 

カロンの手作りらしい色々な飾りの下げられた木は、たぶんふぁきあの背丈ほどもありそうな立派なもので、狭い部屋の中ではずいぶん大きく見えた。鳥のあひると同様、小さなふぁきあもきっと圧倒されたに違いない。あひるはツリーに目を留めたまま、何気なく尋ねた。

<『クリスマス』にはこれを飾るものなの?みんな?>
「子供がいる家ではたいていそうだな。とうさんとかあさんも飾ってくれたんだろうが・・・覚えてない」

あひるはあっと思って振り返ったが、ツリーを見つめるふぁきあの表情は落ち着いていて、特に感情の揺れは窺わせなかった。あひるは迷ったが、あひるを包んだ手を自分の方に引き寄せたまま動かないふぁきあが気になり、おずおずと口を開いた。

<ふぁきあ、あの・・・ごめ・・・>

ふぁきあはさっとあひるに目を戻し、あひるのくせ毛を指先でちょんと揺らして軽く笑った。

「この樹は永遠を象徴している。大切な人がいつまでも元気で幸せにいられるようにっていう願いが込められてるんだ」
<えっ、そ、そうなんだ。素敵だね>

あひるはほっと息を吐き、ぎこちなく微笑み返した。ふぁきあはちらりと後ろめたそうな表情を浮かべた。

「今年は手が回らなくて悪かったな。お前が気に入ったなら、来年はうちにも飾ろう」

そう言ったふぁきあの顔に一瞬痛みのような翳が走ったが、あひるが気づく前に消えていた。何かを振り払うように小さく頭を振り、テーブルに歩み寄ってあひるを下ろしてくれたふぁきあを見上げ、あひるは勢い込んで言いかけた。

<うん!でもね、あたしがいいなって思ったのは飾りじゃなくて・・・>

しかしふぁきあはあひるから手を離すとすぐに背を向けて外套を脱ぎながら戸口の方に行ってしまい、あひるは途中で言葉を止めた。

(まあ、いっか。うまく説明できないし)

本当は、あの樹の傍にいると心があったかくなって、嬉しくなって、そのくせとてもしっくりと落ち着いた気持ちになれるとこが、なんとなく似てるって思ったんだけど。ぼんやりとふぁきあの後姿を見ていると、横から声が掛けられた。

「楽しいクリスマスイブだったか?」

あひるはぱっと振り向いた。すっかり忘れていたが、あおとあはそれまで黙ってずっとあひるとふぁきあの遣り取りを観察していたらしい。あおとあの質問に、あひるは顔を輝かせて答えた。

<うん!あおとあが協力してくれたおかげだよ!ありがとう!!>

ぐわぐわと喚くあひるが否定しているのでないことは伝わったようで、あおとあは無言で頷いた。

<それにね、すごく、すごく、嬉しいことがあってね>

昨夜のことを思い出すと、途端に気分が高揚した。嬉しさのあまり心がふわふわと舞い上がり、誰彼かまわず、ペンダントを見せたくてたまらなくなる。ふぁきあが、自分に、くれたペンダントを。

<あおとあも、見て見て>

あおとあの前にとことこと走り寄って行き、翼を広げて、ペンダントを持ち上げるように胸を反らした。

<ステキでしょ?前持ってたのと、ほんとそっくりなんだよ!これつけてると、まるで、また人間の女の子になれるんじゃないか、って気がするよ>

あおとあは片方の眉を上げて、あひるの胸の赤い石を見遣った。あひるは両翼で石をそっと包んで持ち上げ、つややかな輝きにじっと見入った。

<・・・それにね、これ見てるとなんだか、ふぁきあに必要とされてる、って感じるの>

言葉は通じていないはずなのに、あおとあは束の間まじまじとあひるの顔を見た。それからちらりとふぁきあの後姿に目を遣り、肩をすくめて、いかにもどうでも良さそうに言った。

「なるほど。良かったな」
<うん!>

正直なところ、あひるもあおとあの反応はそんなに気にしてはいなかったので、ただ幸せな気持ちのままそう返事して、おいしそうなお菓子をツリーに下げているカロンのところに走って行った。
 
 
 

ふぁきあはテーブルの手前の椅子を引いて腰掛け、嬉しそうにカロンにペンダントを見せているあひるの姿を見つめた。

「どうした?浮かない顔だな。ミサも忘れるくらい、楽しいイブを過ごしたのではないのか?」

あおとあがテーブルの角を挟んだ斜め横の席から、ティーカップ越しにふぁきあを視ていた。ふぁきあはその質問に答えるつもりは無かったが、会ってしまったからには確認しておきたいことがあった。

