Wiegenlied 子守唄



 
王子達が曇り空の中に消えていくのを見送った後、あひるとふぁきあはその場に佇み―もっともあひるは抱き上げられていたので、正確には立っていたわけではなかったが―物語の最後の光と共に、壊れた建物が元に戻り、靄の中から町の外の景色が立ち現れてくる様子をしばらく眺めていた。町を縁取る城壁はそこから見ると手の届きそうな近さで、つい最近までその内側の限られた空間を世界の全てだと思っていたことが不思議に感じられた。ふと、いつになく辺りが静かなことに気づき、うずらが去ったことを知ったが、二人は顔を見合わせただけで何も言わなかった。

もう一度、初めて見る青空の彼方を見遣ってからゆっくりと見張り塔の中に戻ると、ふぁきあが壊したカラクリはさっきまで動いていたとは思えない朽ちかけた木屑の山と化しており、その部屋への入口に座っていたエデル似の人形は消えていた。長い階段を地上へと―現実へと降って行きながら、込み上げる寂しさを噛み締めた。大好きだった人を送り出した寂しさ、そうして夢から醒めた寂しさを。と同時に、胸を張り、頭を上げたいような誇らしさと奇妙な満足感に包まれていた。この結末は自分が当初思い描いたものとはかけ離れていたかもしれないが、だとしても、これ以上無いほどのハッピーエンドを綴れたと思える。・・・今ここに、自分の傍にいてくれる人のおかげで。だから自分は、ここからまた次の物語を紡いでいくことができる。悩み、傷つき、迷いながらも、怖れず、あきらめずに進んで行ける気がする。この強い絆がある限り、きっと。
 
 

あひるがふぁきあを見上げた。

「くわっ、くわぁ?」<ほんとにずっと傍にいてくれるの?>
「ああ」

いささかの齟齬もなく言葉が通じることに、二人・・・いや、一羽と一人は何の疑問も抱かなかった。それはふぁきあの物語の力ゆえだったかもしれないし、あるいは二人の間の特別なつながりを示すものだったかもしれないが、そんなことは気にもならなかった。無愛想な短い返事に対して、あひるは嬉しそうに温かな胸に擦り寄り、ふぁきあは微笑んでふわふわした頭を撫でた。あひるは気持ち良さそうに目を細めたが、ふと自分を撫でる手の包帯に目が留まった。心臓がどきりとし、次いで鈍く痛んだ。

「くぅーわ?」<痛い?>
 
 
 

絶望の湖―あれがそんな名前の湖だったことを、あひるはあおとあから聞いた―から脱け出した後、怪我に気づいたあひるが何度尋ねてもふぁきあは理由を教えてはくれなかった。しかし待ち構えていたあおとあが、彼なりに状況から導いた推理を、聞いてもいないのにぺらぺらと語ってくれたおかげで、いろんな事が明らかになった。もっともあおとあは、血で途切れた物語の『あひる』が、今、目の前にいる少女であることは理解していなかったけれど。

「まったく君は愚かだな」

あおとあは憤慨気味に言った。

「せっかくドロッセルマイヤーが君に物語を書かせてくれたのに、それが気に入らないからといって自ら手を封じてしまうとは。プリンセスチュチュが王子のために命を投げ打つのは当然のことで・・・」

ふぁきあがすぐさまあおとあを締め上げて黙らせたので、あおとあの言ったことはほぼ当たっているらしいと、あひるにも分かった。息ができずに真っ赤になったあおとあを放り出し、真っ青になったあひるに、ふぁきあはただ簡潔に、気にするなと命じた。そう言われておとなしく納得する程あひるも能天気ではなかったが、ふぁきあはそれきりその話を拒絶してしまったし、そんなことより今はみゅうとに最後の心のかけらを返す方が大事だと言われれば、あひるも反論できなかった。だからあひるはまだ、ちゃんとふぁきあに謝っていなかった。
 
 
 

ふぁきあは右手を持ち上げてちらっと見てから、すぐにあひるの視界から隠すように降ろしてしまった。

「大丈夫だ。こんなのすぐ治る」
<ごめんね、あたしのせいで・・・あたしの心が弱くてペンダントを外せなかったから・・・>

ふぁきあは視線を逸らせてぶっきらぼうにあひるを遮った。

「大丈夫だって言ってるだろ。気にするな」

そっけない言い方が少し怒っているように聞こえて、あひるは跳ねた冠羽を垂らしてしょんぼりうなだれた。

<あたし、ふぁきあに迷惑かけてばっかりだよね。傍にいてもいいのかなぁ・・・>
「バカ」
 
 

反射的にそう言ってしまい、ふぁきあは後悔した。ますます萎れてしまったあひるを見て、ふぁきあは心の内で自分を罵った。怪我の原因はもともと自分にあると思っていたふぁきあは、何故あひるがそんなに己を責めるのか理解できなかったし、どんな理由にしろあひるに引け目など感じてほしくなかった。むしろ、意のままにならない物語であひるを危険に晒したのは自分の方なのだ。抱いている左腕を少し持ち上げるようにしてあひるの顔を覗き込み、さりげない口調でふぁきあは取り繕った。

「お前のせいなんかじゃない。くだらないことを考えるな。お前を一人でほっとけないし、他のヤツに面倒見させるわけにもいかないだろ。それに俺はお前に・・・」

傍にいて欲しい、と言いそうになって慌てて言葉を呑み込み、咳払いして続けた。

「お前のそそっかしさに慣れてるし、お前なりに一生懸命やってるのは分かってるからな」

あひるの瞳がぱっと輝き、ふぁきあの心を一瞬のうちに蕩かした。

<うん!あたし、ふぁきあに迷惑かけないように頑張るよ!>

あっさり元気を取り戻して高らかに宣言するあひるを見て、ふぁきあは小さく笑った。あひるは心外だとばかりにふぁきあの腕の中でばたばたと羽を広げて暴れた。

<なんで笑うの!!>

ふぁきあは慌ててあひるを落とさないようにぎゅっと左腕に力を入れて抱き締め、握った右手を口元に当てて笑いを堪えて、幸せそうな笑顔で答えた。

「なんでもない。頑張れよ」
 
 
 

暗く冷んやりした塔の階段から出ると、町には人々の生活のざわめきが戻っていた。空は青く輝き、空気は暖かだった。


 

 続き Fortsetzung

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