「あおとあ。あのオルゴールは・・・なぜだ?」

あおとあが細い眉を片方だけ持ち上げ、右手のティーカップを左手に持ったソーサーに下ろした。

「説明するほどの理由も無いが。昨日、クリスマス市をうろついてるあひる君に会った時、彼女がなにやら非常に興味を示していてね、なかなかそこから離れようとしないので、一つ買っただけだ。ただの玩具だが、気に入っているのならプレゼントしても悪くはないだろう。僕にとってはたいしたことではないよ」
「じゃあ、あの花輪は?」

ふぁきあは間をおかずに尋ねた。あおとあは一瞬怪訝そうに眉をひそめたが、すぐに思い当たったようだった。

「ああ、あれか。あれはオルゴールを買った店の主人が、店に飾ってあったのを、もう市も終わりだからとおまけにくれた。あひる君はとても喜んでいたようだったな。僕の思い違いでなければ」

ふぁきあの沈黙をどう思ったのか、あおとあは物分りの悪い子供に言い含めるように、やや横柄な口調で言い足した。

「クリスマスには施しをするものだよ。まあ、君のような不信心者には分からないかもしれないがね」

あおとあの嫌味は無視して、ふぁきあはもう一つだけ質問を重ねた。

「あの曲はお前が選んだのか?」
「『花のワルツ』?いいや」

あおとあは即座に頭を振って否定した。

「クリスマスにちなんだ曲のオルゴールがいくつかあったが、あひる君はどうもあれに一番惹かれていたようだった。やはり、落ちこぼれとはいえ、元バレエ科・・・」
 
 

あおとあはまだ喋り続けていたが、ふぁきあは勝手に喋らせておいた。カロンが、ツリーから菓子を一つ取り、細かく砕いてあひるの前に置いてやっていた。

「・・・きあ?」

あおとあが返事を求めているのに気づき、ふぁきあは渋々返事した。

「なんだ」
「君がつけてやったのかと訊いている。まあ、訊くまでもないが」

赤いペンダントを揺らしておいしそうに菓子をついばんでいるあひるの方に顎をしゃくり、あおとあは呆れた顔でふぁきあを見た。ふぁきあは目を逸らし気味に、言い訳がましく答えた。

「ああ。そうすればあいつが勝手にうろついてても、ただのアヒルじゃないって・・・つまり誰かのものだって分かるだろ」
「・・・なるほどな」

含み笑いをしたあおとあにふぁきあは引っ掛かった。

「なんだよ」
「別に」
「言いたいことがあるなら、はっきり言え」

あおとあはカップとソーサーをテーブルに置き、ふぁきあに向き直った。

「聞きたければ言うが。つまりあれは、彼女が君のものだという主張の表れなわけだ」

ふぁきあは体を硬くした。

「どういう意味だ」

険のある目つきで睨みつけるふぁきあに、あおとあは肩をすくめて答えた。

「文字通りの意味さ。・・・ただ、あれは人間に対しては効果があるかもしれないが、アヒルに対してはどうかな」
「アヒルに対して?」

意表を衝かれてあおとあを見つめるふぁきあに、あおとあは楽しげに答えた。

「そう、何故なら君から彼女を奪う可能性があるのは・・・」
「何を言ってる、そんなことあるわけないだろ、だってあいつは・・・」
「アヒルだ。不自然なところはあるが、それでも一応アヒルはアヒルだ。まあ、雛の姿をしている限りはそういう対象にはならないかもしれないが」

あおとあに相手への配慮などというものは期待できないことは重々承知していたが、その明け透けな発言にふぁきあは完全に動揺させられていた。

「君は彼女がアヒルだってことを忘れているようだが、彼女を独占したいなら、そっちを気にするべきだな」
「俺はあいつを独占しようなんて・・・」
「考えてない?そうかい、僕はまた、彼女がずっと雛なのは君がそうしているのかと・・・」
「違っ・・・!」

強く否定しかけてふぁきあは唇を噛んだ。やはりそうなのだろうか?自分はあひるの意志を尊重しているつもりだった。意図的に物語を操作したりはしていない。だがふぁきあの書く物語に、ふぁきあの望みが入ってなかったと言い切れるだろうか。・・・あひるの短い時間が過ぎて行くことを恐れた。ずっと変わらず、一緒に居たかった。あひるが自分から離れていくような、どんな変化も拒絶した。いや、そうじゃない、本当はもっと・・・

俯いてしまったふぁきあを見やって、あおとあは再び肩をすくめた。

「まあ、どちらでも構わないが。ただ動物の求愛は人間よりも直接的だからな。ある日突然手遅れになったということのないように気をつけることだ」

ふぁきあはかっと顔を赤らめた。反論できないふぁきあを満足そうに眺めながら、あおとあはカップを持ち上げ紅茶を含んだ。

「彼女自身がその辺りをどう考えているのか、訊いてみたこともないのだろう?君達はくだらないおしゃべりをしているわりには、肝心なことを話し合っていないように、僕には見えるね」

得々と語るあおとあの視線を追って戸口の上のヤドリギに目が止まり、ふぁきあの頭に血が上った。

「お前が興味があるのは物語のことだけだろう。余計なことに首を突っ込むな」

抑えた口調だが相手を震え上がらせるような低くドスのきいた声でふぁきあが凄んだ。が、あおとあはせせら笑うように唇の端を曲げた。

「物語か。この町を支配していた物語が残した波紋の行く末を見届けたいと思うのは当然じゃないか?」

ふぁきあは力無く首を振った。

「あの話はハッピーエンドだ。これ以上何も起こりはしないし、何も変えるつもりは無い」
「『そして彼らはいつまでも幸せに暮らしました』?まさか!」

あおとあは鼻先で笑い飛ばした。

「ここは現実だぞ。いつまでもこのままなどという事は有り得ない。望むと望まないとに関わらず」

ふぁきあは硬い表情であおとあを睨みつけ、黙りこくっていた。あおとあは容赦なかった。

「もし君が運命を受け入れるだけで何も努力をしないと言うなら、いずれ君は君の、彼女は彼女の人生を・・・いや、人生と言うのは正確ではないな、生きる世界というべきか?ともかく、別々の道を歩まざるを得なくなるだろう。それが運命だ。君達は違う時間を生きているのだからな」

ふぁきあは凍りついた。あおとあはあひるとカロンのいる方へ顎をしゃくり、ここぞとばかりに畳み掛けた。

「君も本当は気づいていたはずだ。クリスマスツリーを飾らなかったのもそのせいだろう?永遠を願って、それが叶わないことを恐れたんだ」
「違う!俺は・・・」

反駁しようとしたふぁきあの声は途中で掠れて消えた。来年のクリスマスを思った時に感じた痛み―あひるの望みは『ここ』ではないという辛い認識―が重く圧し掛かる。あおとあはふぁきあに冷淡な視線を投げて言い捨てた。

「誤解するな。君達の個人的な関係がどうなろうと、僕には何の関わりも無いことだ。だが、それが君の綴る物語に影響を及ぼすとなれば話は別だ。君の物語は全ての人の運命を自由に操れるだけの力があるということを忘れないでもらいたいね」
「・・・自分のやるべきことは承知している。お前に言われるまでもない」

ふぁきあはやっとのことでそれだけ言い返した。あおとあは皮肉な笑みを見せた。

「それはどうかな。君が彼女なしでもちゃんとやっていけると言うなら、今のままでもいいだろう。しかし、鳥の彼女はいつまでも君と一緒に居てはくれないぞ。もし仮に君の傍で一生を過ごしたとしても、近いうちに彼女の寿命が尽きて・・・」
 
 
 

がたん、と大きな音がして、カロンとあひるが驚いて振り返ると、立ち上がったふぁきあがテーブルに身を乗り出し、あおとあに詰め寄っていた。カロンが静かに呼んだ。

「ふぁきあ」

ふぁきあはそれでもしばらく身動き一つせずにあおとあを睨みつけていたが、やがて深く息をついて再び椅子を引き寄せ、腰掛けた。あおとあがカップを持ち上げ、たぶんとっくに冷めてしまったであろう紅茶を啜った。

「ふぁきあ、お前もお茶でも飲みなさい。そろそろ料理も出来上がる」

テーブル脇のオーブンに向かうカロンの後からあひるも続き、石の床に敷かれた絨毯からばたばたと羽ばたいて手前の椅子に、そこからテーブルに、飛び乗った。ふぁきあは唇を引き結んで俯いたままで、あひるが近づいてもいつものように目を合わせてはくれなかったが、あひるは躊躇わずにテーブルを突っ切り、ぎゅっと握り締められた拳に、宥めるように身を摺り寄せた。ふぁきあはびくりと体を強張らせ、一層固く手を握り締めたが、あひるは構わずに首筋を手の甲に押し付けた。テーブルの向こうでカロンとあおとあが他愛ない世間話をしているのを頭の隅で聞きながらずっと頬擦りを続けていると、ふぁきあの緊張がゆっくりと解けていくのが分かった。やがてふぁきあがぎこちなく手を開いて頭を撫でてくれた。あひるは顔を上げ、精一杯の想いを込めて微笑みかけた。

<ずっと一緒だよね?永遠に?>

ふぁきあがはっと息を呑み、手を止めた。ほんの僅かな間があった後、ふぁきあはすっとあひるを持ち上げ、顔を近づけて耳打ちするように囁いた。

「約束する。俺はずっとお前を守るよ。どんなことがあっても・・・永遠に」

あひるは頬を染めて嬉しそうにふぁきあを見上げ、ふぁきあはその澄んだ空色の瞳の輝きで胸をいっぱいにして微笑んだ。

(剣を持たなくても、俺はお前の騎士だ)

ふぁきあの胸に秘められた決意をあひるは知らなかった。


 

 続き Fortsetzung

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